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実父が亡くなった話。

顔は遠く昔に忘れてしまった。

覚えているのは、私も弟も母も殺されるかもしれない。という感情だけしか覚えていない。

1年くらい前に叔父から電話で実父(Aさんとします)が亡くなったと連絡が入った。
「はぁ、なるほど、へえ」
私は何も思う事なく、魔が抜けたように答えた。
ほんとこんな感じの受け答えだったと思う。
亡くなった事へは特段感情は何もなくて
「あ、終わった」
と今まで見知らぬ恐怖に追い詰められていたと実感し、それに気がつた瞬間、緊張の糸が切れた。

記憶を辿ってみると、曖昧な部分が多く
実際のところ、小学校の高学年だったか、その前だったのか離婚した事と
冒頭の感情の記憶が定かではない。

なぜかと言えば、Aさんにはいい思い出はなく
大人の勝手に振り回された私の人生のスタートだった期間だったとしか記憶していない。
この時代にきちんと父性を感じなかった私は男性とのちに歪な関係しか結べなくなるなんて、Aさんは考えていなかったであろう。

私はとある地方都市に生まれた。

父、母、弟、私の至って普通の家族構成。
団地住まいの若い夫婦と、小学生の家族の姿は当時珍しくなかった。

ただ他の家と違った事は、Aさんが不倫以外の悪事を見事にやってくれたのだ。
お酒を飲めば、他人様に迷惑をかけるまで飲み暴れる。
給料日には、全額パチンコに注ぎ込み生活費なし。
パチンコ屋さんを巡り居場所を突き止める日々。(OMG!!!!)
母のカードを勝手に拝借し、暗証番号も推測し(すごいね)勝手にキャッシング。
消費者金融から多額のキャッシング(取立ての電話がかかってくるので、受電は私。小学3年生くらいの時から、きちんと電話の受け答えができたていました)
極め付けは、自分の意のままにならないと暴力三昧(怖くて覚えていないくらい)
あとは思い出すとゲロッと吐きそうになる程、他にもやらかしているので
あえて言語化しないようにします。

そんな人生の前半。
私は生きていた。

母や祖父母は守ってくれ、かつ私の好奇心とクリエイティビティを最大限に活かしてくれた。
貧乏だったかと言われれば、母に祖父母の金銭的な援助があり、それでなんとかなっていた。
愛情は三者からは余るほどに貰っており、これには大変感謝している。
祖父は寡黙だが、料理に洗濯にと家事全般ができる人。
戦争を体験した人だから、私と弟には沢山ご飯を作って食べさせてくれた。「パン食べに行くぞ。」と近くのショッピングセンターに連れて行ってくれた。
そんな風にファストフード店に私たちを毎週連れて行ってくれ、必ず食べさせてくれた事も記憶にしっかり残っている。
ありがたいしか祖父にはない。

祖母はちょっとハイカラな人だった。
オシャレでカッコよくて、あとはとてもウィットに飛んで、賢い女性だった。
私の「なんで?」という沢山の質問に、毎回嫌がる事なく答えてくれた。
多角的に物事を見る視野や視座は祖母のおかげだと自負しているし
あと、私の言語化するや口頭での話の面白さはここが起因していると思う。

と、家族紹介をしてみました。

そんな訳で、母と「そういえば・・・」的な感じで命日を朧げに思い出し
(その日付についても、2人で10分くらい迷う始末)
それから、Aさんの話は
まぁ、結果悪口大会になりました。笑

そうなったら、二人揃ってなんとも言えない大きな苛立ちに駆られ
「もう、来年からはこれ(Aさんの命日思いだすの)なしね」とあっさり
さよなら案件に落ち着きました。

見栄えがちょっとばかりいい遺伝子を貰えた事には感謝するが
それ以外は、ドクズのAさん。
(ちなみに母も長身の美人よ)
さーよーうーなーらー


余談:今の父(パパ)は顔は特段イケメンではないが、それ以外は
誠実で仕事もできて性格も良くて愛情深く本当に良い父だ。
(仕事が大好きで、働きすぎなので「働くな!休みの日は休め!」と私に怒られる始末)
そんな、私はムスメになって20年とちょっと経ったが、パパのムスメで幸せだなとしか思わない。
実家に帰れば、普通のパパと娘のように
美味しいご飯を食べたり、忙しいながらも家族団欒の時間を作ってくれる。
「靴下は洗濯機に入れて」とか「寝るならベッドで寝て〜」とか結構平和にやっていて、そんな事に私は幸せを感じている。
ありがとうパパ!
だからね、容姿なんて年齢を重ねたら崩れるのよね。
ただ、パパを見て思うことは性格や人格の良さは一生物なんだなと思う。
だから、人間顔じゃないよ。
性格の良さは生涯残るものなんだな。って。


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