生きること写すこと
写真と生き様。
記録はあるが写真はない。
そう、ただ撮るだけでは写真にならないのである。
とはいえ写真に心情や感情が写る、などというのもオカルトでもあるまいし、ナンセンスな話である。
それでも写真は誰でも撮れるが誰もが同じになるわけではない。その意味を考えることに写真に取り組むことの面白さがあるはずだ。
写真を撮りながら考えながら #エフェメラギャラリー のテーマとして。
撮ることそのものだけでなく、その向こう側にある思考も含めて。
自分のことは誰も知らない。勿論自分ですらすべてをわかっているわけではない。結局相互作用の果てにあるので、外に探しに行かなければ始まらない。しかし探すだけでは何も見つからない。まるで写真のようである。
拾うようにして撮る。落としたかもしれないものがある。
探し物は何ですか。そう、何かを探す中で写真を撮り、いつしかそれが答えのようなものだと信じている。
場所に根差したものを探す、同じような風景もそこにしかないものがある。
さて何を撮ろうか、考えることはそれだけではない。
技術や機材の差をそれほど見ていない、むしろ何を撮るかである
写真は自分と誰かとの相互作用である、過去の自分もいわば他人である
撮ることの原点とは
写真は記録であるが記録そのものではない。記録ができていても写真ができているとは限らない。
いいなと思ったら応援しよう!
いつもありがとうございます。いただいたサポートは出展や冊子作製など、写真の展示や頒布のため活用します。