中学時代の4人組
久しぶりにYさんに電話した。
また転んで腰を傷めたと言っていた。
去年の春からこれで4回目だ。どうしてそんなに転ぶのだろう。
Yさんにそう訊くと、体が曲がっているからという返事だった。
Yさんは若い頃、マンションの屋上から飛び降りて背骨を折っている。
奇跡的に命が助かり、脊髄を損傷したので歩けなくなるかもしれないと言われたのに、これまた奇跡的に大丈夫だった。
ただ、年とってから体が曲がって、前屈みの状態から体を起こせなくなってしまったそうだ。
それで出掛けるときはカートを押していくと言っていたのかと思った。(去年の春に電話したらそう言っていた)
Yさんに電話したのは、4人組のMさんの電話番号を教えてもらおうと思ったからだった。
Mさんは4人組で唯一結婚して名字がIさんに変わっているが、つい癖で、Yさんと話すときは旧姓のMさんと言ってしまう。
Mさんとは私が虎の門病院を退院してからもしばらくお付き合いがあったが、同じ町内でもっと狭い場所に引っ越したときに住所を教えなかった。
電話番号は同じだったので、電話を掛けてきて住所を教えてと言われた。
教えないでいたら、何度も電話してきて手紙も出せないと言うので、出してくれなくていいと言った。
それっきり電話してこなくなったので、私がここに越してきたことも教えていない。
私の被害妄想だったかもしれないが、Mさんはどうも人の不幸を喜ぶようなところがあるように感じられた。
Yさんにそう言うと、この病気の人はそういうところがあるという返事だった。
Mさんは双極性障害(躁鬱病)で、気分の上がり下がりが激しい。
結婚後に一時入院していたこともある。
本人が言うには、病院で先生に楽になる薬はないかと訊いたら、即入院させられたということだった。
Yさんも双極性障害だ。それに統合失調症もある。
子供の頃からずっと父親の言葉の暴力を浴び、夜、家から出されて入れてもらえなかったそうだ。
中1のときは学校から一緒に帰り、ときにはYさんの家に寄っていたが、そんなことは全然知らなかった。
Yさんは父親に罵られ、死ねと言われて育ったせいで精神を病んでしまい、学生時代に3回自殺を図っている。
マンションの屋上から飛び降りたのは3回目のことだ。
40代の終わりに会ったときは、そのせいで身長が低くなったと言っていた。
その後、心を病んだ人の集まりに出て、そこで友達もできているそうだ。
双極性障害といえば、去年の春から夏にかけてYさんに何度も電話したが、あるとき、
「あなたって双極性障害なの?」
と聞かれた。
「双極性障害って?」
「躁鬱病。いつも躁状態のときに電話してくるの?」
「やぁね、違うわよ。私は躁鬱じゃなくて、躁躁なの」
いつも元気でテンションが高いので、躁状態のときに電話してくるのだと思ったらしい。
私は躁鬱でもないしウツでもない。
アンヌさんみたいな人は絶対ウツにはならないと、みんなに言われている。
昔、ときどき3人で会っていた頃、Mさんに誘われて用事があったので断ると、それならYさんだけ誘うと言ってきた。
「2人で盛り下がってくるわ」
同じ病気の2人で、どんな話をして盛り下がったのだろうか?
私は最近気持ちが変わって、Mさんに電話してみようかという気になった。
そこで休みの日に掛けてみたら、もうこの番号は使われていないというアナウンスが流れた。
多分、携帯電話だけにして固定電話は外してしまったのだろうと思い、YさんにMさんの携帯番号を訊いたのだった。
ところが、YさんもMさんの携帯番号は知らなかった。
「Mさんは新潟に引っ越したのよ」
と言う。
ご主人が新潟に転勤になったのだろうかと思ったが、もしかしたら定年退職後、郷里に帰ったということも考えられる。
新潟はご主人の郷里なのだろうか。
手紙を出してみようと思ったので、Yさんに住所を知っていたら教えて欲しいと言うと、探さなければわからないという返事だった。
いつでもいいから探して教えてと頼んでおいた。
Mさんが双極性障害になったのは、結婚したら自分が家事をしなくてはならなかったからだそうだ。
親元にいるときは、母親がご飯の支度や片付けはもちろん、社会人になった娘のものを洗濯までしていた。
それなのに、結婚して食後の散らかったテーブルを見て、これを自分が片付けなくてはならないのかと思ったら、憂鬱になってしまって、それで病気になったと言っていた。
うちでは母がみんなに、高校生になったら自分の洗濯物は自分で洗うようにと言ったので、私も弟たちもそうしていた。
食べたものは自分で片付ける。
母が作ったものを食べたくなかったら、自分で好きなものを作って食べ、後片付けも自分でする。
だから、うちでは同じ家に住んでいても、各自が好きな時間に好きなものを食べていた。
まるで、シェアハウスに暮らしているような生活だった。
Yさんは、Mさんは中学のとき男の子に人気があったと言った。
私は初耳だった。
「そうなのよ。Mさんのそばには男子が群がっていたの。年賀状も32枚もらったって」
「そんなの知らないわ。Mさんは美人でもないじゃない。Kさんは美人だったけど」
「Kさんは美人だったわね。あんなにきれいな人はいないってくらい」
そう、4人組のKさんはとても美人だった。
青学を出て、エホバの証人に入って、家も出てしまった。
幹部になって、拠点に泊まり込んでいるらしかった。
Kさんのお母さんに電話してKさんの電話番号を教えてもらい、掛けたことがある。
結婚しないで一生を神に捧げるなんて、と思い、
「あなたは随分いろんな人からお話があったでしょうに」
と言うと、
「ええ。でもみんなお断りして」
と言っていた。
Mさんのことに話を戻すと、Mさん自身は自分のことを恋多き女だと言っていた。
保険会社に勤めていたが、営業所長と不倫して、子供もいたのに離婚させた。
その慰謝料に、自分が働いたお金を1,000万も払ったそうだ。
Yさんにそう言うと、Yさんは不倫の話は全然知らなかったと言った。
「親の借金を返したとは言っていたわ。1,500万だって」
「それは知らなかった。でも、慰謝料に1,000万、親の借金に1,500万って、すごいわね。Mさんが勤めていたのは3年ぐらいなものだと思ったけど。退職金も含めてかな」
「Mさんは自分は努力の人間だって言っていたの。人より1時間早く仕事に行って、1時間遅く帰るんだって」
「それで3年かそこらで大金を稼いだわけ?」
Mさんは、不倫して結婚して3人も男の子を産んで、今頃おばあちゃんと呼ばれているんだろうな。
自分は恋愛、結婚、出産という、女のフルコースをやってきたと言っていたっけ。
Yさんは、
「この世ではできなかったけど、来世では恋愛して、結婚して、子供を産むの」
と言った。
Yさんは寝たきりになったお父さんを介護して見送った。
その後でお母さんもまた寝たきりになり、Yさんが1人で面倒を見た。
お父さんが介護状態になったとき、仕返ししてやろうと思ったができなかったと言う。
自分を苦しめた父親の面倒を見て看取ったのだから、この世では果たせなかったことが、来世ではきっと叶うといい。
今もマンションの屋上から飛び降りて怪我したときの後遺症で背骨が曲がり、カートがなければ外出できなかったり、家の中でもよく転んで腰を傷めるそうだが、残り少ない人生を楽しく暮らして欲しいと願っている。