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くいいじ 菜食

【2009年発行】「食べ物連載 くいいじ」(文藝春秋刊)に掲載した文章をnoteに再掲致します。記事の内容は原稿制作当時の出来事です。
(スタッフ)

食べ物連載「くいいじ」 菜食

日本の菜食主義者人口は一体どれくらいなのだろうか。
昔ながらの普通の日本食を食べていればそれだけで既に菜食に近いものがあるけれど、身の回りに菜食主義の人はそう居ないようにも思う。
私の身の回りで唯一の菜食者は夫である。

そうは言っても彼の場合は本当の「菜食主義者」では無い。
その証拠にトンコツラーメンとか食べてるし(チャーシューは私にくれる)、卵や乳製品も大好物。
ただ単に激しく肉と魚が嫌いと言う事らしい。
よって当然ながら食べられるものが大きく制限されて来る。

つき合っていた当初は特に気にもしなかったが、デートはうどん屋かお好み焼き屋に限られていたのがお年頃の私としては哀しかった。
デートと言えばイタリアンかフレンチでしょ!!
和食なら寿司でしょ!!
と言うアホ女子だったので、うどん…って。と意気消沈する事もしばしば。

お好み焼き屋に入れば「豚玉豚ヌキで!!」と言う謎の注文をし、それに焼きそばを入れた広島風に餅をトッピング。
ご飯をサイドオーダーと言う主食のみで構成された珍しい食事風景を目にする事になった。
初めのうちこそそんな事すら楽しく感じていたものの、元来肉と魚が大好きな私はそのうちにストレスを感じる様になってしまった。
何故なら居酒屋に入ってもイタリアンに入っても、二人分で取り分ける事が出来ないからだ。
例えば刺身が食べたい…と注文しても一皿を一人で食べるとなるとかなり量が多い。
他の肉モノに関しても同じで、結局自分の食べたい物をひとつ頼んだら、後は夫の頼んだ物を少しずつもらうしか無い。

夫が食べられるのはいつもほぼ決まっていて、和食なら冷奴と厚揚げ、海苔茶漬けや芋や南瓜の天ぷら。
イタリアンであればピッツァマルゲリータとペペロンチーノのパスタ。
トマトやチーズだけの物に限られて来る。
ジェノベーゼや野菜だけに見えるバーニャ・カウダはソースの中にアンチョビが入っているので駄目なのだ。

海老しんじょうやムール貝のワイン蒸しが食べたくて気が狂いそうになっても一人では食べきれないので我慢をする。
そして次の日友達や編集者、スタッフ達と雪辱戦である。もう、これでもかー!!と言うくらい頼んでわしわし食べる。
生ハムにキャビアのパスタ、さんまの刺身に地鶏の塩焼き。
まるで彼氏の前では吸わない人間を装いトイレで一服する喫煙者の様である。

誤解の無い様に記すけれど、夫は自分が菜食だからと言って私にそれを強要する事は決して無い。
むしろしょっちゅう気を使っていて、好きな物を頼め、好きな物を食べろとすすめてくれる。
しかしいくつも頼んでちょっとずつつまみ全部残す様なもったい無い事は、しろと言われても出来ない性分だ。
大好きな食べ物が、食べられる事なく廃棄されて行くのを想像しただけで…耐えられない!!

私の方こそ夫に幾度となく肉を食べてみろ、魚をつまんでみろと強要したのだけれど、どうしても受け付けない。
よく考えてみれば四十年以上動物性たんぱく質を摂った事の無い体に、急にそんな物を入れても消化できないかも知れず、かえって体に良くないのではと言う気もする。

その代わりと言っては何だけど彼は大豆食品が大好きで、豆腐にお揚げ、厚揚げはもちろん高野豆腐をよく食べている。
海藻類も好きなので海苔やわかめ、昆布もよく食べる。
蕎麦屋に入って必ず注文するのは山かけだ。
こうして改めて見れば、テレビでよく見るご長寿村の長生きの秘訣メニューみたいなことになって居るでは無いか!!
彼のお肌は年齢の割には美しく、髪も減少していない。
不規則な生活な割に健康だし、何と言っても性格が穏やかなのである。
なんだかちょっとうらやましくなって来た。

うらやましいと言えば、旅館などに泊る場合は普通の料理だと殆ど食べられる物が無いので予約の時に精進にしてくれる様にお願いするのだが、決まったメニューを消化するのに飽きた板前さんの料理人魂を刺激するのか、大抵ものすごい凝ったものが出て来る。
見た目にも美しい野菜のゼリー寄せ、湯葉の豆乳スープ、三種もの手作りの刺身こんにゃく…。
毎回あまりにも美味しそうで、山海の珍味やヒレステーキ、伊勢海老が並ぶ自分の普通のご馳走よりそっちが食べたくなってしまい、遂には自分も精進でお願いしてみた。
すると、全部食べてもお腹がはち切れそうと言う事もなく丁度良く満腹。
しかも何やらスッキリとした気にすらなるのである。

肉も魚も大好きなので食べなくなる、と言う事は無いかも知れないけれど、少しずつ自分が菜食寄りになっているなぁと感じる今日この頃。
旅館の精進料理、一度試してみるのをおすすめする。

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