小説とエッセイ:写真の部屋
過去とは違って、現在は自分の写真へのフィードバックがあります。ソーシャルメディアに写真を載せたら、賛否が飛んでくる。いいねと言われればうれしかったり自信になるでしょうし、貶されれば凹みますが、その両方を自分の向上に繋げられれば価値があります。
皆がいいというから俺の写真はいいのだ、皆が貶すからダメなんだろうな、という短絡的な自信と自虐が一番よくない受け取り方で、褒められても貶されても自分のために利用しないといけません。そうは言うものの他人からの評価には誰しも敏感ですから心を強く持つ必要があります。
以前、ある書店の映画書籍コーナーで立ち読みをしている人がいました。その年の優れた映画ランキングのページを一生懸命読んでいたのですが、チラッと見えた顔に驚きました。その人は重鎮の映画監督でした。立ち読みではなく買ってから読めよとも思いましたが、その切ない後ろ姿には何か感じるものがありました。
写真に対する反応は数段階ありますが、写真作品としての評価はソーシャルメディアでほとんど見かけることがないので凹む必要はありません。次に「写っているもの」に対する評価が来ます。スゴい風景ですね、有名な人ですね、この場所に私も行きました、どれも写真の話ではありません。被写体についての感想です。こういった段階の話を自分に対する評価だと思うのは本当に無駄であり、誤解をしてはいけない部分です。
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。