カチコチのアイスクリームのように固まった不安をひとすくい
これはあくまで私の経験談。だけど、「あなたの心の中に溜まったカチコチのアイスクリームみたいな不安を、アイスクリームのスプーンでひとすくいするぐらいちょっとでも、取り除けたらいいな」そんな気持ちで公開するに至りました。
①心の病・心の孤独
社会人3年目の夏に差し掛かろうとした頃、私は心の病気になりました。気がついたら適応障害と診断されていました。
ただ、本当の地獄はその後。心の病を経験し、心の病に対する社会の目が病状に追い討ちをかけることを知りました。だから、辛い思いをする人がこの文章を読んで「1人じゃないんだ」と、思ってほしい。ここがあなたの心の孤独と繋がれる場所になったら嬉しい。今はそんな気持ちです。
②トンネルの入口
今年の春、上司が代わり、部署の人数が増え、私は部署の古参となりました。「頼りになる人だと思われたい」そんな一心で、どんな仕事に対しても嫌だなって気持ちに蓋をしていました。
2年かけて自信を持って進められるようになった仕事は人に引き継ぐことになり、主担当と呼べるものがなくなっていった私は、"頼られる人"になることで職場での存在意義を保とうと必死でした。
後輩が起こしたミスも頭を下げて、下げて、下げて…共有されていなかったことも頭を下げて…「今日、〇〇さんいてくれてよかった」「今日いてくれて助かった」という職場の方々からいただいた言葉は、"頼られる人"になりたいという気持ちをどんどん満たしていきました。同時に消しゴムのように自分の心がゴシゴシとすり減っていく感覚がしていました。
③長いトンネルを歩く
「まとまる消しゴム 劇落ちくん」って知ってますか?
練り消しブームまっただなかで生きた小学生時代に流行った消しゴムなんですが…消しカスがまとまっているから、いい練り消しになるんです(笑)その分消しゴムの消耗も早いのですが…
まさに劇落ちくんのように日々たくさん削られていく私は、社会に出て初めて自分の存在意義が分からなくなっていました。
「あなたは、どんな仕事も嫌な顔せず進めているから評価しています」という所属長からの言葉が毎日ぐるぐると頭の中でまわり続け、気づけば眠れなくなっていました。早く寝たいのに気がつくと夜中の3時、焦りで泣けてくる。焦りたくないから、早めに市販の睡眠導入剤を飲む。日中はなんだか体が重い、コーヒーがないと仕事ができない…やりたくないことも我慢するのが仕事。社会人ならストレスを抱えているのは当たり前のことだし、眠れない日があるのも当然。仕事もある、お給料をいただいているのに、眠れないから休みたいなんて贅沢すぎる…周りは働けている…そう考えると今日もまた眠れない。
「眠るのってこんなに大変だったっけ?」
毎日眠るのが一苦労。だから夜が来てほしくないと毎日思っていました。
④トンネルの名前
大学時代の同級生とたまたまオンライン飲み会をした時、「最近薬がないと眠れない」と話をしたところ、「それ普通じゃないよ」と言われ、初めて自分の普通が狂いました。
そして、友達の友達経由で紹介していただいた精神科に行く日がやってきました。
早く眠れるようになりたいという気持ちから、精神科に行くことへの躊躇いは、ありませんでした。
先生と話しているうちに苦しいと思ってきたことが溢れ出て、気づいたら泣きながら話していました。
「あなたは適応障害です。適応障害は、ストレスの原因から離れているときは元気でいられます。仕事が原因なら、休むか転職するかをお勧めします」
病院に行くこと自体に戸惑いはなかったはずなのに、病名をつけられると途端に社会からはみ出した感覚になり、ショックで涙が出ました。
ちょうどその頃「働けなくなりそうなので少し休みたい」と、上司に泣きながら訴え、10連休をいただきました。実家に戻り、休息を取ろう…そう思った矢先、本当の孤独がはじまりました。
⑤出口のないトンネル
適応障害の診断を受けた後、田舎に戻っていた期間に地元の祖父母の家に行きました。
「仕事頑張ってるの?ならいいよ。すぐに辞めちゃう子もいるからね…」グサっ
「今何年目なの?」「彼氏は?」「結婚は??」グサ、グサッ…
おじいちゃんとおばあちゃんのことは大好きでした。ただその頃の私のメンタルにはどの言葉も耐えられず、「帰ろう…」と、母にそっと呟くことしかできませんでした。
情報処理能力がなくなり、帰りの車の中は、眠いと言って黙っていました。(ほんとは涙がボロボロと出てくるのをマスクで隠していました。)途中で寄ったドラッグストアのトイレでこっそりと泣いて、何もなかったフリをしました。
決められたルートを歩くことが当たり前なのか…それが美徳とされるのはなぜか…
それまでも「10連休を取るなんて大丈夫なのかな?」と職場で囁かれ、「父方の祖父にも、今回の帰省は長いが大丈夫か?」と、聞かれました。
そこで思ったのです。
「辛いんだ。普通の生活が送れなくなっていく自分を誰よりも辛いと感じているのは私なんだ!」「だから、それを逆撫でする様なことをこれ以上言わないでくれ…!!」
適応障害は、ストレスの原因となっているものから離れているときは一見元気でいられます。笑顔も出てきます。しかし、ストレスの原因となることと繋がる感覚を感じると、不安の波🌊が襲ってきます。
たとえ休んでいたとしても、楽しいことの中にストレス源を思い出す影を見つけるだけで、ストレス源が頭から離れなくなり…私の場合は無口になる。周りに対してイライラする。涙がでてくる。というループを繰り返していました。
「楽しんでいる」「笑顔が出てきた」と、周りから思われるので、病気であることが気付かれづらいのかもしれません。
でも心配されないよう必死に笑顔を作っているだけなのかもしれないと、気づいて欲しい。
「笑顔が出てきたから大丈夫そうね」というのは、《ちょっと待って!その笑顔、あなたのためにつくったつくり笑顔かもよ》と言いたいです。
心の病気は、まだまだ社会の認識が足りていないんだなと、実感する日々でした。
だからこそ、社会の目を少しずつ変えていかないと、本当に病気で苦しむ人を"より孤独な存在"にしてしまうと、実感を持って伝えられます。
⑥トンネルを歩いて見つけた出口
"病気になるほど辛いことは辞めたっていい"
私が病気になるほど苦しんで出した答えは、職場を離れるという決意でした。
お金、地位、親の期待に応えている自分。職場の人に頼られたい気持ち。「私は誰のために働いているんだ??」
幸か不幸か、病気になって初めて振り返る時間ができ、自分のために働いてこなかったことに気がつきました。お金や周りの期待を背負って生きることがこんなに苦しいなら、それを置いてもいい。私は私のやりたいことをやろう!という決心が、病気になったことでできました。
ちょうど今もnoteを書いているのは、「自分が発信したことが誰かの生きる糧になってほしい」そんな気持ちになったためです。
私の選んだ言葉が、誰かの心にダイレクトに届くように丁寧に丁寧に言葉を選んでいく…「そんなことがしたい!」と思い、諦めかけていたメディア業界への転職を目指し、転職先を決めました。
今までいただいてきたお給料の額や、「大きな会社で働いているから安心だね」という親の期待は置いてきてしまったかもしれない…
でもそれ以上に1番大切な、「やりたいことをやる自分」を得ました。
私の文章を読んでくださってた方の中には、真っ暗の長いトンネルを歩いている人もいるかもしれません。辛いよね、どうして自分は普通の生活も送れなくなってしまったのか、〈就職して同じ会社で働き続けること〉〈結婚して子供を産むのが当たり前〉そのルートから外れたやつはどうして腫れ者のような目で見られるのか…苦しくて、胸の奥をぐっと掴まれる感覚がして、大粒の涙がこぼれ落ちるね。
そんなあなたの心に私の言葉が届いてほしい。
あなたに対して向けられる社会の目は私が少しずつ変えていくからね。だから私は言葉にするし、今後も言葉にし続ける。
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