新規事業開発における特許情報とマーケット・ビジネス情報の使い分け
本記事は技術情報協会「コア技術を活用した新規事業テーマの発掘、進め方」(2018年9月)に寄稿した論考です。原題は「新規事業開発における特許情報と市場情報・ビジネス情報の使い分け」となります。
はじめに
新規事業開発を行うために各種情報分析を行うことが必要となる.分析対象となる情報としてはPESTに代表されるマクロ環境の情報,市場情報・マーケット情報,競合他社の製品・サービス情報だけではなく特許情報や学術文献等に代表される技術情報も必要となる.本節では,新規事業開発のパターンに応じて,どのように市場情報と特許情報を使い分け,組み合わせるのが最適なのかについて解説する.
1. 新規事業開発における特許情報の活用
自社製品・サービスを市場へ投入し,事業拡大や利益維持を図るためには他社参入を防ぐ必要がある.そのための1つの手段として,特許や意匠・商標を始めとする知的財産ポートフォリオを形成するが知られている1),2).これは知的財産を自社製品・サービスの保護を目的として利用している.
一方,新規製品・サービスの創出による新たなビジネスを創造する上でも特許情報を活用することができる.特許情報を新規事業開発に活用しようとする動きは何も最近のトレンドではなく,数十年前より提唱されてきた3),4),5).1985年に刊行された飯沼氏の著書の中には
最近,特許情報を有用な情報源として新製品・新規事業開発の計画立案に役立てていこうとしている企業が目立って増えてきている.考えてみれば,特許情報ほど正確な技術情報はない.その1つ1つの特許は,時間と資金と人を投入して開発した技術の成果であり,その新規性を備えた技術情報が一定の形式で整理され分類されているのだから,これを大いに活用しない手はない.
とあり,30年以上前に書かれたとはと思えないほど現在の企業が抱えている課題・問題意識と共通している.もちろん30年以上前と比べると特許情報インフラが飛躍的に整備され,日本国特許庁が提供する特許情報プラットフォームJ-PlatPat6),7),8)を用いることで日本特許を簡易的に検索することが可能となり,さらに有料ではあるが各ベンダーより各種特許分析ツール9)も提供されている.
最近,再び新規事業開発を始めとした事業戦略へ特許情報をより積極的に活用しようという動きの背景には,日本国特許庁が2017年4月に発表した知財人材スキル標準(Version2.0)10)において掲げられた戦略スキル「IPランドスケープ」がある.知財人材スキル標準は“企業における知的財産の創造・保護・活用に関する諸機能の発揮に必要とされる個人の知的財産に関する実務能力を明確化・体系化した指標であり,知財人材育成に有用な「ものさし」を提供しようとするもの”であり,計166のスキルから構成されている.
IPランドスケープのスキルカード(スキル評価指標)は下記の図1のように定義されており,新規事業の創出がミッションおよび貢献すべき課題として掲げられている.
図1:IPランドスケープのスキルカード(スキル評価指標)
知財人材スキル標準は知的財産部門のスタッフとして必要なスキルをまとめたものであり,知財部門スタッフとしても,従来型の出願・権利化業務や訴訟・ライセンス対応のみにとどまらず,今後は事業部門・R&D部門をはじめ,他の部門と積極的に連携していくことが求められている.と同時に,知財部門以外で新規事業開発に従事するスタッフも特許情報をより積極的に活用することが必要とされている.
2. 新規事業開発に必要とされる情報
特許情報を新規事業開発においてより積極的に活用していこうとする動きはあるが,特許情報のみで新製品・サービスのコンセプトを創出できるわけではない.まず分析対象となる特許情報は特許公報という形で各国の特許庁から発行されるが,公開特許公報は原則として出願日から1年6か月後に公開される.つまり仮に本日発行された特許であっても,それは1年半前に出願された内容であって最新の情報ではない点に留意する必要がある(特許は出願された後に,審査請求を経て,特許庁審査官の審査を経て登録となる.登録後に発行されるのが特許公報(通常,登録公報と呼ぶ)である.最近では早期審査などを活用して,出願から半年程度で登録公報が発行される場合も散見される).
製品ライフサイクル(PLC:Product Life Cycle)が比較的長い製品・サービスであれば,出願から公開までの1年半のラグはそれほど問題にならないかもしれない.しかし,スマートフォンのアプリやソーシャルゲームなどは日々新しいものがリリースされているような日進月歩の業界・業種においては1年半のラグは致命的であると言える.
それでは新規事業開発には特許情報も含めてどのような情報が必要かを,
1. 内部情報 - 外部情報(競合他社,市場・顧客)
2. 技術情報 - 非技術情報
の2つの軸で整理する.1つ目は戦略論でよく用いられる3C(Company,Competitor,Customer)のフレームワークである.また2つ目についてはPEST分析におけるT=技術情報と,PES=非技術情報(Political,Economical,Social)のフレームワークに則っている.
表1:新規事業開発に必要とされる情報
技術予測やロードマップとしては「日経テクノロジー展望2018 世界を動かす100の技術」12)や「2050年の技術」13)のような書籍として出版されているものもあれば,科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)が公表している各種科学技術予測報告書14)が役に立つ.なお,表1に掲載しているのはインターネットまたは紙媒体を通じて入手可能な情報である.なお,表1には出てこない情報源として人が挙げられる15).
図2:研究の着想と実施に非常に重要な知識源16)
新規事業開発に特化したデータではないが,経済産業研究所がまとめた研究の着想と実施に非常に重要な知識源に関するアンケート結果を図2に示す16).研究の着想時を新規事業開発のベースとなる新たな研究開発テーマの着想と見立てると,重要な知識源として2位に顧客・製品ユーザー,3位に組織内がランクインしている.顧客・製品ユーザーから得られる情報は,社内顧客管理システム(CRM:Customer Relationship Management)にて電子的に蓄積されている場合もあるだろうが,むしろ直接Face-to-Faceで顧客・製品ユーザーから意見を聴く機会を持つ方が望ましい.また,新規事業開発の種は社外人材だけではなく社内人材(組織内)にいる可能性も高いことを図2は示している.
3. 新規事業開発のパターンと情報の使い分け
3.1 新規事業開発のパターン
新規事業開発と一口で言っても、大きくは図3に示すように4つのパターンに分けることができる。
図3:新規事業開発のパターン
新規事業を起こす場合、少なくとも自社にとって新規である。その次に重要なポイントは既に他社が実施している事業(=既存)であるのか、または他社も全く手を付けていない事業(=新規)なのかの区別である。
自社新規かつ他社新規には「新市場創造」と「新製品カテゴリ創造・新ビジネスモデル導入」の2種類があるが、「新市場創造」は全くのゼロベースからマーケットを立ち上げるためリスクが高い一方、市場創造がうまくいけば自社で市場を独占することも可能である。
「新製品カテゴリ創造・新ビジネスモデル導入」については、花王のヘルシア緑茶やコマツのICT建機やKOMTRXを思い浮かべると良いだろう。花王のヘルシア緑茶の場合、茶飲料という製品セグメント自体は存在していたが、トクホ飲料市場は形成されておらず、新製品カテゴリを創造したと言える。またコマツのICT建機やKOMTRXであれば、建設機械の製造・販売という市場自体は形成されていたが、ICT(情報通信)技術を組み合わせることで、遠隔操作や遠隔監視・メンテナンスサービスという新しい課金ポイントを他社に先駆けて導入した点で新ビジネスモデルを導入したと言える。
自社新規かつ他社新規の新規事業開発案を構築する上で必要となる情報は、特許情報よりもむしろ顧客情報17)、18)や将来予測である。なぜならば、まったく新しい製品・サービスや、新しい製品カテゴリを創造するということは、過去には想定されておらず、特許出願もなされていないからである。むしろ自社新規および他社新規の新規事業開発案を立案したのにも関わらず、既に同様の新規事業開発を念頭においた他社の特許出願を発見したら、その他社が新規ビジネスにおいて競合となる可能性があるだろう。
一方、自社にとっては新規ではあるが、他社にとっては既存事業である場合は、異業種に学んで自社の属する業種へ展開を図る「異業種ベンチマーク」、自社が属する業界内で先行する競合他社をベンチマークする「他社ベンチマーク」または「同質化戦略」の2通りが考えられる。他社事業を模倣する戦略については、特許を含め法律的に抵触しないようであれば特に問題にはならない。むしろ先行企業が十分に利益を上げることができず、追随した模倣企業の方が事業として成功する場合もあったりする19)、20)。自社新規かつ他社既存においては、他社が既に事業として手掛けているため特許出願も行っていると想定されるため、他社特許情報を十分に調査・分析することが望ましい。
3.2 パターンに応じた情報の使い分け
新規事業開発のパターンに応じた情報の使い分けは大きく2通りに分けることができる。
図4:新規事業開発のタイプと情報の使い分け
1つ目の自社新規・他社新規については、まだ世の中にない新製品・サービスを創出するため、顧客・ユーザーのニーズをベースにして新規事業案を検討する必要がある。新規事業案そのものが、特許だけに限らずビジネス情報から導出されるわけではない。あくまでも市場情報や未来予測などのデータをもとにして、どのような製品・サービスがユーザー(B2CでもB2Bでも)にとって必要か発想する。この場合、特許情報の使い方としては、主に新規事業案の新規性・他社との優位性・差別化が図れるかを検証する材料として用いる(アイデア発想を行う前提資料として、もちろん特許出願状況を取りまとめたパテントマップを作成・利用しても構わない)。
2つ目の自社新規・他社既存では、自社保有技術(自社のコア技術であればさらに良い)を用いて新規事業案を策定する。シーズ情報である特許情報を中心に、他社が既に手掛けている事業のベンチマーク分析を行うことで、既存事業へ新規参入する余地があるか否かを確認する。特許情報分析から複数の新規事業候補を抽出した後、マーケット情報などを用いて自社にとって有望な市場であるか否かを検証する。
いずれの場合においても、新規事業案を創出した後、その新規事業案が自社のビジョンやコアコンピタンスとマッチするか否か、経営戦略・事業戦略や中期経営計画と整合するか確認する必要がある。いくら良い新規事業案であっても、自社のビジョンやコアコンピタンスとマッチしない場合は検証対象から外した方が良い。
図5:新規事業開発のパターン|発想起点と情報起点
図4で説明したマーケットドリブン(ニーズドリブン)型の発想起点アプローチ、シーズドリブン型の情報分析起点アプローチについて図5にまとめている。
3.3 発想起点アプローチによる新規事業開発案の創出
発想起点アプローチでは、特許を含めた情報はあくまでも新規事業のアイデア創出をするための材料として用いる。アイデア創出の方法については古今東西様々な書籍が出版されているが、アイデア創出の大原則とよく知られているのは、ジェームズ・ヤングの「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」21)であろう。著者の場合「アイデアステアリング」というアイデア創出のワークショップを行っているが、これはブレーンストーミング、KJ法、親和図法などを組み合わせた手法である。他にも各種アイデア創出に関する書籍も出版されているので参考にしていただきたい22)~25)。なお、参考として新規事業案ではなく、発明を生み出すアイデア創出に特化した書籍も参考文献に掲載しているので、合わせて参照していただきたい26)~28)。
図6:発想起点アプローチ|アイデア創出ワークショップのフロー
3.4 情報分析起点アプローチによる新規事業開発案の創出
自社にとって新規であっても、既に他社が手掛けている事業であれば、その事業に関連する特許出願がされている可能性が高い。そのため自社新規・他社既存の場合は、他社(同業種の場合もあれば、他業種の場合もある)ベンチマーク分析を行う。
図7:情報分析起点アプローチ
図7に特許情報ベースでの主な情報分析アプローチを示した。最もオーソドックスなパターンは自社保有技術に関する分析母集団を形成して、統計解析アプローチで、自社保有技術の適用可能用途・アプリケーションを探索する方法である。もちろん同じ母集団を使ってテキストマイニングで分析を行っても良い。統計解析アプローチ以外では、自社保有技術の引用・被引用分析を利用する方法もある。
既に市場が形成されているが、自社保有技術によって既存技術の代替を狙う場合は、統計解析アプローチや引用・被引用アプローチではなく、まずはいったん自社保有技術の果たす機能や自社保有技術によって解決される課題を洗い出し、技術そのものではなく技術の持つ機能からのアプローチを取ると良い。
本節では特許情報分析の詳細については述べないので拙著等9)、29)を参考にしていただければ幸いである。
3.5 情報以外に新規事業開発において重要な要素
経営資源として重要な要素としてヒト、モノ、カネ、情報が挙げられる。本節では情報に着目して説明してきたが、新規事業開発においては情報だけではなく、新規事業開発に従事するヒトも非常に重要である。企業等の組織において新規事業開発を成功に導くためには、そのプロジェクトに従事するスタッフの能力もさることながら、モチベーションも必要である。3Mのポスト・イット®がどのようにして現在のように普及するようになったのか、開発者の執念については3M社のウェブサイトに掲載されている30)。その他に医薬品業界における新薬開発におけるプロジェクトリーダーの強い想いを取りまとめた事例31)もあるので、適宜参照いただきたい。
おわりに
本節では新規事業開発のパターンに応じて,どのように市場情報と特許情報を使い分け,組み合わせるのが最適なのか、その考え方について解説した.特許は技術情報源としては非常に充実した情報ではあるが、新規事業開発においてまだまだ十分に活用されているとは言い難い。しかしながら、特許情報を十分に分析すれば新規事業開発案を容易に創出できるかといえばそうではない。重要なポイントは、自社が行うべき新規事業開発のパターンを見極め、そのパターンに適した情報を収集・分析することにある。
具体的な特許情報検索や分析のテクニックについては、本節では説明ができなかったが拙著やその他関連書籍29)、32~34)を参照いただきたい。
参考文献
1) 丸島儀一,知的財産戦略,ダイヤモンド社,2011年
2) 鮫島正洋・小林誠,知財戦略のススメ,日経BP社,2016年
3) 飯沼光夫,新規事業開発のための情報収集と活用法,日本能率協会,1985年
4) 石川昭,新製品・新事業開発のための情報探索入門,同文舘出版,1988年
5) 中島隆,技術者のための戦略的パテントの心得55,日刊工業新聞社,2001年
6) 特許情報プラットフォームJ-PlatPat
7) 日本国特許庁,平成28年度高度な特許情報サービスの普及活用に関する調査,2017年
8) 日本国特許庁,平成29年度特許情報の利用拡大に向けた公的特許情報サービスのあり方に関する調査,2018年
9) 工業所有権情報・研修館,知財情報の有効活用のための効果的な分析方法に関する調査研究,2011年
10) 日本国特許庁,知財人材スキル標準(version 2.0),2017年
11) 吉井潤,仕事に役立つ専門紙・業界紙,青弓社,2017年
12) 日経BP社,日経テクノロジー展望2018 世界を動かす100の技術,日経BP社,2017年
13) 英『エコノミスト』,2050年の技術,文藝春秋,2017年
14) 科学技術・学術政策研究所,科学技術予測報告書
15) 野崎篤志,調べるチカラ,日本経済新聞出版社,2018年
16) 長岡貞男,発明者から見た日本のイノベーション過程:RIETI発明者サーベイの結果概要,独立行政法人経済産業研究所ディスカッションペーパー,2007年
17) 川上智子、顧客志向の新製品開発、有斐閣、2005年
18) 宮尾学、製品開発と市場創造、白桃書房、2016年
19) スティーヴン・P. シュナース、創造的模倣戦略、有斐閣、1996年
20) 井上達彦、模倣の経営学、日本経済新聞出版社、2015年
21) ジェームス W.ヤング、アイデアのつくり方、CCCメディアハウス、1988年
22) 畑村洋太郎、技術の創造と設計、岩波書店、2006年
23) 加藤昌治、考具、CCCメディアハウス、2003年
24) 堀公俊・加藤彰、ワークショップデザイン―知をつむぐ対話の場づくり、日本経済新聞出版社、2008年
25) 堀公俊・加藤彰、アイデア・イノベーション―創発を生むチーム発想術、日本経済新聞出版社、2012年
26) 川北喜十郎、たった一人のビジネスモデル、発明推進協会、2009年
27) 橘和之、特許的思考によるアイデア発想法、発明推進協会、2010年
28) 高木芳徳、トリーズ(TRIZ)の発明原理40、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2014年
29) 野崎篤志,特許情報分析とパテントマップ作成入門 改訂版,2016年30) 3M、ポスト・イット® ノート 製品開発ストーリー
31) 桑嶋健一、不確実性のマネジメント、日経BP社、2006年
32) 野崎篤志,特許情報調査と検索テクニック入門,2015年
33) 東・尼崎,できるサーチャーになるための特許調査の知識と活用ノウハウ,オーム社,2015年
34) 小島浩嗣,技術者・研究者のための 特許検索データベース活用術,秀和システム,2017年