『スイート・マイホーム』:メモ

斎藤工監督『スイート・マイホーム』を観た。同じ斎藤工監督作品で、リリー・フランキーがカレーを作る短編映画(?)を少し前に観て好かったので、それで。主演は窪田正孝(『アンナチュラル』のロクローの人)で、原作はあるらしいけど、読んでないし、読まない。

(以下ネタバレあります)

「事件」の「真犯人(?)」を一級建築士の女の人だと「誤解」すると、この映画はポカンとなる。そんなの最初からずっと「バレバレ」なので、「そのままかよ!」と、「間違って」怒っちゃったりするかもしれない。
ケンジ(窪田正孝)の兄=聡(窪塚洋介)の「奴らはそこら中にいる」が全て。要するに、これは『Twin Peaks』の「BOB」的存在(〔悪意・殺意・狂気〕の権化)が、「油断」した隙に家庭(スイート・マイホーム)に入り込む話。

この映画でBOBは複数(というか無数に)存在していて、ケンジが「最初」に殺した父親(竹中直人)にも「取り憑いて」いて、一級建築士の女の人にも「取り憑いて」いて、最後には、ケンジの嫁にも「取り憑いた」。また、兄の聡(さとる)には、BOBが見えていた。

もしかしたら、最初にBOBの「宿主=父親」を殺してしまったがために、生涯BOBにつきまとわれることになった男(ケンジ)の話なのかもしれない。或いは、そもそもケンジが、「BOB寄せ体質」なのかも。この映画では小さい子供にはBOBの姿が見えているように描かれている。つまり、「殺意」や「狂気」の「象徴」ではなく、犬には嗅ぎ取れる「匂い」のように、子供(と引きこもり)には見える「ナニカ」として描かれている。
本筋とは関係ない話。

ケンジの嫁が白子を取り出すのに魚をさばいている場面で、腹を割かれて中身を全部取り出される魚の顔が、割り合い長い間、画面に映し出される。あの死んだ魚の「顔」が好かった。無力感とか絶望感とか、あるいは達観とか、そういうものが全部出ている顔だった。で、「顔」つながりで言うと、主要な登場人物がみんな、この魚みたいに、顔のドアップを撮られて、シワだのホクロだの小さいイボだのテカリだの眉毛の生え方だのを高精細画面に「晒されて」いた。どちらも斎藤工の「変態性」が出ていて好かった。斎藤工って、変態だよね(褒め言葉)。映画監督、向いてるんじゃないかなあ。

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