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夜の黒豆茶はトロイメライを聴きながら。
思ったよりも苦しいの濃度が高かった年末年始。
年始早々、満身創痍。
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苦しかった理由はなんとなくわかっている。
同窓会に行ったら、旧友たちがとてつもなく素晴らしいキャリアを築いてキラキラしていたこととか。
実家に帰ったら、うつ病を抱えた家族の言動に気を遣ってばかりいたこととか。
ここ最近順調に穏やかだった私の心は、他人の人生の山と谷を一気に見せられて疲労困憊。
(おまけに生理。そして仕事始め。)
前回の記事で書いた通り元日早々に10年前の私からエールを貰ったにも関わらず、崩れる時はいとも簡単に。
もう、新年にふさわしくないくらいの陰気モードです。すみません。
たぶん、この陰気モードはもう少しだけ続きそう。
そんな日々の中で忘れた頃に届いたひとつの急須。
この冬、黒豆茶にハマった。
冬の自販機ではいつもココアかミルクティーを選びがちなのに
全然甘い気分ではない日があって。
「なんでもいいや」で選んだのは黒豆茶のちいさなペットボトル。
特に理由も思い出もない平凡なこの日を境に、なぜか私は黒豆茶の虜になった。
…そういえば、家でも飲みたくてネットで急須を買っていたんだった。
年末年始のいろいろですっかり忘れていた。
せっかく届いたから、あたたかいお茶でも飲んで心を落ち着けよう。
とりあえずお湯を沸かしてくる。
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ところで私は、無音が苦手なタイプだ。
仕事をしている時も、家事をしている時も、
音が、できれば誰かの話し声が、あってほしいと思う。
自分自身は人と喋るのが苦手なくせに、歌よりも話し声を恋しがる。不思議だ。
だから普段はゲーム配信やトーク番組などをずっとかけているのだけれど
今日の私はめずらしく「凪」を求めている。
笑い声も騒ぐ声も何かを達観している風に話す声も、全部が癇に障る日だ。
陰気モードなのでね…。
良いことであれ悪いことであれ、もうこれ以上私の心を揺さぶらないでほしかった。
そんな気分でチョイスした今日のBGMは
シューマンの『トロイメライ』。
原題《Träumerei》。
『夢』、『夢想』を意味する。ピアノ曲集『子供の情景』の第7曲。
小学生の頃、ピアノ教室で弾いた中でいちばんお気に入りだった曲。
私が知る中でいちばんメロウな曲。
とろけるようなメロディは、無心で聴いているとあまりに心地よくて夢へと誘われそう。たった3分の特効薬だ。
シューマンのピアノ曲集『子供の情景』は、「子供心を描いた、大人のための作品」だそうで、
子供の頃に弾いた曲を今しみじみと聴いているのも、それがこの上なく心地良いのも、なんとなくしっくりくる。
何度もリピート再生していると、ピアノ教室に通っていた時の情景が思い出されて、いつのまにか瞼の裏で小さな私が夏の小道を歩いている。
現実は冬なのに、この曲を聴きながら思い浮かべたのは蝉の鳴き声が響き渡る夕暮れ時だった。
そうやって懐古しながら時を過ごしていると、だんだんと自分が自分であることが愛おしく感じてくる、気がする。
気づけばお湯が沸いていた。
じゅうぶんに蒸らしてから黒豆茶を注ぐと、香ばしい香りが肺を満たす。
急須から流れ出るコポコポという音は、いつもコーヒーを淹れるのに使っているバルミューダのポットのそれよりも太くて柔らかいような…。
トロイメライを聴きながら黒豆茶を飲む時間の幸福度、とんでもなく高い。
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