[vol.4] 聖書との出会い(2)〜聖書を学ぶと決めたワケ〜
前回、聖書との出会い(1)の最後でも話したように、
なぜ聖書を学ぼうと思ったのかについて話します。
突破口
前回も書いたように私は突破口を探していました。
今思えば自分になんとなく限界を感じていたし、
その現実から目を背けたくもありました。
その時、聖書に巡り合ったんですね。
偏見
偏見だらけでした。
こんなイメージの人きっといらっしゃるはず!!
覆された認識
聖書の中身は一言で言えば歴史です。聖書は歴史書。
その時代何があったか、誰が何をしたのか書いてあります。
私たちも学校で歴史習いますよね。
あれがなんで必要かっていったら、
・自分が住んでる国のことを知る、とか
・昔の人たちの成功や失敗から今に生かせることを学ぶ
目的もあるんじゃないかなと思います。
聖書もそうです。
・自分が住んでる地球でどんなことが起こってきたのか
・神様と人間の間にどんなことがあったのか、
・神様を信じてきた人たちがどんな事をしてきたのか
歴史が書いてあります。
世界史を勉強したことがある人は知ってる名前が出てくるかもしれません!
その歴史を学ぶ事で教訓を得る(、と簡単に言えるほどのものではないですが)
まずここで一つ私の認識が覆ったわけです。
人生は選択の連続
人間生きていくのにあらゆる選択をします。
お菓子食べたいけど、痩せなきゃだし…でも…!というのも選択する場面ですよね
私はこれ1日1回は必ずします笑
(ちなみに一番好きなお菓子は源氏パイです。)
私に聖書を紹介してくださった方も医療の世界で働く方なんですが、
医療の現場では命を前にした選択を迫られます。
正しければその人は助かるし、
間違えればその人は助からないかもしれない
一つ選択を間違えると取り返しのつかないことになりかねないです
"人を救うにはまず自分がきちんと正しい軸を持ってないといけないよ"
と教えていただきました。
軸
軸というのは言い換えると選択の基準です。
何を軸にするかはいくつかパターンがあって、
例えば自分の価値観や考えを軸にしていると、
間違った価値観や考えだと自分は良くても周りに迷惑をかけてしまう恐れがある。
他の人を軸にしていると、
「あの人がああいったからこうしよう」
「こうするとこんな風に自分が見られてしまうから…」など、
人の意見に左右されてしまってブレがちです。
元々人の目が気になるタイプだったので私は割とこれだったかもしれません。
じゃあ一体何を軸にしたらいいのか?
それが聖書で学べると教えてもらいました。
固定観念を脱ぎ捨てて
実際最初はそれがどういうことかわかりませんでした。
でも、
聖書が自分の思っていたようなものではなかったこと
世界で一番読まれている本だということ
正しい選択の基準は確かに必要だと思ったこと
とりあえず学んでみる以外の道を
その時の私は考えることができませんでした。
医者になるなら読まなきゃなと漠然と感じました。
読むも読まないも選択の自由だし
信じるも信じないも自由だから、
まず学んでみる選択をしました。
偏見だらけだったけど
固定観念によってずっと心のどこかで拒絶してきたけど
ま、一旦全部脱ぎ捨てて学んでみよ。って(若いですねえ笑)
この選択が正解だったことは確かです。
もう一つの理由
なんか聖書との出会いを
だいぶ長々と書いてみましたが
(お付き合いいただきありがとうございます)
もう一個聖書を学ぶと決めた理由は
「なんかかっこいい」からです笑
割と人と同じことが嫌いな人だったので、
聖書とか絶対周りに学んでる人いないやろ、え、かっこよくないか?
ってちょっと思ってました笑
そんなこんなで
聖書を学び始めたわけですが、
1人で勉強したわけじゃないです。
たくさん勉強された方にまずエッセンスを教えてもらいました。
(1人なら3日でやめてましたね。確実に)
次回からは聖書を学んでどんな変化があったのか
どんなことが良かったのか書けたらいいなと思ってます
最後まで読んでいただいた方ありがとうございました✨