幸福の種

画像1 いつかひらりと。
画像2 私はパニック障害という病気を患っており、月に一度通院しています。カウンセリングと薬の服用が支えです。発症した当時、車の運転中でした。何が起こったのか分からず、眩暈と動悸、過呼吸に襲われ車を脇道に停車させました。このままでは意識が無くなってしまうと咄嗟に感じ救急車を呼ぶか迷いましたが、なぜか母親に電話をし話しているうちに、少し回復したのを覚えています。
画像3 今でも長時間の運転は怖く、電車やバスにも一人では乗れません。フェリーや飛行機は、乗っている自分の姿を想像するだけで息切れをし、頭が痛くなります。病院には息子がよくついて来てくれるので安心です。「パパについて来たおかげで天使の梯子が見れた」と、頼もしく呑気な息子です。何かいい事が起こる前兆らしいと息子が教えてくれました。通院していなければ、見る機会もなかったと思います。
画像4 私には二人の子供がいます。大学、専門学校をそれぞれ卒業し、四月から社会人になりました。ずっと医療を学んでいたのですが、二人とも学校で学んだ道以外の選択をし、毎日バタバタしながら頑張っているようです。それもこの子たちが決めた道なので、私はいつまでも応援しようと思っています。私は何も偉そうなことは言えませんが、人生は回り道や壁や山だらけで、思った風には進めないのもある意味でスパイスだと思っています。
画像5 ママは、娘が産まれて間も無く、病気のため他界しました。明るく、何に対しても前向きな妻は、天国へ旅立つその瞬間も、ありがとうと、笑顔の贈り物を私たち三人に残していきました。
画像6 息子も娘も、ママの顔を写真でしか知りません。たまにみんなで集まって食事をする時、懐かしい写真を見ながらたくさんの思い出話に花を咲かせます。二人とも、妻に似てとても明るくてママ以上に前向きなので私もびっくりし、時にとても助けられています。
画像7 娘は洋服や化粧品、何より旅行が大好きです。毎年友人と沖縄へ飛び立ち、いつもシーサーの置物をお土産に買って来てくれます。だから机にも玄関にも、たくさんの笑顔と幸福が溢れています。「置いて困るものじゃないけん、ないよりいいでしょ?」と、いつも笑っています。シーサーのこの顔と、娘の笑い顔が似ているのでそう言うと、「そんな言うならもう来年はお土産なしやけん!」そう言い続けて毎年増えています。
画像8 産まれてからずっと、ママ以外の誰にも懐かず、いつも泣いてばかりいた娘ですが、いつの間にか頼もしくなりました。来年は二十二歳になります。自分にそっくりな姿を見て、天国のママもきっと笑っていると思います。
画像9 息子は映画や音楽が大好きで、福岡までよくライブに出掛けます。友達と古着屋さんを見て回るのも趣味のひとつです。アニメや漫画にも詳しく、私もいろいろと教えてもらいます。学生時代は陸上部や吹奏楽部に所属し、私もよく観に行きました。
画像10 息子の言葉に、私はたくさん助けられました。「パニック障害はきついかもだけど、そのおかげで車の運転も慎重になったでしょ?事故で命を落とすよりいいと思うし、その病気も含めてパパじゃん?」その言葉のおかげで今ではこの病気も自分の相棒だと思えるようになりました。今からお金を貯めて、いつか病気が治ったら子供たちとクルーズ船に乗って旅行したいなぁと思っています。
画像11 息子とふたり、たまに海岸を散歩します。まだ息子が小さい頃、手を引いて遊んでいた近所の懐かしい海辺です。ここで石投げをしたり、サッカーをしたり、魚釣りをしたりと、砂だらけになって遊び、家に帰ってよくばぁばに怒られました。
画像12 高校生の時、息子はしばらく学校に行けない状態が続きました。本人にとってとても辛い日々だったと思います。悩み、苦しみ、頭と身体が全部自分のものではない気がして、足がどうしても学校に向かわなかったそうです。今でこそ話せる思春期の茨の道だったと思います。
画像13 ママが生きていたらどんなアドバイスをしたかな?何と言って励ましたんだろう?私には分からず、とにかく朝三時くらいに起きてお弁当を作り、車を二時間走らせ寮へ向かいました。そして車の中でたくさん話をして、一緒にお昼ご飯を食べる毎日を過ごしました。英語の勉強をしたり将来の目標を語り合ったり、そうやって少しずつ授業に復帰出来るようになりました。金曜の夜に迎えに行き、月曜の朝早く寮へ送り、私は車で待機していました。
画像14 今では懐かしい、パパのお弁当の数々です。正社員から短時間の契約社員へ配置転換を申し出て、約一年間は息子と二人三脚の歯をくしばる戦いでした。でも、父親としてなぜか楽しかった。一緒に負けないぞと!見えない何かと根くらべです。
画像15 栄養だけは摂れるようにと、あれこれ独学で料理を勉強しました。息子を連れたくさんの映画を観たり、一緒に料理をしたりと、笑顔を取り戻すために何が出来るかな?という疑問はいつの間にか忘れ、一緒にとにかく楽しもう!と無意識のうちに体が動いていたと、今では思っています。息子が不登校にもしなっていなければ、あんなに話し合ったり励まし合う機会もなかったんだろう。
画像16 いつだったか、息子が小学校低学年の頃の授業参観で、童謡の「うさぎとかめ」の歌を考える授業がありました。うさぎさんとかめさん、みんなはどう思いますか?何か考えることはありますか?案外と深い話だなぁと、教室の後ろから興味深く聴いていました。
画像17 「うさぎは油断したと思います」「かめは偉いと思います」「もしうさぎが油断をしなければ文句なしに早いから、僕はうさぎがいいです!」「もしもの話はずるいと思います。それならかめの方が長生きするから長距離走ならかめが勝つから私はかめの方がいいです」何かすごい考察が始まったなぁと、他のお父さんお母さんも感心していました。
画像18 一番前の席の息子に、先生が尋ねます。「しゅんちゃんはどう思いますか?」「えっと、ぼくは二匹が仲良くした方がいいと思います。うさぎが木の下で寝るのは疲れているからだから、かめの甲羅の上で寝たらゴールまで運んでもらえると思います。かめの頭が先にゴールするから一番はかめだけど、運んでもらったうさぎは感謝して仲良しになると思います」「すごい考えで、先生もびっくりしました。それなら平和ですねぇ!」クラス中から拍手が起こりました。
画像19 何かのアンケートで、今の世の中はとても住みにくいと回答する人が多かったそうです。確かに、お年寄りも子供も、働く大人もみんなが苦労をしている世の中だと思います。心の余裕がなく、遠くに架かる美しい虹をゆっくり眺める時間とゆとりすらないのかもしれません。
画像20 朝起きたら、もう戦いの準備にあくせくとし、夕陽が沈む頃にはぐったりとして、次の日の戦いの為に眠るだけの毎日かも知れません。だとしたら、人は何の為に生まれ、何を成して命を全うするのだろう。孤独でさもしい日々の中で、一体いつ心から笑えるんだろうか?
画像21 みんなひとりひとり、心の中に美しい風車を持っていて、たまに止まってしまうけれど、それでもまた歩き出して、カタカタ十人十色の美しい音を奏でながら回っていくのが生きることだと私は思う。感謝や勇気、笑顔に涙に夢。それが個人個人の風となって風車を回し、時に誰かの羽も回してくれる。
画像22 人の一生は儚いかも知れないが、夜空を彩る花火の様に、鮮烈な美しさで思い出を刻む。偉いも強いもないんじゃないか。花火はみんなが美しくて、同じように消えてなくなる。大きな花火も小さな花火も、それこそが個性の花であり、華だと思う。
画像23 妻が残した大きなリュックに二人分のミルクとオムツをたくさん詰め込み、遺骨を持って熊本の実家に帰って来た日、新しい人生が始まりました。か弱く、貧弱な、小舟に乗ったような心細い船出でした。
画像24 それでも家族や、周りの多くの人に支えられ励まされ、子供たちもすくすく成長しました。そして私自身、子育てを通して多くの経験をし、人間として大切な何かを学んだ気がします。大袈裟だとは思うのですが、この子たちのおかげで、今の自分があるのだと思います。私には何の取り柄もなく、妻でなく私の方がいなくなっていればよかったと、何百回考えたのか分かりません。
画像25 けれどこうして今生きている。それならもっと生きて、その先に何があるのかを見て聞いて、お世話になった人に恩返しをし、何かを通してほんの少しでもいいから誰かに助けになりたいなぁと、思います。
画像26 綺麗事だよと笑われても、人の腕は誰かを傷つける為ではなく、そっと差し伸べ支える為にあるのだと思う。少し気を抜くと落っこちそうな毎日の辛い生活の中で、しっかり手を取り、共に歩んで行くのが人だと思う。
画像27 横に並べば姿も形も背丈も、みんな可笑しいくらいにバラバラだ。足のサイズも性格も頭の中身も、香りも夢も好き嫌いも、まるで違う。けれどそれぞれ違う目に映る、希望の景色は同じ色だ。
画像28 ひとりひとりに出来ることなんてとっても小さい。役になんて立つ訳ないと思ってしまう。他人に何かしてあげても、結局損するのは目に見えてるじゃないか、そう考えてしまう。偽善とか綺麗事なんてうんざりかも知れない。面白くもないのに笑顔なんか作れるか!
画像29 けれど、あなたが何気に話した言葉や、意識しないふとした笑顔で、誰かの命を救うかも知れない。通り過ぎた人の人生を大きく変えるかも知れない。そりゃ、悲しい時、辛い時、うまくいかない時、悔しい時、大粒の涙を流す日もあるだろう。涙は笑顔の栄養だから。
画像30 赤ん坊が産まれて大声で泣くのは、きっとその後向日葵のように笑う為だと思う。そしてぎゅっと握った小さな拳で、いつかその何倍もの幸せを手に入れる為だと思う。世界中の人にとって、いっぱい泣いた分、きっと笑える日がやって来ますように。小さくてか弱い花びらみたくささやかでもいい、いつか幸福という名の種をつかめますように。

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