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【雑記】たまたま立ち寄った本屋で読んだ小説が僕を変えてくれたお話【受験期のおもひで】
冬、受験シーズンになると思い出すことがある。
作家、宮本輝の作品と出会った時のことだ。
宮本さんは、芥川賞や紫綬褒章などの受賞歴を多数持つ、現代日本の文学界における最高峰の作家だ。
僕は宮本さんの大ファンで、彼の作品をこれまでたくさん読んできた。
読む度に心が震え、生きる力が湧き起こり、自分の人生を見つめてきた。そして今日まで生きてきた。
僕の人生の師匠と勝手に呼ぶほど、尊敬し、影響を受けてきた。
そんな宮本輝の作品との出会い。
あれは18歳、僕も受験生だった頃。
そのことについて、ふと書きたくなった。
話は高校時代。
僕が通っていた高校は3つのコースに分かれていて、
ひとつはヤンキーばかりが集まるアホコース。
もうひとつは至って普通のコース。
みっつめが、特進コース。
僕は特進に通う生徒だった。
この学校の特進とは、部活禁止、週7日登校、朝から晩まで授業というスケジュールで大学入試に向けて日々励むという、過酷なコースだった。
しかし僕は、勉強を頑張りたくて特進に行った訳ではなかった。
中学3年の夏頃に、人間関係が上手くいかず孤立してしまった僕は、学校には毎日行っていたものの、保健室に入り浸り、孤独で鬱屈した日々を過ごしていた。
いよいよ志望校を決める時期になると、一応コツコツ勉強して成績が伸びつつあったこともあり、僕は自分の実力より少し上の高校を目指すことにした。
当時の風潮は安全圏狙いで、クラスメイトのほとんどが自分の実力相当、もしくは実力よりワンランク下げたところを志望していた。
そんな中で、明らかに実力以上の高校を志望する僕に、先生は何度も考え直した方がいいと説得した。
しかし、なぜか僕は志望校を変えるつもりはないと、先生の説得を聞き入れなかった。
今思えば、僕なりの反骨心だったのだろう。
イケてない中学生活を送っていた僕がいい高校に行くことで、挑戦から逃げた安全圏狙いのクラスメイトを見返してやりたい。そんな気持ちがあったのかもしれない。
※安全圏狙いは決して悪いことではなく、むしろ正しい選択だと今は思っています。
そうして挑んだ高校受験。
結果は不合格。僕の挑戦は失敗に終わる。
僕は滑り止めで受けていたとある高校の特進コースに進学することが決まった。
さすがに悔しくてしばらく凹んだが、孤独な中学生活がこれで終わることは間違いないし、挑戦したことに悔いはない。
そう気持ちを切り替えて、高校生活をエンジョイするぞ!と僕は入学式に向かった。
ところで、特進ってどんなところなんだ?
特進はだいたいの進学校を受験する人が滑り止めにしていて、僕もそれに倣って受けていたのだが、実はあまり詳しいことはわかっていなかった。
なんとなく、勉強に力を入れているところなんだろな〜というイメージしかなかった。
そんな状態で入学式に向かい、式が終わった後のオリエンテーションで説明を受けた僕は、絶望する。
冒頭で書いたような、地獄のような勉強特化集団。それが特進コースだった。
それから毎日。
休みなく勉強する日々が始まった。
思い描いていた青春はどこにもなかった。
朝から晩まで勉強勉強。
授業の内容は難しいし、宿題の量も尋常ではなかった。
少しでも成績が落ちると、担任に呼び出されて説教をされた。
僕は理数系が大の苦手で、1年の1学期から赤点続きだったので、先生からは怒られてばかりだった。
校内を歩けばヤンキーたちに「ガリ勉がキモいんだよ」と肩をぶつけられて嫌な思いをしたし、
夕方の授業中に窓の外を見ると、普通コースの生徒たちが部活に励んでいる様子や、制服で近くのカラオケに行く姿などが見え、羨ましくて仕方なかった。
授業が終わって夜遅くの電車に乗ると、田舎のJRには人が全然乗っておらず、静かな車内の窓に映る自分のくたびれた顔をぼんやり見つめていた。
そんな日々の中、一番辛かったのは朝の電車だった。
僕が住んでいたのは駅がひとつしかない田舎の町で、みんなそこから隣の大きな街にある高校に通う。
つまり、朝の電車に乗ると、中学時代のクラスメイトたちがみんな乗っているのだ。
彼らはみな、顔がキラキラしていた。
新しい友達や恋人の話、部活のこと、今度の休みに遊ぶ予定、些細な日常の話。
青春を謳歌する彼らの楽しげな声は、僕の胸をとことん抉った。
別に高校では孤立していた訳ではなかったし、毎日過酷な環境を共にしていたためか、クラスメイトとは仲がよかった。そこは救いだったし、それなりに楽しかった。今思えば、あの時の友人は紛れもなく、青春を共にした仲間だ。
だけど、それ以外に僕が思い描いていた青春はどこにもなかった。
孤独な中学生活から脱し、いい高校でエンジョイするはずだった僕は、結局誰のことも見返すことができず、過酷な勉強の日々を過ごしている。
あの時に意固地にならなければ。
自分も安全圏狙いで受験していれば。
そもそも、見返すってなんなんだ。
誰も僕のことなんか気にしちゃいないだろ。
勝手に一人で闘ってる気になって、
勝手に負けて、そして今がある。
情け無い。恥ずかしい。つらい。
そんな思考が頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。
電車の中で僕は、周囲の声が耳に入らないようにイヤホンをはめて、爆音でナンバーガールやミッシェルガンエレファントを流し、
周囲のキラキラが目に入らないように固く目を瞑って寝たふりをしていた。
しかし、鬱屈した気持ちが心の中に渦巻いて、なかなか寝られなかった。
そうしてあっという間に2年が過ぎ、3年生。
いよいよ受験生になると、特進のスケジュールは過酷さを増す。
毎週日曜日には模試対策のテストが実施され、
平日も夜遅くまでとにかく勉強が続いた。
担任含め先生たちの追い込みも激しく、クラスのみんなはどんどん疲弊していき、教室はいつもどよんとしていた。
毎日遅くまで残っていたので髪の毛を切る暇もなく、気がつくと僕はボサボサのキモロン毛になっていた。
そんなある日、ふと思う。
髪の毛も切れない程こんなに毎日頑張っているけど、僕は大学に行って何がしたいんだ?
別に将来の夢もないし、目標もない。
やりたいこともない。
今はただ、この日々を終わらせるために勉強しているだけだ。
朝起きて学校行って勉強して帰って寝る。
そうやって日々を過ごし、いつか終わるのを待つ。
それだけだ。
そんなマシーンのようになっていた僕は、いつしか趣味だった音楽を聞くことも、本を読むことも辞めていた。
音楽を聞いている暇があったらリスニングのCDを聞き、小説を読む暇があったら参考書を読め。自分で自分にそう言い聞かせていた。
振り返ると、僕は高3の夏〜秋頃の記憶が全然ない。
それ以前のことは断片的にでも思い出せるのだが、その期間だけはすっぽりと記憶がないのだ。
ただ覚えているのは、世界から色が消えていたこと。
視界がすべてモノクロだった。そんな世界で生きていた。そのことだけは、なんとなく覚えている。
雪が降り出しそうな寒い日だった。
僕の世界に突然、色が戻った。
あれは運命だった。今もそう信じている。
ある日の帰り道、僕は本屋に寄った。
問題集か何かを買うためだったと思う。
目当ての問題集を持ってレジに向かう途中、何故か僕はふらっと文庫本のコーナーに寄った。
ずらりと並んだ文庫本の背を眺めながら、
「あぁ、前は宝の山のように思えたのになぁ」と、
すっかり読書への興味が失せてしまった自分を鼻で笑った。
ふと視線を落とすと、平積みにされた本が並んでおり、そこに宮本輝の『螢川・泥の河』という小説を見つけた。
宮本輝……まったく知らないな。
まったく知らないなら素通りしそうなものだが、僕は何故かその小説を手に取った。
どうやら『螢川』と『泥の河』というふたつの中編小説が収録されたものらしい。
僕はなんとなく1ページ目を開いてみた。
まずは『泥の河』から始まるようだ。
堂島川と土佐堀川がひとつになり、安治川と名を変えて大阪湾の一角に注ぎ込んでいく。その川と川がまじわるところに三つの橋が架かっていた。昭和橋と端建蔵橋、それに船津橋である。
藁や板きれや腐った果実を浮かべてゆるやかに流れるこの黄土色の川を見おろしながら、古びた市電がのろのろと渡っていった。
これは戦後から10年程経った頃の大阪が舞台で、
僕にとって馴染みのない固有名詞や情景が描かれていた。
この冒頭を読んだ瞬間、僕の心と身体は痺れた。
衝撃だった。
平成の北海道の田舎に生まれ育った僕の頭の中に、行ったことも見たこともない昭和大阪の風景が、鮮やかに浮かんできたのだ。
オーバーな表現ではなく、本当に僕は痺れた。
そのままページを捲り続けると、どんどん文章に惹き込まれていく。どんどん脳裏に大阪の景色が色味を伴って広がっていく。
しばらく読んだところではっと気がつき、こんなことしてる場合じゃない、と問題集を持ってレジに向かったが、その手にはしっかりと宮本輝の小説が握られていた
問題集そっちのけで、帰りの電車の中で買ったばかりのその小説を読んだ。家に帰っても読み、学校でも読み、僕はあっという間に読み終えた。
2つの中編はどちらも著者の幼少期や思春期をモデルにしていて、時代や人間関係の濁流の中で苦しみ、もがき、時に理不尽さに心折れながらも、それでも生きていく人々の姿が描かれていた。
こんなに心を揺さぶる小説があるなんて…。
孤独だった中学時代、意地になって失敗した受験、
またしても鬱屈している高校生活、
色のない日々、未来の見えない日々。
僕が抱えているものすべてを、このふたつの小説は描いているような気がしたし、同時に僕にないものがすべて詰まっているような気がした。
そしてそれらの物語は、今の自分の心を抉り、痺れさせ、生きている力をくれたような気がした。
見たことも聞いたこともない、まったく別の時代・場所の情景を、文章だけでこんなにも鮮やかに想起させ、そして生きる力をくれた作家、宮本輝。
僕は高校を卒業したら、彼の作品をしこたま読もうと決めた。
それを受験を頑張る目標にしてもいいじゃないか。
そう思って学校へ向かったその日。
僕の目の前からはモノクロの世界が消えていて、
色鮮やかな風景が広がっていた。
そして迎えた3月、ぼくは第一志望の大学には残念ながら落ちてしまったのだが、同じくらい行きたかった別の大学に合格した。
宮本輝の出身地である関西圏の大学だった。
高校の卒業式から大学の入学式の間、僕は宮本輝の本をとにかく読みまくった。読めば読むほどハマっていった。
そして物語を創るという世界に憧れるようになった。
そういう思いもあって、大学では演劇サークルに所属し、活動に明け暮れた。
一緒懸命創作に打ち込んで、楽しいこともあったが、苦しい時期もあったし、辞めようと思うことも何度もあった。
だけど、そんな時にはきまって宮本輝の作品を読んで、前に進む力をもらってきた。
そして、彼の作品が僕の心を痺れさせてくれたように、僕も誰かの心を痺れさせたい。
そんな思いを胸に、演劇の表現活動に励んでいた。
月日は流れ、受験生だった頃から10年ちょっとが経った。いまの僕だ。
大学卒業後も僕は、社会人劇団に所属して演劇活動を続けていた。
だが、数年前から劇団員の結婚、出産、仕事など、いろいろと忙しくなって公演を打つ時間が取れなくなり、とうとう劇団は活動を休止することになった。
演劇も10年くらい続けたし、ここらで僕も表現活動から距離を置こうかな。
そんなことを思って日々を過ごしていたのだが、やっぱり僕は表現活動が好きなようだった。
何かを作りたい。表現したい。
そんな気持ちが止まらなかった。
じゃあ演劇の次はなんだろう。
小説だ。小説を書こう。
思えば読書好きだった幼い頃から、空想や物語を作ることが好きだった。
中学生の頃に初めて小説を書いた。
大学時代は宮本輝のような話を書いてみたいと、演劇の傍らで文学賞への応募を目指したこともある。
だけど「なんとなく書き始めて、いつの間にかやめてしまう」ことの繰り返しだった。
いつもいつも、ネタを思いついて執筆を始めては、忙しさを言い訳に辞めてしまう。そんなことばかりだった。
そんな日々に終止符を打ち、
そろそろ本気で書いてみる時じゃないか。
僕に生きる力をくれた大作家・宮本輝のように、
誰かの心を痺れさせる、そんな小説を書いてみたくはないか。
中高時代の僕のように鬱屈した少年少女や、苦しさや悲しみを抱えながら生きる大人たちを感動させる。
そんな小説が書けたなら、
あの頃の僕が報われる気がする。
そうして僕はいま、小説の執筆に励んでいる。
なかなか難しいけれど、じっくり向き合って最高の作品を書いていきたい。
受験の話からずいぶん逸れているような気がするが、この想いはやはり受験期に出会った宮本輝の作品がくれたものだったし、あの瞬間に僕は人生を変えられた。
あれは偶然ではなく運命だったと今も信じている。
僕が、いま受験の真っ只中で頑張る学生さんたちに伝えられることは少ないけど、ひとつ言えるのは、人生はいつどこで何があるかわからないということ。
偶然立ち寄った本屋で人生が変わることもある。
だから、いまがすごく辛くても、
しんどくても、逃げ出したくても、
思うような結果にならずとも、
前を向いて進むことをやめず、
できれば本を読んだりして世界を広げながら
人生を歩んでみてほしいな。
と思います。
がんばれ、受験生!
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だいぶボロボロだけど、いまも大事に持ってます。