佐々木望さんの本を守護霊と一緒に読んだら、生き方の本質を学んでしまった
この記事は守護霊と喋れる人が、
守護霊との会話をひたすら書き起こした
トーク記録です。
一人数役の落語ではありません。一応ね。ふふ。
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💎:前回、不登校についての記事をあげたら、思ったより好評で驚いちゃったよ。あの記事を読んでみてどうだった?
🗡️:にわかには信じがたい、半分ほど何を言っているのか分からないという読み手もいたようだが、ともかく不安を拭い去れる記事ではあったな。
💎:褒めてるの?褒めてないの?笑
🗡️:君が自分の記事を褒めたいと思うなら、私はその考えを否定しない。
💎:あー、じゃあ褒めとこうかな?笑。ってかそんなことより、今日は声優の佐々木望さんの話がしたいんだよ。
実は最近、佐々木さんが東大を卒業した、っていう話を知ったんだ。 卒業したのはもう4年も前のことで、入学したのは10年くらい前のことらしいんだけどね。
佐々木さんのことは前から知ってた。でも出演している作品は、実はほとんど見たことがなかった。それなのに、名前だけ時々思い出してたんだよ。1ヶ月くらい前にふと思い出して検索してみたら、いつの間に東大を卒業してて笑、そして去年、そのことを書籍にしたんだって!
💎:どこからツッコんでいいのか分からないくらい、色々すごくて衝撃を受けた。佐々木さんは18歳で社会人になってから、30年以上、学歴としては高卒として働いてきたのに、まさか50代で大卒になる、という珍しいキャリアを築いたわけだよね。
ちょっと前に読んだ不登校で有名なYoutuberのゆたぼんさんが高認を取る、って言った記事のコメントに、高認は中卒扱いだからー😙プププ!っていう意見があったけど、
💎:高認から大学を受験して卒業すれば、高校に行かずに大卒になることもできる。佐々木さんはまさに、何歳からでも大学に行けるし、大卒になることができるってみずから実証してくれたと思う。東大じゃなくてもOKだと思うけどね笑。これからの時代、小学校→中学校→高校→大学、6334制、みたいなモデルを求めすぎなくてもいいように思う。
ただ、普通の会社に就職して、サラリーマンになりたいと思ったら、大学に行かないと、ちょっと厳しいとは思うけど…。
🗡️:その通り。社会の標準にある職業に就こうと考えるなら、先にも言った通り、学校に行って、普通の成績を取れる人間だということを証明しなければならない。
君も含めだが、彼らもみな、特殊な職業に就いている。ゆたぼんの場合は、まだ就職することができない低年齢であるにも関わらず、ネット世界で大人のように稼いでいる。これでは、もはや学歴は後付けでしかない。
だが、今では誰でも、大人子供問わず、金銭をやりくりする方法がいくつも出現している。それこそ、声優もその類の一つで、養成所で演技指導を受けて、事務所からしかるべき手順で仕事をもらう、という時代ではなくなってきている。子どもだとしても、キャラクターと需要さえあれば、声をあてて報酬を貰うことができるようになった。
需要のある場所を見極め、それを追い求めるような世界に進みたいならば、従来型の学校という制度を通る必要は、必ずしもなくなってきている。
だからこそ、望は大学に挑戦したのではないか?彼はその感性で、時代の動きを機敏に捉えている。彼はこれまで学歴や学業の必要性を感じてはいなかった。だが、ある時突然、ひらめくように大学を受験しようと考えた。
それは、学びがその時に、彼にとって必要になり、またそれが可能な時代がやってきたからだ。
これからは必要な時に、必要なことを学ぶ、という形態の学業が、さらに出てくる時代になる。
💎:そうだね。必要なものが必要な時に、っていうのがこれからのキーワードかもしれない。通販サイトの謳い文句みたいになっちゃったけど😂。
にしても、本当に佐々木さんはすごいよね。佐々木さんが上梓した著書を、なんとご本人が朗読してるっていうから、これが聞きたいがためにAudibleに加入しちゃったよ笑。
💎:内容に関しては、黒坂岳央さんというYoutuberの方が順を追って説明してくださっていて、この方は英語を専門にしてるみたいだから、説明も英語についてが多めなんだけど、佐々木さんは英語も普通に喋れるみたいなんだよ。どこまですごいの?と思うんだけど…😭。
ずばり!佐々木さんはどういう人なのかな?
🗡️:とても明るい人柄だ。同時に情熱的でもある。しかし、いつも熱血漢のように暑苦しいわけではなく、非常に冷静で繊細なところもある。
本は明るい語り口で書かれてはあるが、何のために勉強しているの?大学に入ってどうするの?と聞かれ、実際は密かに落ち込んでいる。
💎:落ち込んじゃったのか…。まぁ、迷惑な質問ではあるよね。何のためでもあんたに関係ある?ってハロムなら思っちゃう笑。 それにしても、佐々木さんは知りたいって思ったことへの情熱がすごいよね。
著書にも、声帯炎になってから、本気で発声や演技の勉強をやり直したって書かれてた。色々な文献を調べたり、その道のプロに指導を依頼したり。どうやったらこんな風に情熱を燃やせるのかな?ハロムは情熱が不燃なタイプ(笑)なんだよね。
🗡️:君の場合、やる気を沸騰させるのは根性と怒りだから、彼のようにポジティブな話になりにくいだけで、情熱がないわけではない。あんたに関係ある?と思うのだろう?その考えこそが象徴しているではないか。勉強なんか意味あるの?大学入ってどうするの?と聞かれて初めて、お前が否定した勉強と大学の意義を私が証明してやる、と頑張るのだ。
そして、知りたがりなのは彼も君も同じだ。ただ調べて答えを得るプロセスが違うだけで。望の場合は納得いくまで、どこかに答えがないかと探し続けている。君は相手に関わらず、疑問に思い始めると延々と誰かになんで?なんで?と尋ね続ける。だから相手も考えざるを得なくなる。それが考えたくないことだとしても。
💎:なんで?なんで?って、アナ雪のオラフみたいじゃん笑。実際、調べても分からないことはたくさんあるけど、誰かに聞けば、人によって答えがちょっとずつ違うから、その違いで、物事の側面が見えるっていうことがある。だから人の知識を引き出すっていうのは、すごく便利なんだよね。
尋ねる人がいなくても、同じものについての違う人の記述を探しまくれば、だんだん全体像が見えてくる。それだって、見れてる側面は全体のたった数パーセントかもしれないけど。
🗡️:知識の集め方も、人によって千差万別だ。しかし、そこが多様性となって、人類の強みになる。
知り方は、考え方の違いを生み出す重要な要素だ。
💎:佐々木さんの著書には「あえての一日坊主」っていう表現が出てくる。
💎:これは、もし、やると決めたことを続けられなかった時、意志の力が弱いとか、挫折したと思って落ち込まないために、あえて一日しかやらないって決めて取り掛かる方法なんだって。それで一日でもできたらすごい!と自分を褒めて、やる気にさせてあげる、と。
これは何を続けるにも良い方法だなと思った。ハロムはつまらないと思っても強引に続けちゃう人だから、「あえての一日坊主戦法」を使って、一日しかできないんだ……と思いながらやれば、本当に楽しくて好きなことを見つけられるよね。
たった一日だけで満足したものを除外して、もっとやりたいと思ったものを選んでいけばいいんだから。
🗡️:そういうことにも使えるやり方だと思うなら、そうやればいい。本来は足を軽くして、モチベーションを失わないためのものだろうが。彼は本で、やるべきことを後回しにする性格と自身を説明していたな。
彼は、本当に子どものように、やったら楽しかった、という感情のみを基準に、やりたいことを選んでいる。君の場合、続けることはすべて自分への修練、と思っているところがある。だから身になると思ったこと以外は続けないし、逆に言えば楽しくなくても自分に必要だと考えれば、続けられるということだ。少し飽き性なくらいがちょうどいいのではないか?望のように、純粋な子どものような気持ちで、気の赴くものを選んでみるといい。
💎:じゃあ飽き性になってみよっと笑。たださ、がむしゃらに頑張ってみたい、っていう気持ちもあるんだよね。本気で打ち込めるものが欲しいというか。その物事が重要なんじゃなくて、本気で打ち込んでいられる時間を過ごしたいだけなんだと思うけど。
佐々木さんの本には、うおっ😲と驚くようなセリフがいっぱいあって、あえての一日坊主もそうだけど、これもすごかった。
なんかね~、グサッと来た笑笑。 以前なら、努力は愛するとか愛せないとかじゃない、とにかくするもので、努力していないのなら、それは生きてることにならないって考えがずっと自分の中にあった。 でも数年前に自殺したいって本気で考えてから、自分の生き方をどうするのかもう一度考え始めるようになった。学生時代は色々と自分で定めた理想になるために、努力はしてきたけど、だんだんそれに疲れて、最後の方はほとんど何の気力も湧かなくなってた。でも、自分がなりたい最低限の自分になる努力をやめたら、それは文字通り、生きていけないってことだから、それが死にたくなった一番の原因だったのかもしれない。
他人が聞いたら、そんなことで?と思うかもしれないけど、こうでありたい、っていうロールモデルになる夢を叶えるのが人生だと思ってたから。 ただ、成長するほど良いと思える理想像っていうのは減っていって、自分がどういう人になりたいのか分からなくなっていった気がする。
ちょっと前から、努力を続けることは必ずしもプラスには転じないって思い始めて、そこから少しずつ、頑なな修行癖を削ろうと思って笑。 最近は、好きじゃないと思ったらそれ以上は絶対に着手しないって決めてる。じゃないと、嫌でもやり続けるから。
努力をする対象も、その努力という過程そのものも、自分が自信をもって愛せる、この努力が好きだって言えなければ、本物にはならないんだと思った。身にはつくけど、一流にはなれない。ちょっと待って、なんかいいこと言っちゃってる!ハロムも東大行こうかな?w
🗡️:努力とは本来、血眼になってやるものではない。君はただ自分を痛めつけるほどに心血を注ぐ体験がしたかっただけだ。それは努力とは呼べないが、しかし体験は決して無駄にはならない。
彼はなかなか、良いところに気づいている。
自分が愛せる努力とは、つまりその努力に対し、意志があるということ。
愛とは意志なのだ。意志を伴わない努力は、役には立つが、結果となって返っては来ない。
努力には意志、理想には尊敬が必要だ。尊敬のない理想は、本当に目指したい姿ではなく、誰かの基準で決めたものに過ぎない。もしその理想の姿になれたとしても、自分自身は何も変わらない。以前の、生きづらい自分のまま生きることになる。君はすでに、誰かと比べられる領域を過ぎている。ロールモデルなど、所詮は迷う子どものためにあるようなものだ。万人に必要なわけではない。
その点、望はいたって一般的なマインドを持っている。自分が楽しいと思えることに素直で、真っ直ぐに向かう純真な面を持ち、面倒だと思えることは後回しする。これが本来は、人の成長過程としてまっとうな姿なのだ。
だが本当に見なければいけない彼の側面は、彼が役者として成功しているところでも、東大を卒業したところでもない。自分のそういった経験を通じて、多くの人が持っている「自分のすることを何かの役に立てて、社会に還元しなければならない」という囚われを崩しているところだ。
自分のやりたいことを自分から先に諦めるな、役に立つか立たないかは自分が決めることだ、と、彼は訴えているのだ。方法はどうであれ、主体性を持って生きることが必要な時が来た。
主体性は、誰かに奪われるものではないが、自分から投げ出すことはできてしまう。自分主体に生きる、というメッセージを世の中に伝えるというプランを持った者は、これからも出てくるだろう。
それほど、今の社会に生きている人々は、自分を知らずに生きている。
💎:佐々木さんの著書は、一見するとハウツー本としてためになるし、自己啓発本としても励まされるし、自伝本としても面白いんだけど、本当は、さぁ、この俺を見てもまだお前たちは迷っているのかね?っていう挑戦状なのかもね。佐々木さんのキャラは絶対こんなんじゃないだろうけど笑。
おお、ここでやっと繋がったね。ゆたぼんさんも佐々木さんも、心にいつも自分を持って活動してる。こういう人たちに、すごく共感するし、応援したい気持ちになる。世の中には自分勝手な人はたくさんいるけど、良い意味で自分中心な人はあんまりいない気がする。何をするにも自分を知らなきゃ、自分にとって本当に必要なものは選べないと思うし。
🗡️:己を知るのは怖いものだ。幼い頃は、自分がどんな存在であろうと、何も恐れない。それは単に年齢が幼い時でも、魂の年齢が若い時でも同じだ。しかしある段階まで成長すると、自分以外の存在のことが目に入る。
比べるから怖いと感じるようになる。だが、これはある程度、仕方のないことだ。人はまず自分で考えられるようになるまでは、地道な工程をこなして成長し、考えられる力がついてからやっと、他人を見て自分の姿を測るようになる。だがそれが順当だ。他人と比べて自分を正確に測れるようになってから、やっと比較せず自分を知る段階に入る。
自分をかえりみず他者を助けることはその先にある。なのだから、無闇に自分のしたことを誰かや何かの役に立てようなどと考えるものではない。そう考えたとして、何の助けにもならないことがほとんどなのだから。
💎:だいたいの人が、誰かの役に立ちたいって思うレベルまではまだ達してないってことかな?
🗡️:結果として自分の行動が誰かの役に立つことはある。そういうものが世の中を向上させていることは事実だが、しかしそれはその人のその人生にとっては途中経過であって、誰かの役に立つことを考えて行動した結果ではない。
役に立つということを目的にしてはいけない。
それは結果であり、本当にしなければいけないことは自分の学びだからだ。
💎:すっごい良い話をしてもらったところで、話を戻すのもなんなんだけど笑、佐々木さんの本には、それこそタメにはならないかもしれないけど、最高に面白いエピソードがまだあったんだよ。
佐々木さんは読書が大好きなようで、20年以上前に「チボー家の人々(原題:Les Thibault)」っていう長編小説の全13巻をセット買いしたんだって。
なんだけど、読みたいウィッシュリスト本棚に全巻を置いておきながら、いまだに読んでないらしいんだよ。いつ読むかも分からないんだけど、佐々木さんはそれを、まだ読めてない、読まないと買った意味がないし内容を知らないなんていけないことじゃないか…と悲観的に思わずに、まだ、これからチボー家の人々を読める楽しみが自分には残っている!って超前向きにとらえて、この20年以上もの間、読めるまでのワクワク感をこの本からもらっている、って言うんだよね。
これ、地味にすごくない?ハロムはネットを見ていると、知っておかないといけない、みたいな強迫観念に囚われるんだよ。例えば話題のニュースやコンテンツとか。昔は毎日ニュースサイトを読んでいないと不安になってた。それだけじゃなく、例えば映画が好き!って発信したら、1ヶ月に一本しか映画を見ません、って言いづらい空気感があるじゃん?好きなら深掘りしろよ!オタクなら知ってて当然!みたいな圧力がかかっているというか。だからついつい、ずっと調べ物をしちゃう癖がついてる。
でも、「今は知らないが、これから知ることになる」ことを、楽しみながら待つ、っていう発想があったのか!と思って、軽くない衝撃を受けた。
佐々木さんから衝撃を受け過ぎてる笑。でも本当に、この本の存在を知ってよかった。
🗡️:知ることが悪いわけではないし、知らないこともまた悪いというわけではない。知ることはやはり、自分を成熟させるうえでは必要なことだ。
しかし、すべてにおいて、知ることが成長に繋がるとは限らない。他の出来事や経験を通じてすでに知っていることは、何度知っても成長にはならない。一度取得した単位の授業を何度受けても単位にならないのと同じこと。だから何に対しても知らなければいけない、ということはない。無知であることを勧めているのではないが、博識だからといって偉大なわけではない。
君はまだ知らないことがあるのではないかとネット上を漁っているが、君が知らないことはすでにネットには少ない。望も、実際チボー家の人々を読んだら、大した内容ではなかった、と感じるかもしれない。
実際に知ってしまったら、想像よりどうということはなかった、と感じることは人生を進んでいけばいくほど増えていく。だからこそ、知るまでの楽しみ、という他人には分からない自分だけの感動や価値観を大切にしているのだ。
そして大半のオタクと呼ばれる人種、特にネットで何かを発信している者たちは、知識を披露したい、または別に好きではないが友達探しのためにオタクを演じている者がほとんどだ。
その対象のどこが好きなのかは、人によって大きく異なる。まったく同じものが好きな者を探すことは、実は極めて困難なことだ。
本当はどうでもいいものを、自分の好きなものかのように振る舞っている者は多くいる。推しを持っているだけで、受け入れられやすくなる世の中になった。しかし自分が何を愛しているのかが分からないから、共感されたくて、または一人でいるのが嫌で、無理やり推しを作り、オタクを自称する。自分の愛するものが分からないのは、自分を深く知らないからだ。
まだ読んでいない本にさえ愛情を感じられるようになるには、己を知り、もっと知り、さらに深く探求しなければいけない。
自己探求こそが、人生を充実させる本質なのだ。
佐々木望の東大Daysのnote版です。インタビュー形式で書かれてあるので面白いです。アニヤハロムの記事と同じで!笑笑笑。
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