新年の法話(仏歴2566年)②ルアンポー・プラモート師
(つづき) 私たちの生活するに当たって新年に計画を立てることもあります。仕事の目的はどうするか、どのように進めて行くのか、どちらの道に進むのかなどがありますね。世間の大きな事業であっても時には簡単に失敗して倒れてしまうのです。なぜならば誤って計画を立て誤った方向に進んでしまうからです。
沢山のそのような例があります。名前は出しませんがある有名な企業が、何百万バーツもの費用を掛けて事業を進めました、色々とやってみるのですが、計画していた費用の40%が無くなり、それから徐々に無くなり、無くなり、、、結局上手くいかなくなってしまったのです。それは進む道を間違っていたのです。
私たちは、世間で生きている限り「適切に見極める事」を良く知らなければなりません。見誤ってしまう理由の一つは煩悩に騙されてしまうことから起こります。「これに費用を掛けても多分大丈夫だろう」と、よく注意せず煩悩に騙されているのです「きっと良い結果が出る」「きっと出来る」「大丈夫、大丈夫」と得るものばかり考えて、失うものの事を考えていないのです。
ある時、それはとても小さな出来事から引き起こされます。たった一つの広告であっても、事業に大きなダメージを与えるほど影響することもあるのです。かつてとても有名なTーシャツの会社がありました、ある広告に成功してタイで最も売れるTーシャツメーカーになったのでした。その広告というのは男性が映画館に入ると女性が両肩側から話しかけて女性からモテてしまうというストーリーの広告だったのです。(当時)T-シャツというものは
男性が買い求めるものでは無く、奥さんが夫に買って着せるようなものでした、しかし そのシャツを買って着せると夫が他の女性にモテてしまうというイメージが広がり、そんなTシャツは買わないほうが良いという評判になってしまったのです。
日本でもこのようなことがありました。それは電力設備を供給する大きな会社でしたが、安いという理由だけで開放したばかりの中国から設備を購入したのですが上手くいかず、結局その会社は潰れてしまいました。
ですから、私たちは善く修習したいのであれば、何かをしようとする時にに原因と結果の法則を使ってよく観察しなければなりません。欲の力を使ってはいけないのです。そこには原因と結果しか無いのです。ダンマは私たちが世間の中で生きてく事の手助けをしてくれるのです。
ある時にダンマは「成功した」という経験は「いつも失敗ばかりが続くわけでは無い」と教えてくれるのです。よく注意することの意味を教えてくれるのです。ある時には失敗して失う事があります。しかし、「全てを失う訳ではない」とダンマは私たちに教えてくれるのです。「失ったものは、そのままにして置けばよい、何もないところからもう一度作っていけば良い」のです。また、幸せが壊れてしまった時、何を恐れることがあるのでしょうか。永遠に壊れ続けるという事は無いのです。もしも心が困り疲れ果てていないのであれば、倒れてしまったのであれば、心を静めてみるのです。生きていく次のプロセスの観察してみるのです。
ダンマは私たちすべての事を手助けしてくれるのです。私たちがダンマという言葉がわからないというとき、ダンマとは座る瞑想や歩く瞑想の事だけだと考えるのであれば、それは浅すぎる観かたなのです。生きていく上で「原因と結果の法則」を使うのもダンマなのです。世間でうまく生きていくためのダンマなのです。(つづく)