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子供にダンマを持たせたいのですがどうすればいいですか? メーチー・ジュン師
質問:「現代社会に生きていく上で子供がダンマを持って生きていける様にするにはどのような方針にしたらよいでしょうか?」
答 「子供にダンマを持たせる前に、自分自身でダンマを持つのが先です」
本質的なことをいうとその問題を解決することにはならないのです。ただし、両親に智慧がある場合、子供に教えることが出来ます。子供がダンマに触れる環境、自ら学び知ることになるような環境が必要なのです。
例えば、大人はここ(お寺)に来て何をしているでしょうか。目を閉じてただ座っているだけです。ここにいる子供達はその様子を見ることになります。「本当に教えることは、教えないことなのですよ」心はその状態に慣れていくのです。
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そして私たちはその状態を自分自身に纏っているのです。寝る前であってもサティで自分自身の状態に気づいているのです。子供を愛しているからと言って子供の言いなりになる、というのではありませんよ。ある人は「子供がまだ起きて来ないんです、、」と子供に遠慮する人もいますが。私たちが教える側なのでしょうか、それとも子供が教える側なのかこれではわかりませんね。私たちは携帯電話を子供に与えて簡単にしてしまいます。携帯電話が子供に教えるのです。苦が生じたら後で解決すればよい、、、しかしこれでは間に合わないのですよ。
いつであってもサティとパンニャー(智慧)が私たちに教えてくれるのであれば、感情を子供に対応することに盛り込まないのです。その代わりにサティとパンニャーを自分自身に盛り込むのです。それは感情が観える時、子供に教える時には、自分自身にも教えなければならないのです。怒りの感情が生じたのならば、呼吸を意図的に取り込むのです。すると自分自身の状態を学ぶことになるのです。呼吸に気づきがあるとき、「それ」は観えるのです。長い呼吸を感じる時ポッとそれが生じたら観えるのです。(続き)
仏暦2566年1月1日