マンホールと500円:Anizine(広告なので無料記事)
文庫本の平均価格は730円くらいだそうです。我々の時代から比べると高くなった印象がありますし、今は多くの情報がネットで手に入るので「無料」と対決しなくてはならないので苦戦していることでしょう。しかし本の価値はただ情報を知ることだけではありません。わざわざ「紙の本」とは言いたくないのでその言葉は使いませんが、本が持っている世界の価値は別の場所にあります。
学校からの帰り道、ポケットに小銭があるととにかく文庫本を買いました。新潮社の広告に「想像力と数百円」というコピーがありましたが、まさにそれです。自分が一生で体験できる世界は本当に狭いものです。でもたった数百円でアラビアでロレンスに会った気になったり、虎になりかけの友人と会ったり、人間を失格したりできるのです。
自分が生きていない世界を知りたい、という欲求がなければ、本は読まなくていいものになります。映画も演劇も観なくていい。そうすると自分が知りうる近所、同級生、同僚だけの世界の中で死んでいくことになります。実際にアラビアに行けば楽しいのですが、行かなくてもいいのです。脳がそこに旅をすれば、近所のコンビニの店員がムカつく、という些細なことばかりに気を取られることがなくなります。
noteで定期購読マガジンを作っているのもそれです。文章を読んで月に数百円を払うとはどういうことなのか。そこに自分が何かを提供できるのかをつねに実験しています。本を出版したときは少し違います。やはりあれはお客さんが本という「手触りのある物質」を買っている意識が強いからです。そうではなくテキストデータを買ってもらうことは、より内容に価値がなくてはなりません。厳しい世界なのです。
でも、たとえ500円でも払うのが大変な人だっているよ、という声がありますが、それはギャンブルと同じです。宝くじで3億円が当たると思うなら1000円払うからです。わかりやすいリターンの可能性が目の前にあれば、それは参加権という投資になります。ビジネス本も来週の会議に大至急役に立ちそうだから買うのでしょうが、これもわかりやすいリターンです。
「小説を読んでも何も返ってこないじゃん」と言われたとき、ああ、この人のギャンブルというのはそういうタイプなんだなと感じます。その人の感覚ではビジネス本を読み、来週の会議で覚えたてのビジネス用語をアサインして上司からアグリーされることのほうが重要なのでしょう。しかし、この手の人が出世することは多くありません。
重役と話す機会があって、アジェンダをコモディティ化しているとき、別の社員が入ってきて、「三国志、面白いですよね」と言った瞬間に重役と意気投合するかもしれません。これは喩えとしては即物的で下品なのですが、今の段階では役に立たないと思っていることのほうが、のちのち大きなリターン(物質的な意味だけではなく)を得ることがあります。コスパのことばかり言うコスい人は、コストコくらいのお得感しか手に入れられないのです。
というわけで、私は平林勇監督の『平林勇ストア』をオススメします。月に500円を払わずに「500円、支出をしなかった」と思うことがいかにつまらないことかがわかります。自分が若い頃にもし『平林勇ストア』を読んでいたら、つまらない遠回りをしなくて済んだと思うからです。その対価はおそらく数億円になっていたことが確実です。それが500円払うことで回避できたのなら安いものです。500円玉なんて、ときどきマンホールの穴に落としたりしちゃうような金属の丸いヤツなんですから、そんなものに固執したことで、人生の遠回りをするのは勿体ないのです。
私の知り合いで、それまで平林監督を知らなかった人も購読を始めて、次々と平林ワールドにはまり込んでいます。その購読者たちに幸あれ、と思います。
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。