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大正時代生まれの私のおばあちゃんから学ぶこと〜憧れ編〜

私のおばあちゃんは大正11年生まれ

今年98歳になるというすごい歴史を生きています。

おばあちゃんは一言で「強くて優しくていつも感謝を伝える人」です。

おばあちゃんの人生はすごい波乱万丈でした。
今の私たちからは想像もできないような時代を生きてきました。

私は小さい頃からおばあちゃんの今までの人生の話を聞くのが好きでした。
中でも忘れられないのは、やはり戦時中の話ですが、今日はその話ではなくて
おばあちゃんの小さい頃の憧れの話をしようと思います。

小さい頃のおばあちゃんは何をしてた?


おばあちゃんは茨城出身ということでしたが、おばあちゃんの記憶で6歳くらいの時から子守り(ベビーシッターのような仕事)をしていました。

東京に出て、すでに小さい時から住み込みみたいな形で働いていました。
手伝いみたいなもんだよと言ってましたが、
内容はお手伝いの範疇を超えると私は思います!

〜おばあちゃんの一日の様子〜
朝早くから、家の周りをお掃除して、神棚や仏様をお掃除して、お水をあげて、洗濯板で手ぬぐいなどを洗って干し、朝ごはんの洗い物、赤ちゃんたちのお世話、汚れた襁褓を洗って干し、というような作業を夜までずっと繰り返していたという話でした。

子守り歌としては当時「からたちの花」が流行っていたようでおばあちゃんはそれをよく赤ちゃんたちに歌ってあげていたなあと言ってました。

おばあちゃんの初めての憧れ

その頃、おばあちゃんが憧れていたのは「アッパッパ」と呼んでいた女性用の夏用の木綿生地のワンピース

でもおばあちゃんは、子守りや手伝いをしているのでアッパッパは裾が広がってしまい作業がしにくいから木綿の半ズボンとスモックのようなものを着ていたようで、そのアッパッパを着てお姉さんみたく歩いてみたいなあと憧れていたと言ってました。

私がその話を聞いた時
「おばあちゃん、その後アッパッパは着たの?」と聞いたら
「多分、着なかったねえ、忘れちゃったよ、もう昔のことすぎて、覚えてないよ、でも憧れだったよ、ずっと羨ましかったの」と嬉しそうに答えてました。

おばあちゃんにとってはいつまでも憧れでの思い出なんだなあと少し儚くて、でもだからこそずっと覚えているし、おばあちゃんにとってのあの頃だったのかなあと感慨深く思いました。


私が写真で振り返る限り(戦後の写真しかもう残っていませんが)おばあちゃんは、いつも着物か洋服だとラウンドネックのシャツとスラックスを履いていてワンピースやスカートを履いているおばあちゃんの写真はありませんでした。


そんなおばあちゃんは数年前に一人暮らしをやめて、現在は介護施設におります。
いまはコロナの影響で直接会うことができません。
だけど、手紙を送ったり、贈り物をすることはできるので、おばあちゃんが憧れたアッパッパを今年の夏用に送ってあげたいなあと今思っています。


おばあちゃんが初めて憧れたもの

それは大正末期〜昭和元年に登場したアッパッパ

もう着なくなってしまった木綿の浴衣の生地をアッパッパにリメイクしてみようかななんて思いを馳せている7月の終わりです

大正生まれの私のおばあちゃんのお話はこれからもちょこちょこ書いて行きたいと思います。


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梅沢杏奈/装飾品デザイナー
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