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「すいかの匂い」の水の輪

「すいかの匂い」の水の輪


あらすじ

あの夏の記憶だけ、いつまでもおなじあかるさでそこにある。つい今しがたのことみたいにーバニラアイスの木べらの味、ビニールプールのへりの感触、おはじきのたてる音、そしてすいかの匂い。無防備に出遭ってしまい、心に織りこまれてしまった事ども。おかげで困惑と痛みと自分の邪気を知り、私ひとりで、これは秘密、と思い決めた。11人の少女の、かけがえのない夏の記憶の物語。
すいかの匂い/蕗子さん/水の輪/海辺の町/弟/あげは蝶/焼却炉/ジャミパン/薔薇のアーチ/はるかちゃん/影

本日の一皿

夏のあいだだけ売られるお菓子に、「水の輪」というのがあった。長四角に切られた黄色い羊羹で、上に透き通ったゼリーが薄くのせてあり、羊羹とゼリーのあいだには、レモンの輪切りが一枚ひらりとはさまっていた。元来羊羹は苦手なので、一口食べれば満足してしまうお菓子だったが、名前の美しさと姿の涼しさにつられ、毎年どうしても欲しくなった。

すいかの匂い「水の輪」より一部抜粋

感想

「やまだたろう」ふつうに怖い。
性的な意味はなく純粋な好意で主人公に近づいたのだろうが怖い。
7歳の主人公からしたら15~17歳はほとんど大人で、
その人間から向けられる好意なんて恐怖でしかない。

幼少期に親に愛情をもって育てられた人間なら主人公の気持ちはよくわかると思う。安全圏の心地よさ、倦怠感。そして、それが急に破城したときの死を思わせるほどの恐怖。

主人公は、カタツムリを踏んづけて遊ぶ行為の残酷さを真にわかっていなかった。しかし、思いもよらぬ「やまだたろう」の行動により身近に死を感じたことで、その殺戮がいかに恐ろしいことか本能的に知る羽目になる。

そう考えると、「やまだたろう」は「死」を暗喩する存在に見える。
雨の日は黒い傘、黒い長靴、背が高く痩せていていつも同じような様相。
セミの亡骸をわたす行為。
なんだか、宮沢賢治の風の又三郎みたいだ。

次に、本題名にもなっている水の輪について。
水の輪はこの物語を美しいものに昇華するとともに、こどもの純粋さを表現する役割をになっている。

それは想像するにとても美しいお菓子のようだし、それが雨の背景と重なってより一層場面の美しさをきわだたせている。
また、そんな水の輪の美しさにあこがれる主人公。羊羹なんて一口しか食べないのに美しさに惹かれ買ってしまう。
カタツムリを平気で殺す残酷さを持ち合わせつつも、和菓子をみて純粋に美しいと思う感性ももっている。このちぐはぐさが子どもらしさをよく表している。

江國香織さんはどんな幼少期をすごしたのだろう。日々、どんなことを考えていきているのだろう。もう大人なのに、ずっとこどもの感性を持っている。とてもとてもうらやましい。

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