見出し画像

ヴィパッサヌー

  カンポン・トプナムさん 施本* ว่างจากตัวตน ワーン・チャーク・トゥアトン(自分から自由になる)より

 ヴィパッサヌーはヴィパッサナー実践をする修行者にだけ起こる欲です。高いレベルのダンマです。捨てなければならないダンマなのです。何故ならば、それは修行を高めるには障壁になるからです。

  ヴィパッサヌーは自分の知っていることにはまりこんでしまうことです。ヴィパッサナー実践をしない人であっても何かにハマり込んでしまうことはあります。自分の世界にハマり込む。怒りにはハマり込む。間違いにハマり込む。それぞれのレベルにはまり込んでしまうのです。

  ヴィパッサヌーはヴィパッサナー実践をする全ての人に起こりうる事です。ルアンポー・ティアン師*もヴィパッサヌーに陥ったことがあります。師はその後、ヴィパッサヌーが起こったとを知りました。ルアンポー・カムキエン師*もヴィパッサヌーに陥ったことがあります。

 ある人は道場で瞑想修行を始めようとした時、ヴィパッサヌーが起こり、瞑想をやめて自分の心の中に瞑想道場を作ってしまいます。自画自賛して自分自身を先生にしてしまいます。そして広い壁を作り、高いレベルに進む為の修行に立ち向かう事をしなくなってしまいます。

 私自身もヴィパッサヌーに陥ったことがあります。それは、ルーパ(名)とナーマ(識)が見えるような段階になってからヴィパッサヌーが起こったのでした。誰かに言いたい、誰かに教えたい、しかし私はどこに行く事も出来ません*。誰に教えていいかもわかりません。誰に言えば良いかもわかりません。私がどこに行くこともできなかったのは幸運でした。

 私は父と母がいます。私は母にこの話にしました。母は私をかわいそうに思って励ましてくれたのでしょう。こう言いました「そうだね!よかったね」父親と母親は褒めてくれました。私は喜びで心が大きく膨らむのを感じました。一方、父にこの話を聞いてもらうときは、父はルアンポー・ティアン師のところで修業したことがあるので、私がどんな状態になっているか知っていました。父は私を一度も責めたことがありませんでした。そしてまた、一度も教えてくれることはありませんでした。しかし、一言だけ父は言いました。「あぁ、そうなんだ、父さんもそうなったことがあったよ」それからというもの、父は私の言うことにあまり関心を向けませんでした。私はそれを話すのをやめました …サティ(気づき)が戻ってきました。

 ヴィパッサヌーには観察して修正してくれる先生が必要です。ルアンポー・カムキエン師はお寺にいらっしゃいましたし、私には近くに先生がいませんでした。その代り父がいたことはこの歯止めになりました。ですからサティ(気づき)が起こって「おおっ!ヴィパッサヌーが起こった、もう一度」と意識を戻すと、今まであった喜悦感や期待感なども突然に止むのでした。まるで考え事や期待感のあった人が何も期待しなくなったかの様に態度を変えて修行に戻っていきました。

 この世の中の人が  もしも何も考えない何も期待しないのでしたら、それはつまり、その人の人生は何も意味のないものになってしまうでしょう。何も価値が無い、そうですよね?本当にそう考えてしまいますよね?しかし、修行をする人にはその様な考えは起こってきません。なぜならば、何を考えたら良いか考えないからです。修行からどんな結果を望むかを期待をしない。このように考えられることは修行者にとって良いことです。

 この世の中の人がもし、「心身が尽きて全て無くなってしまえ」と言われたならば。その人は嫌だと思うことでしょう。しかし、修行者にとっては、その考えが好きです。心身が尽きるという事はつまり自分自身が無くなると言う事です。このように修行者は考えの違いがあります。

 もう一つの事で比べてみましょう、あなたは「死んでしまえ、再び生まれてくるんじゃないぞ」と言われたとすると、ほとんどの人は嫌な気持ちになるでしょう。しかし、修行者はもしも「死んでしまえ、再び生まれてくるんじゃないぞ」と言われると、それを好む気持ちになるのです。このように感じ方が違ってくるのです。修行者になる前と後では捉え方に大きな違いがあるのです。

 私も苦(dukka)から抜け出さなければならないと考えることや期待することがありました。しかし、ちょうどその時、父が「父さんもそういう風になった事があるよ」と言うのを聞くと、期待心が空(から)になり、そういう心の状態が修行者モードに戻ると、何を考えたら良いか考えなくなるのでした。そして、高いレベルの結果を出したいという期待心もすぐに消えてしまうのでした。何も考える必要がないように、何か得るものを期待しない様な修行者となって修行に戻ってくるのでした。リラックスして心を広く持ちながら無理強いすること無く気づき(サティ)ながら身体を動かします。

 ここで2つのことが見えてきます。身体は動くと言う役割があります。心はただ知る役割です それ以外は関係がないのです。それから見え始めてきます。身体は外側で動いている しかし、知ること 身体は動いていると内側から知るのです

 今も身体を忘れて考えが起こってきています。自分は考えている自分自身だ、実体のある自分だ と。しかし私たちは自分自身がどうやって立ち現れるか知りません。

 ルアンポー・ティアンの言葉を思い出します。師はこのようによく言いました。「ルーパ(色)・ナーマ(名)が見えても、ルーパ(色)・ナーマ(名)による感情が起っても、それらに関わる事の無い様に。心をもう一段上のレベルに発展させるように」

 私達は考えるというプロセスを見に行く事によって、考えるという事にとても気を付けなければなりません。そして「考えることに気をつけなければ」と考える様になります。

 それから、もう一つのこのような考えが起こってきます。こちらの方が考えの主体で「身体に気づいていないことによって生じる考えに気を付ける様に」という考えです。

 どれも気をつけて行う事です、手の平を反対にすると心はそれを知ります。考えが生じる事に気を付ける。しかし、私は考えの世界にどっぷり入り込んでしまいました。一つ考えが何度も生じるようになりました、どうすれば苦から解脱できるのだろうか?ほかにどんな修行方法があるのでしょうか、と。手を変え品を返すように忙しくどんな修行方法も一生懸命試してみました。どれも苦から解脱する為にやってみたのです。

 そう考えることは「私自身」と考えることでした。それは苦が終わる様に考えを変化させていった事でした。身体に気づかない私がいました。苦から解脱したいという考えが生じる。家の中で修行していても一生懸命やる方法を探す。どうすれば今よりももっと深く出来るのか、それは1人で忙しく考えることでした。

 ある日私は家の前に座りました。人混みから離れて一人で静かに過ごす事はとても役に立ちます。時々、智慧が生じます、あるいは気が散ることが生じます。私は家の前に車椅子を動かしました。木を見る 鳥を見る カラスを見る ニワトリを見る 心は外側に向かって注がれました。

 わたしは、外に興味を持ちました。しかし心は、ジェータナ(受)無しに自動的に自分の心を観察するところで戻ってきました、自分のことをただただ、観察します。考えが生じます。そうすると、サティ(気づき)と同時に智慧が生じました。 おぉ!今、私に苦が生じた 何の苦だろうか? 苦を乗り越える為に修行しよう、内側から生じる苦を乗り越えるために。

 不自由な身体を私はもう気にしなくなりました。身体を過度に気を遣う事もやめました。そうして見えてきたことは。苦を乗り越えたいこの身体に対する「身体は重要だ」という思い、それが欲の正体でした。それは身体の苦を乗り越えたい、自分自身の苦を乗り越えたいという欲だったのです。

¶カンポン・トプナムさん 施本 ว่างจากตัวตน ワーン・チャーク・トゥアトンより

画像3

¶ Vipassūpakilesa ヴィパッサヌーキレーサ 観に伴う随煩悩、観の幼い者(Taruna-vipassana),また弱い観の物に生じる法所縁で、自分はすでに道果を成就したと誤解して、観智へ進む妨げとなる。

十観随染 Vipassūpakilesa 10 ;imperfections of defilements of insight)
1.光明(Obhāsa; illumination;iluminous aura):明るい
2.智(Ñaṇa;Knowledge):洞察力
3.喜(Pīti;rapture;unprecedented joy):満足
4.軽安(Passaddhi; tranquillity):寂浄
5.楽(Sukha; bliss;pleasure):快適
6.勝解(Adhimokkha;fevour;assurance; resolution):確信すること
7.策励(Paggāha;exertion;well-exerted energy):程よい努力
8.現起(Upaṭṭhāna;established mindfullness):強い念、はっきりした念
9.捨(Upekkhā;equanimity):中立の心
10.欲求(Nikanti;delight):満足、観への執着

P.A Payutto 仏教辞典(328):(第64巻清浄道論三364-4項)


¶カンポンさんは下半身不随になり、寝たきりの生活を送りながら仏道修行をされておりました。浦崎雅代さん カンポンさん法話


¶ルアンポー・ティアン(หลวงพ่อเทียน) 

画像1

¶ルアンポー・カムキエン(หลวงพ่อคำเขียน) スカトー寺のHPより

画像2


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?