「授業がつまらない」

息子が学校に行かなくなって4か月以上がたちました。自分の中では結論は出ているような気がします。もう、息子は学校には行かないだろうと、無理に学校に行かせるより息子に合った勉強なり体験なりを模索しながら家で教育する、いわゆるホームスクーリングがよいのではないかと。

もちろん相当に困難であることは想像できますし覚悟もしなければとならないとわかっています。親自身がどうすればよいのかわからない、少なくとも正解のある可能性がある選択肢が用意されていない。自分自身が、用意された正解を探すという教育から脱しきれていないのかを痛感しています。

(詳しくはまだ書いていませんが)いまのところ、少しずつでもよいので学校に行けるようになる、ということを目標にはしています。夫婦とも、学校とも話して、まずは学校に来てみる、別室登校(いわゆる保健室登校)から始めてはどうか、とは話しています。これはつまり無難な判断である「用意された選択肢」です。

しかし本音を言うと、その先に息子自身の表情が明るくなった姿が想像できないのです。頑張って学校に行って、支援教室(少し前でいう保健室登校です。コロナ以降いわゆる「保健室登校」に対応するため、どこも保健室とは別に別の教室を設けているのだそうです)にひとり過ごして(ここでたくさんの仲間がいるというのであればまた別かもしれませんが)、例えば用意されたプリントをやって過ごす。最初は親と一緒でもいいし、また時間もみじかくてもいい、帰りたければ帰ってもいい。いつかできるなら教室に顔を出せるようになればいいね、と。息子にとっては相当なエネルギーを使うことは想像できます。それだけのエネルギーを使って、なんとか「学校に行」けたとして、その先にある息子にとっての幸せなゴールが想像つかないのです。

それなら最初からそのエネルギーを使って、親と一緒に家で勉強する、いろいろな経験を積む、というほうが生産的ではないかと。もちろんどこかで「学校に行きたい」と自分から言い出した時には行かせればよいと思います。


子供が学校に行きたくないと言い出した時、無理に「なんで行かないの?」と聞き出さない方がよいというのはどの本にも書いてあります。ただ、それは行かないと言い出した場面で焦り感情的になってしまい、いちばん味方になってあげるべき親が子供を問い詰め、追い詰めるようなことになってはならない、ということであって、理由を聞いてはならないということでは決してありません。

これまで息子に落ち着いて話をしてきました。息子が学校に行きたくないと言っている本音の理由で大きいものは

・学校の授業がつまらない
・キッズも含めて長い時間学校にいなければならないのが退屈だ

ということだと思います。実際に学校に行きたくないと言い出したときについ「どうして?」と聞いてしまったのですが、そのときにも「授業が簡単すぎて退屈だから」と出てきました。

夏休みに1日中キッズに預けることについてはつらいだろうなと思っていたのは前述した通りですが、授業がつまらないというのもある意味そうだろうなと納得するものがありました。

その時に思い出したのは、6月の授業参観のことです。算数の授業だったのですが、「こんなに簡単な内容なの?」というのがそのときの正直な感想でした。くまさんやいぬさんなどの動物の絵のマグネットを6~7枚、一列に並べて黒板に貼り、「くまさんは前から何番目にいるでしょうか?」「くまさんの後ろにあと何人(匹?)いますか?」「後ろから数えれば何番目ですか?」といった問題を45分間かけて、順に手をあげさせて答えるというものでした。確かに算数の教科書やプリントを見てもその通りの内容なのですが、いくら小1とはいっても、当たり前すぎる内容で、子供も面白くないのでは?というのが正直な感想でした。

「数を数える」ことと「順番を数える」ことの違いや関係を理解する、というのが目的であることはわかります。このような基礎となる考え方がひとつひとつ教育課程に盛り込まれているのでしょう。

それにしても、Eテレのテレビ番組を見ながら歌に乗せて山手線の駅名を全部覚えて暗唱できたり、クイズ系のYouTubeを見て4桁最大の素数は何かを知っていたり(もちろん素数の意味も理解)、マイクラを見様見真似で想像もつかないようなものを作ったりするような今どきの子にとっては、これでは退屈で仕方がないだろうなと。ちなみにこれはうちの息子が特別なわけでもなんでもなく、通っていた保育園でお迎えに行ったときに子供同士でしているブロック遊びやボードゲーム、読んでいる絵本などを見ても、それぞれ興味を持っているものに対してはこれくらいのレベルではあるかと思います。

45分間、わかりきっている話をじっと座って聞く、退屈な時間を耐えるのがどれほどつらいのか、しかも1日4~5時間、毎日毎日延々と続く、学校が終わればキッズで日が暮れるまで親の迎えを待つ、学校に行きたくないというのも無理はないかなとは正直思います。

学校の先生を責めるつもりはまったくありません。会社員として20年以上働いてきた身としては、子供たちの過ごす時間を預かり、授業をベースにマネジメントする(語弊のある用語の選択かと思いますが敢えてここではこの言葉を使います)のがどれだけ大変なことか、理解できます。会社での部下10人程度の仕事のマネジメントでも相当に大変です(まして社会人の場合は「自分で学べ」と突き放すこともできます)。20~30人の子供を預かり、教育することがどれだけ大変なことか、もっと言えば無理難題なのか。


9月に学校に行きたくないと言い出したとき、しばらく休もうかというのと同時に、パパやママと一緒におうちで勉強はしようね、とは言いました。学校の先生とも相談し、教科書に沿ってプリントや市販のドリルを使って学校の授業と同じペースで勉強をすることにしては、と。スマホで毎日担任の先生からその日の授業内容が送られてきます。

算数の計算にしても、国語の漢字にしても(音読は意地でもやらない)、プリントやドリルの内容がわからないということはなく、プリントは1ページ10分もあれば終わってしまいます。次第に「学校に行かない代わりに〇ページやる」「ドリルを〇ページやれば、YouTubeを見ていい?」等と枚数をやること自体が目的や駆け引きになってしまい、親も子供もなんのためにやっているのか、という状況になってしまい、中断した状態になってしまいました。

一方で筆算やかけ算(九九)や、漢字の読み方、地図やプログラミングなど、興味を示しそうなことがわかったとき、手作りでカードゲームを作ってクイズ形式でやってみたり、辞書やインターネットで一緒に調べてみたり、YouTubeの興味を引きそうなチャンネルを一緒に見たり(一方でYouTubeとの格闘については改めて)、なんとか興味を引こうと試行錯誤しています。今は「学校は休んでいるけど、お勉強ぽいことも少しはやろうね」という感覚です。

ただ、いざやってみると親にとっても相当な時間と労力が必要です。いっそ、もう「学校は(行きたくないなら)行かなくてもいい」とはっきりと息子に言って、ただし「一緒に家でしっかり勉強はしよう」とはっきり方向性を示したほうが息子にとってもいいのではないかな、親としても中途半端にやるのではなく、本気で一緒に勉強するほうがよいのではないか、とどこかで思うようにもなってきています。つまりホームスクーリングです。

もちろんそんなに簡単にできるものではなく、親にとっては相当の覚悟が必要なことは感じています。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?