学校教育について思うこと
一般社団法人アナザーステージの代表理事渡部は、島根県隠岐郡隠岐の島町で小さな学校の校長をしていました。
島の小さな中学校。
自分で言うのも何ですが、とっても素敵な学校で、生徒も教員も優秀でした。(勉強や仕事が抜群にできるという意味ではありません。とても愛おしくラブリーな存在であるといったニュアンスです。)
それでも色々なところに現代の学校教育の「?」が表出するんですよね。
「変えたい」と思ってもなかなか変えられない、もやもやとした違和感。
校長としての3年間、学校通信「校報」で、ことあるごとに校長として教育について考えたことをコラムにして発信しました。
皆さんにどのように受け止めていただいているかは分かりませんが、自分の教育に対する思いをその時その時の出来事などに沿って、一個人の考え方として書いています。
この場を借りて掲載し、もう一度自分の考えを整理してみようと思います。
ネガティブ・ケイパビリティ(2021年5月)
最近「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉に出会いました。イギリスの詩人ジョン・キーツが、弟に宛てた手紙の中で記した言葉で、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」と訳されています。
今の小・中学生が将来活躍する社会は、不安定で不確実、複雑で不明確な予測不可能な社会だと言われています。そうした時代を生きる若者に必要な力とは何かと考える時、この「ネガティブ・ケイパビリティ」は、これからの教育のキーワードのように思われます。
学習指導においては、到達目標を目指し、効率的・効果的に問題を解決していくことが賞賛されます。早く解決すること、うまく確実に解決することが求められ、到達できない状態は「学力差」として問題視されます。
しかし世の中には、簡単には解決できない問題が溢れています。人生においては、解決できる問題よりも解決できない問題の方が多いかもしれません。予想不可能な社会においては、答えの出ない問題に対し、解決できない状況を受容しつつ、しかしあきらめずに挑戦し続ける意欲や態度こそ、子供達に身につけさせるべき大切な資質なのではないでしょうか。
大人自身がネガティブ・ケイパビリティを身につけ、効果・効率の追求による視野狭窄に陥ることなく、子供達が学ぶべきものを考えていきたいと願っています。塩の浜の夕日の美しさ、高田山から眺める隠岐の海の雄大さ、壇鏡の滝の荘厳さも、私たち大人が感動する心を持っていなければ、子供達が感動を覚えるはずもありません。そうした豊かな感性がネガティブ・ケイパビリティを高め、未来に羽ばたく力になると信じています。
全国学力・学習状況調査が実施された5月27日、問題に向かう子供達を眺めながら、そんなことを考えていました。
30年後の幸せのために(2022年1月)
「2050年問題」という言葉をご存じでしょうか。2050年頃、現在起こりつつある様々な課題や問題が、これまで経験したことがない深刻な状況になると言われています。超少子高齢化、社会保障の増大、無人化・自動化による相当数の職業の消滅、地球温暖化、気候変動、食糧問題、さらなる未知のウイルスの出現など、社会生活に大きな影響を与える課題や問題ばかりです。
2050年、今の中学生は40代前半、まさに社会や家庭の担い手となる時代。彼らの生活は、今の大人の生活とは全く異なるものになると予想されています。社会の価値観が変わり、これまで常識だったことが常識でなくなることも出てきます。今から30年前、スマートフォンの普及やドローンの出現、国民全員がマスク着用を強いられる生活を、いったい誰が予測したでしょう。それらと同様に、しかしもっと大きなパラダイムシフト(考え方や社会生活の大変革)が、これまでより急速なペースで起ころうとしているのです。その未知なる社会の中で、今の中学生達は社会の担い手として生きていかなければなりません。彼らのために、我々大人にできることは何でしょうか。
現代の学校教育は、今から約150年前、西洋の制度を模して導入されました。以来、現在に至るまで、学習内容は変われども教育スタイルはほとんど変化していません。現在、そのことを反省し、新しい時代に対応でき、持続可能な社会を形成する日本人育成のために、学校教育を大きくシフトしていこうという動きが、文部科学省をはじめとして、全国各地で起こっています。
これからの教育では、これまで重視されてきた「知識の記憶」の重要度が下がります。個別の知識はデータとして即座に取り出せるようになり、知識を「記憶する」ことよりも、どう「活用する」かが重視されるようになるからです。データを元に、主体的に考え自ら課題を見出し、他者と協働して解決していく力が求められ、教科書の内容を十分に理解したり、大人の指示に素直に従ったりすることを重視するだけでは、彼らが生きる30年後の社会において力を発揮することは困難です。そうした新しい学力・教育観に、我々大人が意識をアップデートできるか、今まさに求められていると言えます。
我々大人の中にあるマインドセット(経験や思い込みによって作られる思考パターン)をどう崩していくか、それは時に苦しみや痛みを伴う作業ですが、都万の子供達が2050年問題を乗り越え、幸せに社会生活を送るための教育を行ううえで、避けては通れないことだと考えています。
学校教育はまさに過渡期を迎えています。30年後に社会で活躍できる隠岐人への成長を願い、職員一同取り組んでいきたいと考えています。どうか今後とも本校教育にご理解・ご支援をたまわりますよう、よろしくお願いいたします。
「自立・共生・創造」~新たな時代を生きる若者の育成を目指して(2022年4月)
令和4年度がスタートしました。今年度も「自立・共生・創造」の旗の下、20年後の社会を支えるたくましい「隠岐びと」の育成を目指し、教育の不易と流行を踏まえつつ、教育活動の推進に取り組んでまいります。
「自立」、主体的に考え、判断・決断し、行動する生徒を目指します。そのためには「本物の学力」を身につけ、考える力や表現する力を高めなければなりません。自己理解力や将来への展望を持つ力も重要です。
「共生」、多様性を受け入れ、他者を尊重しながら協働する生徒を目指します。そのためにはまず一人一人の自己有用感を高め、皆が大切にされているという心情を深めるとともに、人間関係調整力、コミュニケーション能力といったソーシャルスキルを高めていくことが重要です。
「創造」、豊かな感性と発想で、新しい価値を生み出す生徒を目指します。そのためには「気づく」という思考プロセスを大切にし、それに対して自分なりの考えやアイディアを形作るといった学習を充実させることが大切です。
こうした考えで教育活動を充実させながら、新しい時代を担う若者の育成に尽力していく所存です。皆さま方の変わらぬお力添えをたまわりますよう、どうぞよろしくお願いいたします。
GIGAスクール構想の実現に向けて(2022年5月)
2019年から始まった文部科学省のGIGAスクール構想により、隠岐の島町でも昨年度一人一台の学習端末機の利用環境及び高速ワイファイ環境が整備されました。フィルタリングやMDMといった各種セキュリティ機能も搭載され、ICT活用を推進するうえで申し分のない環境を提供していただいています。
これからの時代を生きる生徒及びその生徒の教育に携わる教職員にとって、学びや生活にICTを活用できる能力は極めて重要です。彼らが生きる近未来は、ICTが使えることが前提の社会となり、ICT活用能力は就職や進学にも影響する資質能力となります。
都万中学校では、GIGAスクール構想の実現に向け、配付された一人一台の学習端末機を積極的に活用し、活用能力の向上に努めています。生徒は登校時に、自分のiPadを収納ボックスから取り出し、すべての授業の中でiPadを活用しています。必要があれば家庭に持ち帰ることも可能ですし、家庭学習でiPadを使わせることもあります。
使い方については指導が必要です。学校教育用iPadは自分でアプリをインストールすることができず、閲覧した履歴やログがすべて記録されるなどセキュリティ機能は充実していますが、家庭で学習には関係のないサイト等へアクセスしたりすることも想定されますので、利用状況を把握しながら指導していくことが大切です。各生徒の家庭での利用状況をフィルターリングアプリ等で確認し、指導が必要な生徒には個別に対応しています。
「何かあったら大変だから使わせない」のではなく、「大変なことが起こらないように指導しながら使わせる」ことがICT活用教育の大切な考え方です。やがてすべての生徒が個人所有のスマートフォンをもち、自由に利用するようになるのは明確ですが、その時になって初めて使い、問題のある利用をすることのないよう、学校教育の中で段階的に使用させ、適切な判断力を持ったユーザーにしていくことが、SNSの事件・事故等を起こさない、巻き込まれないために重要だと考えています。
高額な町の財源を投入したこのICT教育環境を「宝の持ち腐れ」にさせないよう、教職員一同、研究を重ねてまいります。
創造力を育成する(2022年6月)
現在の学校制度は、明治13年の改正教育令によって基礎が作られ、第二次世界大戦後、工業化社会を支える人材育成を進める目的で制度化されました。それは少し極端な言い方をすれば、「他人と協調し、正解のある課題に対して正しい答えを即座に出せる人材」を、「鋳型で鯛焼きを作るよう」に育成する上でとても合理的なシステムでした。戦後、先進国が創り出したものを真似して大量に生産することが求められた時期には、大いに成果を上げ、国力を高めた制度です。
しかし時代は変わりました。世界的な異常気象や大災害、新型コロナといった人類がこれまで経験したことのない問題が次々に起こり、国の経済状況も悪化、不安定で不確実、予測が困難な社会が始まっています。AIの進歩により、現存する職業の約半数が消滅するとも言われています。
こうした社会を生きる若者に必要な能力の一つが「創造力」です。これまでの常識を疑い、豊かな感性と発想で新しい価値を生み出す力です。それは「1を100にする力」ではなく、「ゼロから1を生み出す力」です。
2020年にアドビ株式会社が行った創造力に関する調査によると、「自分は創造力がないと思う」と答えた人の63%は、小学校高学年から中学生の間に自信を失っているそうです。また、「創造力があると思う」と答えた人は、ほとんどが同じ時期に「自信を得た」と回答しています。中学校時代の経験は、その人の創造力の成長に大きく関わっていることが分かったのです。
都万中学校では「自立・共生・創造」の教育理念のもと、今年度は特に創造力に重点を置き、教育活動を進めています。教科学習で培った知識・技能をもとに、自ら考え、判断し、表現する学習活動、体験学習を充実させ、これまでやったことのないことに挑戦したり、新しいものや価値を生み出す経験をしたりさせたいと考えています。各教科の授業では、学んだことをもとに、答えのない課題に協働で取り組むプロジェクト型学習を導入します。また、教科の枠を越え、自分がチャレンジしたい分野でやりたいことを極める「つま中クリエイター大賞」を開催、「探究」「創作」「芸術」の3部門で、「夏休みの自由研究」のような自由な発想による探究学習や創作活動のコンテストを行っています。
「ゼロから1を生み出す」挑戦を通し、自分には創造力があると確信する若者になってほしいと願っています。
コロナ禍での教育(2022年7月)
都万中学校では、7月19日をもって1学期を終業し、子ども達は夏季休業に入りました。生徒個々には様々な喜怒哀楽もあったでしょうが、皆元気に終業式を迎えられたことをとても嬉しく思います。保護者の皆さま、地域の方々にお力添えいただきましたこと、心から感謝申し上げます。
コロナ禍での学校運営も、もう3年目になりました。町内でも毎日のように感染者数が発表され、収まる気配もありませんが、学校での対応はずいぶん変化してきました。
本校では、すでに1人1台の学習端末機(iPad)を活用し、生徒が陽性、濃厚接触で長期の休業を強いられても、必要に応じてオンラインで授業に参加できるシステムを構築しています。また、学校行事等についても、「対策を講じながら通常どおり実施する」という方針で、8月末の京阪神への修学旅行も原則実施する予定です。
このような「学びを止めない」という基本的な考え方はずいぶん浸透してきましたが、一方で、実際に生徒から罹患者が出た際の、人権的配慮等がどこまで徹底できるかということについては、まだ課題があるように感じています。
他県のある学校では、感染した教員の顔写真がネットで拡散されるという出来事がありました。あること、ないことがあたかもすべて事実のように噂され、地域に拡散されました。「罹患者に対する誹謗中傷はいけない」とは分かっていても、おもしろおかしく噂話が広がるといったケースはたくさんの地域で起こっています。
このようなことを絶対に起こしてはならないと、子ども達には指導をしてきたところですが、我々大人こそ、このことを肝に銘じておく必要があります。各地で起こっている誹謗中傷や噂話のほとんどは、大人が発信しているのです。
その話は正しい情報なのか、その話を人に話す必要があるのか、その話で誰かを傷つけないか等、人権意識を高く持った対応が重要になります。噂話をする時の、その場限りの楽しさや優越感、秘密を共有することへの喜びは、ポジティブな見方、考え方を生み出すことはありません。
コロナ禍の中、教育を推進する上でICTの活用等ハード面の整備も重要ですが、我々大人が発する言葉の一つ一つが、子ども達の教育や人格形成に大きな影響を与えるということを、常に意識していきたいものです。
我が子が生きる未来社会(2022年8月)
2年生の関西への修学旅行が無事終了しました。コロナ禍での修学旅行は、私たち大人が経験した修学旅行とはまるで違います。全員がマスク、食事はプラスチックパネルに囲まれ小さな声で会話、朝夕の日課は検温、バスの中でのカラオケなどもっての外。こんな時代になることを誰が予測したでしょう。時代は変わり、教育もアップデートが必要になりました。
1980年代、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と世界から賞賛された日本経済。世界競争力ランキングでは毎年世界1位を保ち、世界中の国々が日本を目標にしました。しかし、その経済競争力も今では34位に転落、2021年の経済成長率は191カ国中157位です。1980年代には世界のトップ企業ベスト20に日本の会社が14社ランクイン、今は1社も入っていません。我々日本人の平均所得はここ20年以上増加していない状況です。少子高齢化も大きな問題で、米国テスラ社のCEOイーロン・マスク氏は「日本はいずれ消滅する」と言い放ちました。
経済だけでありません。世界の大学ランキングで、トップ100に入る日本の大学はわずかに2つ。政府の教育への投資率は、主要先進国の最下位です。「世界幸福度ランキング」では世界で62位、「寄付をするか・ボランティア活動をするか・困っている人を助けるか」という基準で調査された「人助けランキング」では、調査対象国114カ国中最下位です。また、「18歳意識調査」によれば、「自分は大人だと思う」と考える若者の割合は、調査対象6カ国中ダントツの最下位、米国の86%に対し、日本はわずか27%です。
いったいこの先、日本はどんな国になってしまうのでしょう。
こうした中、日本に見切りをつけ、海外で活躍しようと考える人が増えています。12歳の天才ドラマー相馬よよかさんは、「日本の学校は1つの答えが最初から決まっている、決められたやり方で正確に演奏することが求められ、自分の好きなようにアレンジして演奏できないんです」と、アメリカへの移住を決断しました。若い優秀な研究者の中にも、日本を離れ海外を拠点に活動する人たちが増えています。
かつての「すごい国日本」の面影はなく、世界に置いて行かれていることに、なんの危機感も抱かない日本人は少なくありません。過去の栄光にしがみつき、「日本はいい国だ」と根拠もなく考えます。しかし、今の小中学生にとっては、そんな考え方で人生を切り拓いていけるような生やさしい社会ではないということを、我々大人がしっかり意識しなければなりません。彼らの将来のために学校教育が何をしなければならないか、今こそ真剣に考えなければならない時期に来ています。
自立するということ(2022年9月)
安倍元首相の急逝以来、メディアは某宗教団体の話題で持ちきりですが、ある番組で「マインドコントロールされやすい人の特徴」について触れていました。「素直で優しい」「まじめ」「集団依存心が強い」「協調性がある」「意見が言えない」「自分に自信がない」「人に流されやすい」・・・。その多くがこれまでの学校教育でこぞって求めてきたもの、その結果として築かれてしまった今の日本人の弱みとして写り、ショックを受けました。良かれと思って行ってきた学校教育が、結果としてマインドコントロールを受けやすい人を増やしたのではないかと。
「素直で優しく、協調性がある」これは悪いことではありません。しかし、それを求めるがあまり、ある大切なことを軽視してきたように思えてなりません。
それは「子供を自立させる」ということです。
主体的に考え、自分で判断して決断し、自分の意思で行動することを、我々大人はどれだけさせてきたでしょうか。何も考えず従う素直さ、怒りを表現しない優しさ、自分の意見を主張しない協調性、そんな誤解を生じさせ、「団結」というスローガンのもと、人と違うことをする子供を指導対象とみてきた傾向は否めません。
子供は自立しなければ生きていけません。人間はそもそも、本能的に自立しようとします。思春期には、不適切な行動や思考になって表出することも多々あり、失敗を犯してしまうことも少なくありません。これまでの学校教育では、子供が失敗しないように丁寧な指導をし、誰でもみんなができるようきめ細かな手立てで導くことが重視されました。それ自体は悪ではありませんが、良かれと思って行う過保護な指導は、子供が自立するチャンスや考える力を奪ってしまうことを忘れてはなりません。
良かれと思って子供の行動を規制し型にはめる、良かれと思って子供のトラブルに介入する、良かれと思って大人の考えを押しつける、良かれと思って丁寧なマニュアルを与える・・・私たち大人が子供に関わる際、こうした指導ばかりに偏れば、結果として、失敗やうまくいかないことを全部人のせいにして、自分から目を背けようとする卑怯な人間にしてしまう恐れがあることを理解しておく必要があります。
主体的に考え、判断・決定し、行動する。学校でも家庭でも、これからの時代を生きる子供たちに関わるすべての大人が、今こそ真剣に考えるべきことだと感じています。
9月の初めに行った生徒会学園祭。生徒の手作りによる学園祭です。教員は後方支援に徹し、生徒を見守りました。準備期間には様々なトラブルが発生し、ぶつかり合い、感情を露わにする生徒もいました。大人の目で見れば改善点もあったでしょう。しかし、学園祭を終え達成感に酔いしれる生徒たちのきらきらした目、笑顔、そして涙を見て、自立に向け、また一歩大きくたくましく前進したな、と確信しました。
学校あるある(2022年10月)
都万中学校には、体育館を除き校舎内に更衣室がありません。生徒は、朝礼が終わると体操服に着替えるという習慣がありますが、みな登校時から制服の下に体操服を着ているので、男女一緒に教室で着替えていました。
このことについて保護者の方からご意見をいただくまで、私はあまり問題意識をもっていませんでした。「制服の下に体操服を着ているから大丈夫」「体育館の更衣室まで行くと時間がかかって授業に遅れる」「長年の習慣になって慣れているし」と思っていました。
この課題について改めて深く考えるようになった時、数年前、LGBTの若者達と教育について語り合うオンラインワークショップに参加した時のことを思い出しました。グループ協議の中で、「学校として、LGBTの生徒が現れた時には、その子が困らないようにきちんと対応しないといけないよね」という私の発言に、あるトランスジェンダーの若者が反応しました。「渡部さん、それは違いますよ」と。そしてこう続けました。「そういう生徒が現れた時に対応するという考え方は、本当の人権意識じゃないです。LGBTの生徒が入学したら対応するのではなく、そうした生徒や教員がいることを前提として対応しないとダメですよ。いつでも、どこでも、みんなが安心して過ごせる学校をつくっていくこと、それが人権を意識した学校づくりじゃないですか?」
異性との同室更衣の中で、子供達はどんな心理になっていたでしょう?多くの子が無頓着でしょうが、まずもってそのこと自体が問題です。社会に出て、男女が同室で更衣をするよう求められる場面などありません。異性の前で服を脱ぐことに慣れさせてしまう習慣であれば、即座に断ち切らなければなりません。また、下に体操服を着ているとは言え、異性の前での脱衣に抵抗を感じている子もいるかもしれません。思春期になれば、異性の脱衣に性的な刺激を受ける子もいるでしょう。そうしたことがこれまで何の問題意識もなく看過されてきたことに、私自身大きな責任を感じます。誰もが安心して過ごせる学校づくりを大事にするのであれば、男女同室更衣は不適切です。
これを機に都万中学校では、更衣は体育館の更衣室で行うことと定めました。これは社会で生きていく上で必要なルールです。更衣時間を確保するために、朝学校に来たらすぐに体操服に着替えても良いことにしました。これによってこれまでは制服で行ってきた朝礼を、体操服で行うことになります。「朝礼は制服で行う」というのは、社会で生きていく上で必ずしも必要なルールではありません。
学校にはまだまだ見直さなければならない習慣や、目的を失ってしまったルールがたくさん存在しています。学校でしか通用しない、そうした「学校あるある」を、これからも積極的に見直していきたいと考えています。
備えあれば憂い無し(2022年12月)
12月20日からの3日間、都万中学校は新型コロナウイルス感染防止のため学校を閉鎖しました。兄弟姉妹、家族を中心とした感染や濃厚接触が急速に増え、風邪症状等の体調不良者が続出、学校内でのさらなる感染を避けるため、やむを得ない判断でした。
期間中はオンラインで授業を行い、生徒は各家庭からiPadを使って参加しました。隠岐の島警察署の方による情報モラル教室も、オンラインで実施しました。都万中学校はこれまでICT機器の活用研究に力を入れており、まさにその成果が現れた3日間でした。必要な授業数を確保し、授業の進度を保つことができたので、閉鎖にした3日間のために、土曜日授業等を行う必要もありません。
他に先駆け、生徒にiPadを持ち帰らせ、様々な授業の形を研究してきて本当に良かったと、今つくづく感じています。
現代は不確実で複雑、不安定で先行き不透明な時代だと言われています。新型コロナウイルスの蔓延、経済の深刻化など、予想もしなかったことが突然のしかかる社会です。企業にとっても大変な時代で、新型コロナ関連の倒産数は、12月段階で昨年度の2倍を超えています。
そんな中、何十年、何百年も変わらず営業を続ける「老舗」と呼ばれる企業があります。あまり知られていませんが、創業百年以上の「世界長寿企業ランキング」では、日本は断トツの世界第1位なのです。
ある研究で、こうした老舗には共通した特徴があることが分かっています。
一つは危機管理意識の高さです。備えあれば憂い無しの精神で、緊急時における事業継続の手段や方法を確実に計画しているそうです。
もう一つは、伝統を重んじ継承しつつも、新しい技術を目指す追求心の高さ。経営理念を継承しつつ、時代の変容を受け入れる柔軟性を備えている企業が生き残っているのです。
学校経営にも同じことが言えそうです。とかく事なかれ主義、前年度踏襲主義で進むことが多いのが学校。それは、伝統を重んじ継承するということとは違います。確かな危機管理意識をもちながら、時代の変容を受け入れ、新しい教育を目指す追究心を育てていかなければなりません。
社会は時代とともに確実に変わっていきます。子ども達が生きる社会は、私たち大人が生きてきた社会とはまるで違います。「備えあれば憂い無し」の「備え」も、私たちが過去に常識としてきた「備え」では役に立ちません。そのことを我々学校教育にあたる教職員、保護者がしっかりと意識し、柔軟な考えで新たな価値を創造していくことが求められています。
令和4年も終わりを迎えました。予想もつかない新たな課題や問題がのし掛かるであろう令和5年。そんな時代を力強く生きていくための知力、創造力、挑戦力を、彼らの「備え」として高めていける「老舗」の学校となれるよう、さらに精進していく所存です。
新たな入試制度(2023年1月)
島根県教育委員会は、公立高校入学者選抜制度を令和7年度から変更すると発表しました。現在の中学1年生の高校入試から、新しい制度が適用されることになります。おって保護者向けリーフレットが配付されるとのことですが、島根県教育庁教育指導課のウェブサイトに詳細が記載されていますので、ぜひご覧ください。
5教科の学力検査を行う「一般入試」には変更はありません。「推薦入試」が廃止され「総合入学者選抜」(以下、総合選抜)に変わるのが大きな変更点です。これは学校長の推薦書が不要な「自己推薦」のような制度で、生徒自身が行きたい高校に対して思いや夢、能力などを自己アピールし、高校はその中からほしい生徒を選抜するのです。各高校はあらかじめ「求める生徒像」を公表し生徒募集、その生徒像を踏まえ「行きたい」と思った中学生は「志望理由書」を提出し、面接、作文、学力検査、実技の中から2つ以上の検査を受けます。総合選抜においては、松江北・南・東及び出雲高校に設定されていた地域外入学制限も撤廃され、県内全域、さらには全国から優秀な人材を定員の40%以内で入学させることができます。
この制度変更について島根県教育委員会は、「自分の興味関心と向き合い、将来なりたい自分を実現するために必要な資質・能力を身につけるため、各高校が示すグランドデザイン(求める生徒像)をもとに、多様な選択肢の中から主体的に選ぶことができる」と説明しています。
離島という地理的ハンディを考えると、諸手を挙げて賛成はできないものの、この制度変更は社会の変化に対応したものと言えるでしょう。総合選抜の検査では、プレゼンテーションやスピーチなどを通し、自分がどのような人間で何を成し遂げたいと考えているのか、そのためにどんなことをしてきて、どんな力を身につけたのか等、熱意をもって表現する力が求められることになります。これは近年の大学入試や企業の入社試験にも共通した考え方です。
しかし勘違いしてはならないのは、やる気があれば入れる、熱い思いさえあれば合格できるというものではないということです。高校で自己実現を目指すには、その下支えとなる学力が必要です。会社を起業する際、いくら売りたい優れた商品があったとしても、ビジネスの知識や技能、経営戦略、人脈構築力などの能力無しでは成功はあり得ない、それと同じです。
今回の制度変更により、より一層深い学びが求められるようになったと考えるべきでしょう。やりたいことや将来の理想を見出すには、様々な経験や学習が必要です。単に点数を上げることを目標とするのではなく、将来のためにどんな力をつけなければならないかを意識させ、基礎的な知力にあわせて、学んだ知識や技能を活用、展開する力が必要です。逆に言えば、テストで点が取れないのであれば、できる力をさらに伸ばす、不足する力を補う他の能力を高めることで、将来の可能性は大きく広がると言うことでもあります。
いよいよ子ども達に本物の力を身につけさせなければならない、そのための小中学校はどうあるべきか? 背筋が伸びる思いです。
支配と操縦からの脱却(2023年5月)
「風邪をひくから傘をさそう」「君には難しいからこのプリントを使おう」「動画を見るからスマホは禁止」「危ないからここで自転車に乗らない」
学校や家庭でよく耳にする「指導」です。
良かれと思って我々がしている指導ですが、実は子供の自立の機会を奪ってしまうことがあります。
○失敗しないように親や教師が先回りをすると、
→集団の大半が失敗しないようになります。
→失敗した人が目立つようになります。
→自分から行動したり、自分の考えを言ったりできなくなります。
→切り拓こうという機会と意欲がなくなります。
→自立が遅れ、他人に依存するようになります。
→うまくいかないことを人のせいにします。
→集団はやがて衰退していきます。
教育は、子どもを支配し操縦することではありません。大人のエゴや思い込み、古い価値観で、あたかも正しいことかのように子供を支配し操縦する、我々が案外やっていることです。子供を支配し操縦しても良いのは、命を守るときだけ。
「生徒指導」は生徒を失敗させないためのものではありません。むしろ失敗からどうやって立ち上がるか、それを支援し伴走することです。
子供の失敗に寛容な、「ちょっといい加減な大人」であることも、案外大事なことかもしれません。
タイパ主義VSスローライフ(2023年6月)
最近のヒット曲はイントロがほとんどなく、いきなり歌から始まります。そうじゃないと売れないそうです。昭和の歌に比べ平均15秒以上、イントロが短くなっているという調査結果もあります。近年はネット配信が主流となり、始めの数秒だけを聴いて買うか買わないかを決める人が多く、その数秒でインパクトを与えなければ売れないのだそうです。それに慣れた若者は、長いイントロを「ダルい」と言います。
また、動画を倍速で視聴する人も増えています。撮りためたドラマや映画、大学の講義などを、1.5倍ほどのスピードで早送りして見るのです。
このように、時間を短縮して効率を高める考え方は「タイムパフォーマンス(タイパ)主義」と呼ばれています。できるだけ時間を切り詰め、効率よく生活したいという風潮が強まっています。
一方で、何もせずゆったりと過ごしたいというスローライフを好む人も増えています。キャンプがはやるのもその例ですし、旅に出てもあちこち観光はせず、高級ホテルでゆっくり過ごす旅行が人気になっています。田舎へ移住し、のんびりとリモートワークをする人も増えています。
誰でもこの相反する2つの考え方の両方を取り入れながら生活しているのでしょうが、皆さんはどちらの考え方がお好みですか?
教育について考えてみます。
より効率的で効果的な学習方法等を極めていくのがタイパ主義の教育です。無駄を省き短時間に集中的に繰り返す、できるだけ短時間で答えを導き出す、制限時間内に作業を完成させるなどといった学習活動が例としてあがります。通常、成績という客観的データで成果が測定されます。
一方、スローライフの考え方による教育は、短期間で結果を求めることができません。人間性や道徳性、情熱や意欲は効率の良い指導により育まれるものではなく、たとえ今が好ましい状態ではないとしても今後の成長を信じ、こちらが望む成果が出なかったとしても、その子自身を大切にし、認めてあげることでしか育ちません。
どちらが大切かという議論ではありません。
しかし、近年の学校教育を取り巻く情勢や風潮を考えると、昭和時代の長いイントロの音楽に耳を傾け、その良さを心で感じるような感性を子供達に持たせてあげることも大切なのではないかと思うことがあります。
都万中学校では、無駄な時間や無駄な学習も、時には取り入れたいなと考えたりしています。
実り多い2学期となるために(2023年9月)
令和5年度第2学期が始まりました。修学旅行で始まり、学園祭、新人戦、音楽会、駅伝大会と、大きな学校行事や対外行事が毎月開催される大変忙しい学期です。
正直、少し検討しなければならない状況だと感じています。生徒も教員も行事に翻弄され、普段の学習や生活が疎かになるようでは良くありません。かといって様々な能力を伸ばす機会となる行事は、相当な覚悟と根拠がなければ、簡単にやめることはできません。それぞれの行事の教育的意義を明確にしながら、子供達が成長する行事にしていきたいと願っています。
そんな中行われた2年生の修学旅行、生徒会の学園祭は、子供達の力を大きく伸ばす有意義な学校行事となりました。
修学旅行では、2年生全員が楽しい気持ちで旅行できるよう、お互い思いやりをもって行動しました。教員の指示で動くのではなく、自分で考えながら行動する姿に、生徒の「自立」を感じました。自主研修では、名所旧跡だけでなく、自分たちが本当に行きたいお土産屋さんやカフェ、甘味処などを、バスの路線図とにらめっこしながら巡ります。誰かに決めてもらったルートを回るのではなく、自分たちの旅行を自分たちで作り上げる、そんな創造的な自主研修になりました。
9月初めに生徒会が開催した学園祭。みんなで楽しくはじけたいという願いを「ポップコーン」というテーマに込めました。3年生が中心となって、屋台や出店、音楽フェスなどユニークな出し物がたくさん。生徒数の2倍を超える保護者の皆さんや地域の方に来ていただき、本当に楽しい時間を過ごしました。こんな学園祭は他では見たことがありません。また、午後の体育祭では、わずか1週間程度の準備期間とは思えない完成度の高い応援合戦を披露しました。教室では見せない色々な力を発揮する機会となり、子供達の表情には自信と達成感がみなぎっていました。
このような充実感のある学校行事を作り上げた生徒達の裏には、教職員の裏方に徹したサポートがあります。
○子供の意見や考えを尊重する
○教員が勝手に道筋を決めない
○好きなこと、やりたいことを否定しない
○子供の力を決めつけない
○子供の問題点や課題ばかりを指摘しない
こうした考え方で生徒達の活動を支えるのは、実は簡単なことではありません。教員が直接口を出して指導した方が早く、確実に、しかも高品質な成果を出すことができます。しかしそれでは指導者の自己満足だけで、生徒の自立の力や創造性は育ちません。直接手をかけたい思いをあえて我慢し、生徒達の創造性や達成感を導き出す都万中学校の教職員を誇りに感じています。
私たちはこれからも、このような考え方と姿勢で子供達の「自分で育つ力」を強化していきたいと考えています。
実は、このことは「親子関係」でも言えることです。前述の五項目を「親」として読み替えてみてください。親の立場だと案外難しいですよね。でもちょっと意識して接すると、我が子について何か新しい発見があるかもしれません。
教員の言葉の重みを考える(2023年10月)
文部科学省の調査によれば、小中学校における令和四年度の不登校児童生徒数は前年度比22%増の29万9,000人となり、過去最多を記録しました。5年前の2倍、増加率も加速しています。
なぜこのような状況になったのでしょう?
某市長は「不登校の大半は親の責任」と発言しました。非常に腹立たしく不愉快な発言ですが、そのような考えをもつ人はこの方だけではないかもしれません。「コロナが不登校急増の原因だ」と言う人もいます。果たしてそうでしょうか。
不登校やいじめのきっかけは個々に違えども、それらを生み出す根源的な要因の多くは「学校」にあると、私は考えています。
約150年前に始まった学校教育制度は、ほとんど変化することなく今日に至っています。同じ年齢の子供を同じ教室に入れ、同じ内容を統一されたルールの中で学習させる、これが学校教育の基本です。かつて国力を高める必要があった時代には、この制度が大きく成果を上げました。個々の主張を避け、全員が同じ方向に向かって黙々と励む国民を育成することが高く評価されました。教員が言うことは、ある意味絶対的でした。
時代は変わり、日本経済は衰退、社会の価値観も大きく変わりました。全体の富ではなく個々の豊かさが重視され、働き方や生き方も変容しました。しかし、学校教育はあまり変わっていません。
変わっていないのは教育制度の構造だけではありません。私たち教員の「体質」も、昭和の頃からあまり変化していないように感じています。
近年、「教室マルトリートメント」という言葉を聞くようになりました。マルトリートメントとは「不適切な対応」という意味です。教室内で教員が行う不適切な対応が、学校内に刺々しい空気を生み出し、徐々に子供達を苦しめ、不登校やいじめの要因になっているという考え方です。体罰や暴力は違法であるという認識は強いですが、次のような違法性が弱い言葉については、指導という名のもと正当化され、問題視されにくいのが現状です。昭和世代には当たり前だった言葉です。
「もういい、先生知らないからね。」
「はい、全員やり直し。」
「何回言ったら分かるの?」
「やる気がないなら勝手にしろ。やめてしまえ。」
「そんなこと小学生でも分かるでしょ。」
「まだやってるの? いつまでやるつもり?」
親も「先生の言うことはちゃんと聞け」と言った時代には、誰も問題だと考えませんでした。
社会が大きく変わった現代の学校では、こうした「毒語」が醸し出す冷たい空気が、相互に監視しあうムードを産み、真綿で首を絞めるように子供達の世界を支配します。そして、感受性の強い子やその空気感に耐えられなくなった子は、不登校になったり、他の子を攻撃したりするのです。
教員に限らず大人は、子供に対して「毒語」を使うことがあります。それは我々が受けた過去の学校教育による悪しき性癖なのかもしれません。
自分自身の反省も含め、我々教職員はこのことをしっかり自覚し、子供の人権を守らなければなりません。教員の言葉で子供を苦しめるようなことが決して起こらないよう、今一度学校として振り返り、研修に励みたいと考えています。