出来そこないの唄
「夏休みになればこっちのもんやぁ!!」
小学生の時、仲間たちはみんな、同じ気持ちで歓喜と期待を込め首を長くして、この長い休みを待っていたと思う。
子供たちにとって、夏休みは何より特別な宝物だった。
異世界、異空間、異次元、至福、天国、おおよそ考えつくたくさんの言葉をも全て軽く超越した、大きな偉大な存在であった。
悪ガキたちの朝はとにかく早い。
早朝六時、高学年が持って来るラジオから、お馴染みのラジオ体操の軽快な音楽が流れて来る。
私たち、当時まだ低学年の悪ガキ、七名は、その遥か数時間前の午前三時頃には当たり前のようにグラウンドに集合していた。
辺りはまだまだ暗い。
目的はただひとつ。
カブトムシとクワガタ、特に貴重だった大きなヒラタクワガタやミヤマクワガタの採集である。
夏場になると、毎晩野球やソフトボール、テニスやサッカーなど、何かしらの球技の練習がそのグラウンドで行われており、ナイター照明にたくさんの昆虫が集まることを子供ながらにみんな知っていた。
朝方になると照明の根本付近にお目当てのクワガタが歩いているので、上級生より早く捕まえるため、私たちはあらかじめ話し合い、計画を練り、そんな早い時間に集合して手分けして探して回っていたのである。
「おい!こっちにはコクワガタのデカいやつがおるぞ!!」
「マジね!?こっちはノコギリクワガタや!」
虫かごに一時的に保管し、いったん家に戻ってエサの入った専用の飼育箱に移し替える。
それが終わるとまたみんなで集合し、家からこっそり持って来た農協のみかんジュースを汗だくで飲み、ベンチでアメンボのように横たわって休憩し、日の出を眺める。
そんな慌ただしくも楽しい毎朝が日課であった。
ラジオ体操が終わると、みな約束を交わして家に帰る。
朝ご飯を食べて、十時までは学習時間と割り当てられており、それまでは外出出来ない決まりに学校が定めている。
私は今でもそうだけれど、宿題などは、
『最後にまとめて仕上げる派』
である。
十時までの時間は、部屋で夏休みの友を読むフリをしながら、捕まえた昆虫の鑑賞をしたり、マンガ本を読んで、外出可能時間になるのを心待ちに過ごしていた。
十時になると、先ほどのグラウンドの高いポールに白旗が揚げられる。
それは『水泳が無事行われますよ!』の嬉しいサインである。
ちなみに雨や、強風などで水泳が行われない場合、赤の旗が揚げられる。
当時はまだプールがなく、交代制で保護者が監視員となり、近所の海岸で水泳が行われていた。
飛び込み台も沖に設置してあり、夏休みが始まる前には地区で海岸の清掃作業などもきちんと行われ、その行事もとても楽しかった。
思う存分泳いだ後は、私の家に皆集まり、庭のホースで水浴びである。
塩水を洗い流すのが一番の目的であるけれど、水のかけあいに発展し、庭も水浸しになるのでよく母に怒鳴られたものである。
各自持参したバスタオルで体を拭き、短パンとタンクトップに着替えが終わる頃、母がいつもスイカやコーラ、カルピスなんかをたくさん用意してくれたので、それを口にしながらあれこれ午後の計画を立てる。
そのまま一旦は家に帰ってお昼ご飯を食べる友達もいれば、そのまま私の家で過ごし、ご飯を食べる者もいる。
そうやって毎日代わる代わる誰かの家におじゃまして、うまかっちゃんや出前一丁、手作りのおにぎりなんかを食べて過ごしていた、そんな懐かしく、楽しい日々である。
海水浴場から一番近い場所にあるのが私の家だったので、基本的には私の家が集合場所、兼、お食事処、兼、お昼寝場所であった。
お昼ご飯が済むと、廊下の網戸の前で、これまたトンボのように腕を広げ、しばしの充電昼寝の時間だ。
二時に目を覚まし、山に登って隠れ小屋を建築する技巧派の日もあれば、グラウンドで野球をするスポーツ派の午後もあった。
水道水をガブガブ飲んでは頭から水をかぶり、子犬のように頭を振って走り回れば、それは天然自然の乾燥機である。
さて、一日の締めくくり、メインイベントがここから始まる。
皆、自宅へ戻り、釣り竿とエサ、バケツを持ってフェリー発着所付近の海辺と桟橋辺りに集合し、夏恒例のアジ釣りが開始される。
おっと!早速引きがある!!
いやいや、おれの方が先やったぞ!
待て待て!
早さより獲物の大きさが大事やろ?
それなら一番に釣って一番デカいおれの勝ちや!!
そんな感じで肥えたアジの大漁だ。
市内からはるばる釣りにやって来たおじさんが何やら話しかけてくる。
「あ、すみません。ウチの子達が何かイタズラでもしたんでしょう?」
かき氷の入った袋を持ってやって来た母が心配そうに会釈している。
「あ、お母さんですか?いえいえ、そんなんじゃないとです。この子達があんまり釣るもんだから、私とどこがどう違うのか聞いてたとですよ。私は釣りが唯一の趣味で、そこそこお金も遣ってですね、こうやってこっちに来るために一ヶ月前から家内のご機嫌ば取って子供にも味方になってもらう下準備ば頼んで、やっと釣りに行ける感じなんですよ。ところがですたい。思うように釣れんもんで、エサ代とガソリン代ばかりかかるて、家内には呆れられてしまうとです。それに引き換え、この子達の釣竿、こりゃ手作りの竹竿でしょ?聞けば海に流れてきた竹を切って、これまた拾った糸と針でみんなばかんごつ釣っとですよ。頭の下がる思いです。」
「おっちゃん!アジはね、釣るんじゃなくて釣れるもんばい。おれたちは毎日百匹以上持って帰るよ。」
そんな生意気なことを私は言っていたらしい。
みんなで山分けしたアジを持って帰ると、母が刺身や南蛮漬けに料理してくれる。それが美味しくて大好きで、褒めてくれる父と母の笑顔がまた嬉しくて、毎日毎日、みんなで釣りに行ったものである。
私は今年、五十歳になった。
そして、少し大袈裟ではあるけれど、その人生のほとんどを、海の近くで過ごして来た。
だから海は第二の故郷である。
高校、大学へと進学し、ほんの少しばかり都会の生活の一片をかじり始めると、それまで当たり前に存在していた地元の山や海を、
「実家は田舎やけん、なんもないんよねぇ」
と、適当な苦笑いで軽く揶揄するような、情けなく矮小な自分の姿がたまに顔を覗かせたりもしていた。
それでも、帰省した時などは、その海辺で行われる花火大会に必ず出かけ、旧友達と思い出話に花を咲かせていた。
甘酸っぱい、小さな小さな恋物語も、サッカーのチーム分けが原因で幼なじみと取っ組み合いの喧嘩をして膝小僧を擦り剥いた笑い話も、みーんなこの海岸の砂浜が舞台だった。
東京で妻と出会い、恋に落ちて結婚をした。
二人の子供に恵まれたけれど、娘を生んで間も無く、妻は病気で他界した。
息子が生まれた年の夏、初めて妻を実家の海辺に連れて行き、砂浜に座って海風を全身に浴びながらいろんな話をした。
新潟生まれの妻にとって、九州の風景はとても珍しく映ったらしく、長閑な景観をとても気に入った様子だった。
「いつかさ、こっちに引っ越して来てもいいよ。だってあなたが育った場所でしょ?こんな海の近くで子育てしてしたいなぁ」
と、妻は無邪気に笑ってくれたので、私はなぜだかとても嬉しかった。
幼い頃、バケツ一杯のアジを釣って帰った日、
「お!すごいな!名人やな!」
そう父に褒められた時と同じような、そんな気分だった。
妻との数えきれない思い出と、小さくなった遺骨を大事に抱え、二人の幼い子供を連れて実家に戻ったのは十二月の初めであった。
冬の割りに暖かく、私は息子の手を引き、娘をおんぶして海岸に散歩に出掛けてみた。
東から吹く海風が少し冷たく感じたので、息子の上着のジッパーをしっかりとめ、海に向かって石を投げたりした。
私は、この先の生活や、仕事、子供達の近い将来や遠い未来なんかをあれこれ無意識のうちに考えていたので、胸に何かつかえているような暗い気分であった。あれほど子供の頃遊んだこの海辺が、暗く、澱んで見えた。
いや、正確に言うならば、海の風景や色を、ゆっくりと眺めるような精神的な余裕など何もなかったのである。
父が迎えにやって来て、
「お前もいろいろと大変やったな。仕事とか、すぐにはどうにもならんやろうし、あんまりあれこれ思い詰めんでよかぞ。まずはゆっくり落ち着いて、それからな、先のことを考えればいいけん。生活のことは何も心配しなくてもいいからな。」
そう言ってくれた。
同じように、遠くの景色を眺めながら、父は、もっと先の明るい空を見ているのかも知れないと、私は思った。
父の言葉を噛みしめながら海を見ると、大きな魚が飛び跳ねた。
どれだけ沈んでいても、力を振り絞ってジャンプしなければ、この子たちを幸せになんて出来ないなと、歯を食いしばって考えた。
妻のお墓のある高台からは、壮大な不知火海が見える。
晴れた日は、春夏秋冬、お日様の光を浴びて燃えている。
二歳の息子と、一歳の娘を連れ、海辺で開催された夏祭りの花火大会を訪れた時、大きな花火の音を初めて耳にした二人の子供は大泣きしてしまった。二人とも私にしがみ付き、蜂の巣を突いたように大声を上げて、わんわんと泣いていた。
慌てて車に戻っても、まだ泣き止まなかった。
娘が鼻水を出していたので、アンパンマンのハンカチで拭いてあげると、今度は息子も鼻水を出していた。
機関車トーマスのハンカチで拭いてあげている時、その自分達の光景が面白くて、思わず大声で笑ってしまった。
すると今まで大泣きしていた子供達も私につられて笑い始めたので、それから三人で、しばらく笑っていた。
自分自身が笑顔になれば、この子たちも笑うんだと、その時思った。
子供たちが小学校に上がる頃、みんなでアジ釣りをした。
息子は私と同じようなやり方で、たくさんのアジを釣り、いつも得意満面であった。
カサゴやハゼ、コチやキスなんかも釣るので、私以上に名人だと思った。
娘は砂浜でアサリを採るのに夢中だった。
子供たちが捕まえた新鮮な魚介類をおつまみに飲む、暑い夏の缶ビールが、私にとっては世界一、宇宙一の味わいと贅沢であった。
秋の夕暮れの中、三人で自転車を漕ぎ、海沿いの道路を走った日もある。
三人で風となり、スピードをあげて爽快だ!
金色に輝き続ける雄大な海を横目に見ながら、歌を口ずさんで前へ進むと、海鳥たちも近くを飛んでいる。
たくさん遊んだかい?
また明日も海岸においで!
心の中でそんなことを言いながら、親子三人自転車を走らせる。
海は広いな大きいな!
海が青いのは、
空が同じように青いからだ。
そしてその海を眺める人の目が、
海のように純粋だからだと思う。
子供の頃は何も知らず、
たまに天狗になったりいい気になったり、
少し生意気な半人前の大人であったり、
ろくでなしや出来損ないの人間だとしても、
いや、
そうだからこそ、
海はいつも青く澄んでいるんだろう。
魚にだって、カモメにだって負けないぞ。
海は広いぜ大きいぜ!
そんで、
強くて逞しくて、
優しいな。
走れ!
進め!
負けるな!
空へ!
海の彼方へ!
あの青に向かって、
さぁ!