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ブッダの遺骨 仏舎利の行方 1


 ブッダの遺骨の事を仏舎利(ぶっしゃり)と言います。そんなお釈迦様の本物の仏舎利がタイのバンコクのお寺に祀られてるらしいと言う話を耳にして、「2500年も前の話だから伝説に違いない」とか、「ブッダの遺骨といっても、実際は全然違うものでは」というにわかに信じがたい思いと「本物だったらこれはものすごい!」という思いが湧いてきて、これはまず見に行かねば!と足を延ばしてきました。しかし、これは果たして事実である可能性が高いのだろうか?可能な範囲で検証してみようと思ったのがこのメモのきっかけです。少しの間お付き合いいただけると嬉しいです。

 お釈迦様が悟りを開かれて入滅されてから2500年以上も経ちます。日本史に照らし合わせると2500年前と言えば、縄文時代と弥生時代の間ぐらいになります、その当時日本列島に住んでいた縄文人・弥生人がどんな生活をし、どんな会話をしてどんな悩み事があったのか知る由もありませんが、テーラワーダ仏教のお経には2500年前の当時インドの人々の様子が、当時の人々の会話や悩み、お釈迦様の言葉が生々しく記録され現在も生きた経典として伝えられています。このことを考えると驚異的な思いを感じざるを得ませんし、経典に触れるたびに当時の人々の息遣いが聞こえてくる気がします。経典に伝わる教えやストーリーと考古学的な発掘とがオーバーラップする事で、お釈迦様が実在した人間であった事を示す物質的な証跡と経典に伝わる教えがよりリアリなものとしてよみがえる様子を想像すると胸が高鳴ってしまいます。

 お釈迦様は35歳で悟りを開かれ80歳で亡くなられるまで、さまざまな場所で説法なさったと記録がありますが、経典の中にはお釈迦様が入滅されるまでの最後の旅を綴った経典があり、長部経典(Dīgha Nikāya)の中に大般涅槃経(だいはつねはんきょう)Mahāparinirvāṇa Sūtraとして収められています。この経典はブッダが亡くなられた後の様子も描写されているので、のちの仏弟子たちによって葬儀の様子とその後の仏舎利の分配の様子が記録されたものでありましょう。経典の終わりの方の章へ移動してみると遺体の火葬が終わり「舎利(遺骨)の分配」という章**があるのでそちらを見てみます。

 ■紀元前525年頃 仏舎利(遺骨)を8つに分配

ブッダはクシナーラで入滅されその地で火葬されました。そしてブッダの遺骨は8つに分けられ、それに加え1つの遺骨を入れていた瓶と遺骨の灰の全部で10の分けられて、ストゥーパを作って祀られたとあります。誰によって舎利が持ち運ばれたのでしょうか。

ブッダはクシナーラーで涅槃に入られた。

1.クシナーラに住む マッラ族 クシナーラにストゥーパ作る

2.マガダ国のアジャータサットゥ国王の娘でヴィデーハ王国(王族) →王舎城にストゥーパ作る

3.ヴェーサリーのリッチャグィ族(王族)ヴェーサリーにストゥーパを作る

4.カピラ城のサーキャ(釈迦)族(親戚) カピラ城にストゥーパを作る

5.アッラカッパに住むブリ族(王族) アッラカッパにストゥーパを作る

6.ラーマ村に住むコーリヤ族(王族) ラーマ村にストゥーパを作る

7.ヴェータディーパに住むバラモン ヴェータディーパにストゥーパを作る

8.パーグァーに住むマッラ族 パーグァーにストゥーパを作る

9.ドーナ・バラモン 遺骨を八つに分けて 瓶をもらった ストゥーパを作る

10.ピッパリ林のモーリヤ族 灰を持ち去った ピッパリ林にストゥーパ作る

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 その後、200年後まで時間が進みます。釈迦様がお亡くなりになって約218年後***に即位したアショーカ王(BC326年)によって、8つに分割されていた仏舎利のうち7つが掘り起こされ、小さく分割されて8万4000のストゥーパ(塔)を建立して仏教を当時のマウリア王朝(インド全土)に祀られることになりました。実際に8万4千に分割されたどうかというと、以前スマナサーラ長老の法話でインドの言葉で8万4千というのは「沢山という意味」と解説があったことがあります。日本語で言う八百万(やおろず)の神のように『非常に沢山』という意味ではないかと個人的には理解しています。いずれにせよマウリア王朝全土にストゥーパが建立されたことは間違い無い様です。

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西暦13世紀頃 仏教がインドから消滅 

 残念なことにアショーカ王の仏舎利分割から1600年間の間にインドにおける仏教はインドから消滅してしまいました。主な理由はヒンドゥー教徒の勢力による融合(仏教がヒンドゥー教徒に吸収されていった)や11世紀から始まるイスラム教の侵入と言われています。

 解説****イスラム教の侵入により多くの僧がネパール、チベットに逃れた。象徴的な事件は、1203年におこった。この年、インド仏教最後の砦となったヴィクラマシラー僧院がイスラム軍によって破壊された。僧は国外に逃れ、信者はヒンドゥー教やイスラム教に吸収された。そして、13世紀、インドにおいて仏教はほぼ消滅した。

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1898年 イギリス人技師のWilliam Peppé が遺跡を発掘する

 仏教がインドから消滅した13世紀からさら500年後の1898年、当時イギリスの植民地であったインドにロンドンの工場から砂糖工場の設立任務を受けた William Peppe がある古墳を発掘します(続く)


【参考資料】

*大般涅槃経 <Mahāparinirvāṇa Sūtra> 西暦500年頃にPra Buddhaghosa よって編纂された

**ブッダ最後の旅 大パリニッパーナ経 中村 元訳=大般涅槃経の日本語訳

*** 本当の仏教を学ぶ一日講座 ゴータマはいかにしてブッダになったのか(佐々木閑)  仏滅はいつか? 南伝説 参照

**** インド思想史略説

佐々木閑の仏教講座「仏教再発見の旅」Youtube 

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