自然を みんな で感じた先に
自然を相手に
これまで,私は,エネルギー問題に関心を持って,大学で地熱エネルギーを学び,技術的・科学的研究を続けてきた.
これからの世の中にとって必要なものだと思って,良かれと思って地熱エネルギーに関わってきたが,地熱開発は温泉地域から反対されていた.
地熱開発は科学技術,温泉は文化
科学技術が文化によって反対されているようで,歯痒かった.
温泉の源泉所有者は,先祖代々引き継がれた井戸を後世に残すため,自然を守るため,影響がないとは言えない地熱開発を反対する.
自然相手なことなので,完全に温泉地域に影響が出ないと言い切れない.
温泉事業者の気持ちもわかる.
私も地熱開発が答えだとは言えない.
けど,それは,道路や電線などの現在のインフラだって影響が出ないとは言い切れないのと同様,温泉だって影響が出ないとは言い切れないのと同様,どの空間スケールで,時間スケールで,どのシステムでものを見て,何を犠牲にして,何を選択していくかだ.
本来,地熱と温泉は敵対するものではなく,自然にとっては同じ資源.
人間はその恩恵を受ける仲間なはずだと思っている.
エネルギーへの無関心
じゃあ,受け入れない温泉地域の人たちをうまく説得して,地域の人たちだけにリスクをとってもらえば済む話かと言うと,違う.
そもそも,エネルギーは日本全体,みんなが使うもの,欠かせないもの.
エネルギーの多くは,地域で作られ,都市部で消費される.
しかし,今の多くの消費者は,エネルギー問題は自分とは関係ないものと思っているように思う.
そこに大きな違和感を感じている.
エネルギーを「いただきます」
エネルギーがどこからきて,そのために何を犠牲にして,私たちは生かしてもらっているのか.
「いただきます」他の命をいただいて,自分が生きる.
エネルギーに対しても,本来毎日「いただきます」を感じて生きるべきではないだろうか.
エネルギー問題,ゴミ問題等々,みんなの生活に直接関わるものなはずなのに,綺麗なところだけ切り出されていて,見たくないものには蓋をして,目に見えないようにしてあるように思う.それで私たちは快適な生活ができてきたが,自分が生きるのに必要なもののための恩恵を知らないで,そこに誰が感謝するのだろうか.
異分野,異業種,異世代,異地域ごった煮による探究
山口・門内 (2014) では,設計を探究の一種と位置づけ,探究には,論理学的次元,倫理学的次元,美学的次元があることを示した.
先日,山口さんと同じイベントに出て,私は非常に感銘を受けた.
論理学的次元は,問題解決する次元.
倫理学的次元は,問題は何かを設定する次元.
美学的次元は,感じ方の更新である次元.
論理的次元は,問題設定に依存し,倫理的次元は,感じ方に依存する.
つまり,一番上にふわふわとした美学的次元があり,そこから倫理学的次元があり,ロジックに落とし込める論理学的次元がある.
理系人間な私は,論理学的次元で物事を見てきた.
だが,論理学的次元に落とし込めている時点で,問題はほぼ解決できるのだ.
エネルギー問題を解決することは,私にとって当たり前の問題だった.世の中にある社会課題,それらは私にとって当たり前の課題だった.しかし,他の人にとっては,それらは問題,課題とは限らないのだ.
分野,業種,世代,地域が同じ人たちだと,同じようなものに触れてきたことから,同じ問題意識の中だけにいることが多いと言える.それは,論理的次元での議論に止まってしまうのだ.
分野,業種,世代,地域が異なるということは,感じ方自体が違うのだ.
感じ方をわかり合えなければ,一人ひとりにとっての問題を理解できない.
だから,論理的次元で物事を話しても通じないのだ.
異分野,異業種,異世代,異地域がごった煮になる必要性は,そこにある.
(ごった煮はエチオタビの田中さんより)
みんなで一緒に感じることで,共に感じ方を更新し,同じ問題意識をもつ.そこで初めて問題解決に向かうことができるのだ.
自然を感じながら,進むべき方向をみんなで考えること.
私は,そんなことをしたい.
Waku2 as life
温泉で,仕事しながら,健康になりながら,楽しみながら,生きる.
温泉地を舞台にしたこの活動.
温泉地を舞台にすれば,”みんな”を巻き込むことができると思っている.
自然への感謝を引き出す.エネルギーの手触り感を持たせる.都市と地域をつなげる.生きることを考える.他の価値観に触れる.みんなで未来を考える.考えていることはいっぱいあって,どの文脈で話すかで,色々できる.そのせいで,何をしたらいいのか,伝わらなくなる.
これだけは譲らないでいたいのは,みんながワクワクすること,自分がワクワクすること.
自然の中で,ワクワクを更新続けることを,異分野,異業種,異世代,異地域,みんなで続ければ,みんなで同じ方向に向かえるのではと思っている.