文学トリマー
本文
「ここ。余計じゃない?」
文芸部の顧問として着任した外部講師は、文学トリマーの異名を持つ。
分かりやすく言えば「余計な表現を省略したがる」のだ。
文芸は本来、自分の言葉で表現し、解釈は読者にゆだねられる。
敢えて回りくどい表現を用いて、読者がどう解釈をするかを楽しむ要素もある。
文章なのだから仕方ないこととされている。
しかし文学トリマーこと、彼女は違った。
直球の言葉こそ正義だという。
婉曲的な表現を極限までそぎ落とし、しっかりと意思を届けることに意味があるという。
文学トリマーは、論文や説明文と言った、現実的なものを求めているのだろうか。
実際、随筆に難癖をつけながら校正をしていた。
「自分の言葉で表現すること」が嫌いなのだろうか。
否。
他人の表現の否定だ。
どうも文学トリマーは、作家それぞれの癖をなくせばすべて読みやすい文になると信じてやまないようだ。
それが「削る」ことに繋がっているのだろう。
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