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ケチでミニマリストに育った私

幼少期、週末は父方の祖父母の家に預けられていた。だいたい近くのショッピングモールに行き、頻繁におもちゃを買ってくれた。駄菓子屋やカプセルトイのようなちょっとしたものではない。シルバニアの人形や家具みたいな、おもちゃ屋でしか買えない一定の値段がするものだ。
祖母の家には私や妹のためのシルバニアのおもちゃが、キャスター付きの衣装ケース2つにパンパンに入っていた。それでも今日は何を買うかと尋ねてくる祖母に、ついに「この間も買ってもらったから今日はいい」と断ることもあった。

100均に入ったときには祖父が「好きなだけ買っていいよ」と言った。私は身の毛がよだつほどの恐怖を感じた。私がこの店の物を全部買いたいと言ったらどうするんだ!!!私は本当に欲しいものだけを買った。未就学児のときの話だ。

小学6年生のとき、iPodが欲しいと親に言った。本気ではなく、なんとなく憧れて。すると父は買いに行こうと言い、拒む私を連れて電気屋に行き、誕生日でもクリスマスでもないのにそれを買い与えた。全然嬉しくなかった。小学6年生にiPodなど必要なかった。私がそれをちゃんと使い始めたのは中2になってからで、そのころにはもっと新しい機種が出ていた。

父はブランド物が好きで、質がいいものはたとえ高値でも買う。初任給で数千円の物をプレゼントしたところ、その次の私の誕生日でダイヤがたくさん入った指輪を贈ってきた。娘の初任給でプレゼント、喜ぶ気持ちはわかる。けど、高価な指輪をもらって嬉しい気持ちより身に余る気持ちのほうが大きかった。
ほかにも、スポーツブランドの服や靴を買っては贈ってくる。どれもおしゃれだけど、受け取ること、所有することに嫌悪感がある。

私がケチで、ややミニマリストの傾向がある人間に育ったのは、きっと彼らの影響だと思う。かわいい雑貨は好きだが、置き場所を考えると買う気にならない。服やカバンも、持ちすぎることに若干の恐怖すら感じる。妹は私の部屋を「なんもない部屋」と言う。恋人ができても高価なものはいらないと伝えて、実際ブランドもののアクセサリーなどは一度ももらったことがない。
なんでも手に入れたがる贅沢な人間にならなかっただけ良かったのかもしれないが、やや不健康だ。私は化粧品が好きだけど、デパートで高いものを買うと嬉しさとともに罪悪感が生じる。みんな多少は感じるものか?
自分のお金で欲しいものを、純粋に楽しく買う。誰かからの好意を素直に受け取る。そんな当たり前のようなことを、躓くことなくできたらいいのに。

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