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仕上げのエプロン~ジブリ私記14

 あれはいつからだろう。
 宮崎さんがエプロンをつけて作業しているのは。
 少なくとも『もののけ姫』のころは着用していなかった。
 逆にぼくは『もののけ姫』のころ、いま宮崎さんが着用しているのと同じタイプのエプロンを着けて作業をしていました。
 なにか関係があるのかな?

 ぼくが『もののけ姫』制作時、エプロンを着用するようになったのは、入社最初の3ヶ月間が研修期間で、作画、仕上げ、撮影へと回ったのですが、エプロンを着用するようになったのは仕上げの研修を受けていときが初めてですね。
 『もののけ姫』のころは、まだデジタル技術はごく一部で採用されていただけで、仕上げもアナログつまり絵の具を使って一枚一枚セルを塗り上げていっていたのです。
 セルの裏から絵の具をそれぞれ塗り重ねていって、表側に返すときれいに絵ができあがっているのだけれど、裏側だけみると抽象画のようなシュールな出来上がりになっているという、知っているひとは知っている、でも懐かしい作業をへた人間でもぼくはあるのでした。
 仕上げ部署の主任はもとより、その下につく3人の若い女性もなかなか辛辣なオーラを放っていて、新人の、それも仕上げでもない新人のセルの仕上げぶりに失敗がないか見張っている空気のなかで作業を進めていたのはとてもよく覚えています。
 まだスタジオ社屋はひとつしかない時代で、『もののけ姫』当時、1階がレストルームと奥に仕上げ質とCG部。地階が撮影、2階が作画ブースとメインスタッフブースそして制作部のブース。3階は美術と商品開発という陣営でしたね。
 2階の作画ブースがまだ「人肌のある沈黙」というか、そこにいるひとすべてが作業に集中しているので生まれる静かさだと言えるのに対して、1階の仕上げブースを支配している沈黙は作画室のそれとは違う、無菌室のようでもあり、遮音室であるかのようで、「どこか不自然な沈黙」が支配しているようで、研修が終わってからも仕上げの件で問い合わせをしに行くとき、ほかの部署へいくときとは違った緊張感をもって向かわないといけませんでしたね。
 この沈黙・緊迫感のことを、なにか言葉でふくらませるほどぼくは具体的な経験が豊富であるわけではありませんが、主(ぬし)がいることで生まれた独特の緊迫感であり、支配の構造があったのは確かですね。
 ジブリの仕上げ時代の雰囲気は、デジタルペイントになってからどう変わったかはわかりません。でも『もののけ姫』時代のあのスペースの独特の緊張感って、いまだったらパワハラの監査対象になるのかな?と思ったりします。いや、パワハラのフィルターをとおしても濾過されてしまうたぐいのうっすらとした「悪意」。『もののけ姫』のあの当時、あの悪意ある緊張感が維持されていたのも、主(ぬし)が類まれなる色指定の才にあふれていたからです。他に代えがたい人材だったのですね。宮崎さん、高畑さんの信任が厚かったのは確かです。そのためにあの職域空間はいささか歪つなものになっていた、と実体験をベースに「体感」したことをここに証言しておきましょう。
 ジブリは国民的規模で誉れある空間になっているだけに、負の部分はえてして「黙殺」されかねない風にはなっているのかと思います。
 もう30年も近い昔のことを、いまさら蒸し返してどうするの?といやな顔をするひともいらっしゃることでしょう。もう昔のことじゃん、もうそのひと死んでんじゃん、終わったことじゃん。ないが言いたいわけ?というところでしょうか。
 しかしここまで国家的なほまれあふるる存在になってしまっただけに、うみはいずれしぼりだす必要が出てくるでしょう。どこまでも肯定したいのなら、負の部分をちゃんと精算しておかないと、すっきりしないでしょう。
 実際そのうみのため、悪意のため、緊張感のために、いやなことも我慢して働いていたひとびとや、その行為や営みや頑張りや持続があったので、作品なりが出来上がっていたわけです。
 そんなのどこの会社にも、どこにだって多少はある話でしょ?いちいち、そういうの、蒸し返さないといけないわけ?
 そうかもしれませんね。
 そうじゃないかもしれない。
 労働は、労働という美名のもと、どこまで許されるのか。
 ひとは働くという必須の行為のために、どこまで我慢が強いられるのでしょうね。
 そういった働きを得て実現した作品群が、たとえどれだけかけがえのないものとして、国民的規模であるいは世界的な規模で享受されているかを知っているだけに、それは「犠牲こみ」で許されるのか、享受できるのか。まさにハラスメントという、きわめて現代的に先鋭的になっている価値評価の軸では、それらの営みならびに結果はどう判断すべきなのでしょうね。

 宮崎さんのエプロンひとつとっても、そんな負の符牒がよぎってしまう、あのエプロンという存在ですが、あれはデジタルペイントではなくて「仕上げ」という名のアナログな時代に起こりえたこと特有の、「絵の具という物理的媒介物」をあつかっていたがために、時に現場で飛散した絵の具を、着衣に飛沫させないための「労働着」だったわけです。
 そんな労働着はデジタル時代には着用する必要がまったくなかっただけに、宮崎さんがあんなエプロンを着用する必要性はあまりないのが不思議で、しかしあの「エプロンの文化」はデジタルペイント時代以前の「仕上げ」から持ち込まれた文化のはずで、そのエプロン着用を最初に持ち込んだのはもしかしたら研修時に仕上げスタッフさんたちの真似をしたぼくかもしれない。では仕上げの研修時代が終わりメインスタッフブースに位置どってもなぜぼくがエプロンを着用したままだったかというと、まさに「自分はいま『労働』しているよ」という『自意識』を忘れないためだったのであり、ある種の『抵抗意識』だったわけですが、その「仕上げのエプロン」をいつの間にか着用するになった宮崎駿というファッションに、まさかぼくの『労働自意識の痕跡』が継承されているとは思わないのでした。

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