穴藤
ガンダム関係
「我々はどこから来てどこに行くのか?」 この問いに対する答えは、とっくに出ている。 〜生命教・人工人格・自発的絶滅・「家事」と「生業」〜
【自発的絶滅】つらつらと考えてみると、自らが作り上げた人工人格に文明を譲渡したのちに自発的絶滅を果たすことが、現生人類の「生物種としての天寿」の全うなのだ。ただし、自発的絶滅は集団自殺ではない。自発的な繁殖放棄である。言い換えるなら、人類は、自発的絶滅よって初めて、利己的な遺伝子に対する全面勝利(R. Darkinsの夢)を実現する。 「但し…」と思う。天寿を全うできない個人がいくらでもいるように、現生人類が必ず「生物種としての天寿」を全うできる保証はどこにもない。行く手
『ライオンの隠れ家⑥』。「カエルくん」returns! もう、天使も猫もいないけど、一人でガンバル「カエルくん」
「戦争」を巡るドキュメンタリーと言えば、「ドンパチ」や〔「権力者」の「奇行」〕に焦点を当てたモノが殆どだが、今回の「日本 660万人の孤独」は、そんな〔軍事オタクや政治オタク向け〕とは全く違う、もっと「地味」で、しかし、もっとずっと「地に足がついた」内容になっていて好かった。 軍人でも政治家でも権力者でもない我々の身に降りかかる、「具体物」としての「戦争(戦後)」を教えてくれる。 「戦争」や「戦後」が語られるときにも、なぜか素通りされたり、一言で済まされてきた部分を、詳細
「寺尾聰 人生の集大成ライブ!」を観た。思っていた以上に好かったので、あとで、もういちど、今度はNHK+で、Headphonesをして観たら(聴いたら)、更に好かった。侮りがたし。 あと、寺尾聰は「俳優があとで歌を歌った人」だと思ってたけど、実際は「音楽活動が先の人(元グループ・サウンズの人)」だったことを今回初めて知った。無論、宇野重吉の息子だということは「最初から」知っていた。 唯一無二の声。紀里谷版「CHASSEHRN」が好きなのも、一つには、東博士を演じた寺尾聰の
「清書版ガンダム」でやること。 ①描き損じをなおす ②オスカーとマーカーに専任の声優を充てがう 所謂「シン・ガンダム」は勘弁してほしい。思春期臭い「ガンダム」なんて観たくない。
「Hosono House Covers」を通して聴いた。 くくくのがアタマ一つ抜けてた。というか、くくくの「CHOO CHOO ガタゴト」だけが「Hochono House」と「同一周回」に聴こえた。 あと、矢野顕子は「年取ったなあ」と思った(声が?歌い方が?)。
細野さんの『蝶々さん』は、元々、Sadistic Mika Bandの依頼で作った曲で、ミカが歌うことをimageして作ったのだけれど、結局間に合わなかったので、自分で歌う羽目になった、 ……という話を、guest出演した細野さん自身が喋っている、矢野顕子がDJをしていた「若いこだま」という1978年のradio番組を、 ……46年後の2024年の11月1日にYou Tubeで聞いた。 なんか、「タイムマシン」的不思議体験。
「完全メシ」=「ベタベタメシ」になりつつある
或る所に勝ち気な姉とぼんやりした弟がいました。 姉は、4歳下の弟を性のオモチャにして日々のウサを晴らしました。 弟は成長すると、少年を性のオモチャにする「怪物」になりました。 困惑した姉に弟は言いました。 「でも、今の僕を作ったのはお姉ちゃんだよ」 姉は人生をかけて「弟を守る」覚悟を決めました。 自分自身を守るために。 ジャニー喜多川とメリー喜多川を取り上げたNHKスペシャルを見てたら、こんなベタな妄想storyが心に浮かんだ。 とは言え、あの番組で一番怖かったのは、元フ
喋りすぎ。 陳腐なmonologueを延々と聞かされて苦痛。ヴィム・ヴェンダースと言えば、小津安二郎を敬愛していることで有名らしいけど、いったい小津作品の何を観てんだろう? と本気で思った。 小津映画の醍醐味は、変哲のないセリフや振る舞いの背後から「聞こえて」くる登場人物たちの「心の声(当人も気づいてないかもしれない本当の気持ち)」を、観客それぞれが自分なりに感じられる点にある。しかし『ベルリン・天使の詩』では、観客は、登場人物たちの「心の声」を「実際の音声」として聞かさ