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眠れない夜に|どこに着地するのかわからないまま書き始める。
眠れない夜に。
どこに着地するかもわからないまま、書き始めたいと思う。
特に意味は、ない。今は。
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風邪を引いた。
昨年もこの時期に風邪を引いた。そのときは39℃の熱が出た。9月10月に続く、3か月連続の39℃を記録した。大きな仕事の日だったから、ちょっと無理してでも出勤したけど、帰った方がいいよと言われて、帰った。
今年の風邪は発熱はない。高くて36.8℃だった。のどがイガイガする。土曜日は何となく具合が悪い気がして1日寝ていたけれど、特にどこが悪いということはなく、疲れていたんだろうくらいな感覚。昨晩から調子が悪い。耳閉感もする。たぶん咽頭炎だろう。知らんけど。
子宮内胎児死亡の診断から1か月が経った。
体調を崩した日は、思えば診断からちょうど1か月の日だ。振り子の揺れが小さくなっていくように、少しずつ気持ちの揺れも小さくなってきた。風邪を引くという事実に、子宮内胎児死亡の診断という出来事を結び付けて考えたくなる。そこに因果関係があるかどうかなんて、証明できないのに。
とはいえ、疲れが出たんだろう。仕事をしながらではできていなかったあれやこれやに取り組み、平日に動き回れるメリットを生かすべく行動していた。捗っている一方で、落ち着いた時間は過ごせていない。
中古車を買った。
車通勤をすべく、ペーパードライバー講習に行った。先んじて中古車も買った。運転も中古車購入も、私にとっては大きな一歩で、負担と言えば負担だ。運転は嫌いじゃない。だけど、悪い想像ばかりをしてしまって、怖い。教官には落ち着いてますね、って言われた。その言葉に自信をつけて運転したらいいのに、なんで怖いんだ。克服して、自由を手に入れたい。人混みに辟易しながら通勤したくない。
楽しみにしていた仕事の日が、土曜日だった。
子宮内胎児死亡に伴う入院・死産、産後休暇のために、その仕事を遂行することは叶わなかった。努力したって、我慢したって、仕事も出産も叶わなかった。我が子を失った喪失感と、仕事で挑戦が頓挫したむなしさと。
仕事から離れようと仕事の連絡は一切に見ないようにしている。仕事から離れることに慣れてきていたけれど、楽しみにしていた仕事の日は、私の意識から離れなかった。
我が子の命と仕事では、圧倒的に我が子の命の方が大事だと今は言える。死産を経験する前は、我が子も仕事も何も諦めたくなかった。妊婦にしては働きすぎだったと思う。悔やんでも悔やみきれない。それほどに、仕事だって大事で、プライドもって取り組んでいた。死産に伴って、楽しみにしていた仕事が頓挫したことは、私にとって仕事における死産なのかもしれない。
今は、何よりも我が子の命を優先したいと思っている。30代のすべてを不妊治療、妊娠、出産、子育てに費やしたっていいと思うほどに。仕事は辞めないけどね。
比較することの苦しさと無意味さに気づいた。
どれだけ悩んだって、事は変わらない。行動することで、事態は動く。誰かと何かと比較したって、自分は自分であって、自分が行動することでしか自分の状況は変えられない。逆に言えば、その誰かをコントロールすることはできないし、その人はその人を生きているだけで自分には関係がない。
だけど、比較しちゃうんだよね。でも苦しいだけ、みじめなだけ。比較してもしなくても、自分がすべきことは変わらない。そうやって気づいたからと言って、すぐに比較しちゃう思考を変えられるわけではないけれど、少しは冷静になれるかなとは思う。
noteにも何度か書いたけれど、職場は私にとって安全ではない。妊娠に関する無邪気さにあふれている。それは私にとって大きな脅威だ。土曜日のことで仕事に意識が持っていかれたために、思い出しちゃったんだな、きっと。
おすすめされる情報を変えたい。
見るためだけにインスタのアカウントを持っている。自然と流れてくる情報は、不妊治療、妊娠、出産、子育てが多い。あと、教員におすすめの~とかなんとか。なんかもう解放させてくれよって思う。インスタはキラキラしている、無邪気で軽い。死産を経験した今、インスタを見ても、そういう問題じゃないんだよって思う。仕事から離れたい今、教員云々のtipsは見たくない。
とはいえ、そういう情報が流れてくるということは、私の傾向がそうさせているということであり、結局は自業自得だ。実に忌々しい。一時期は手帳情報とグルメ情報が増えたけれど、先の情報が雑草のようにしぶとく生え続けている。結局は私の傾向がそうさせていると思うと、ほんと心底忌々しい。
人はそうそう変わらない。
別に生まれ変わりたいというほどではないけれども、今までの生き方・働き方ではいけないなあと思う。車通勤を目指しているのも、生き方・働き方を変えるための行動の一つである。ヘアケアやスキンケアを丁寧にしてみたり、野菜中心の食事をとったり、丁寧な暮らしもどきをしている。
でも結局、自分は自分で、そうそう簡単には変わらないことを突きつけられているようにも思う。でもどうにかしたいだなんて思っているから、もがいているし、苦しい。めげずに行動し続けていたら、どこかにたどり着くのかな。この記事がどこに着地するかわからずに書き始めたように、とりあえず行動し続けてみたらいいのかな。
好きな歌がある。
流れるまんま 流されたら
抗おうか 美しい鰭で
壊れる夜もあったけれど 自分でいられるように
とりあえず今は、流れるまんま流されていたらいいのかな。
おやすみ。