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映画「きみの色」感想・共感ではなく傾聴・観察・分析=共感的理解を(基本ネタバレ)

共感よりも「共感的理解」を

山田尚子監督・吉田玲子脚本・牛尾憲輔音楽の映画「きみの色」について、感想、というより、分析じみたことについて文をしたためようとしています。
しかし、私はまだ本作を2回しか鑑賞しておらず、きちんと動きや音楽について分析ができていないのではないか、とも思っております。

この作品は、「聲の形」や「リズと青い鳥」同様に、どちらかと言えば観客に「共感」を求めていないように思います。自分の感情を巻き込み自分の全てで登場人物に感情移入することを、決して強制していません。

感情移入できる方は、それはそれでもよいのですが、共感できなくても否定せず、耳を傾け(傾聴)よく見て(観察)理解する(分析)ことこそ必要な見方ではないか、と考えています。どちらかといえば治療的なアプローチです。

特にこの映画「きみの色」は、登場人物がかなり十全で強い「自分」を持っていることから、感情移入しにくいのではないかと存じます。共感できない、感情移入できない作品をどのように鑑賞するか、どのように評価し、どのように「宣伝」するか。その余裕と技量が問われていると感じました。

私はトツ子・きみ・ルイの「主人公3人」の誰にも感情移入はしていませんで、むしろ「共感」したのはシスター日吉子でした。彼女は「教師」「シスター」「先輩」として3人に接していましたから。

恋心の描写

あらためてプログラムを見て驚いたことがありました。

友情とほのかな恋のような感情が生まれ始める。

「きみの色」プログラム「Story」より

こんな描写あったっけか、と思って2回目を鑑賞したら、「これか?」と感じる場面がありました。
「ルイ」は「きみ」のメロディをアレンジして「あるく」を作り上げるのですが、そのときトツ子は彼らの色が「まとまって」「寄り添って」二つの球が合わさって一つになる、それでいて一体に溶け合うことはない……という事象を見ます。この描写は「あたかも受精卵ができるような」ものだと私は感じたのです。

さらにその後、「トツ子」と「きみ」が二人で買い物に出ているときのこと。スノードームを「ルイ」に買っていこう、という話をしたとき、「トツ子」は「きみ」の様子から「虹色のかけらが降り注ぐ」のを見ました。
おそらくこれが、「きみ」と「ルイ」の特別な、それでいて名前のつけられない関係性を表現しているのではないか、と、そう感じました。

交じり合って濁ることもなく、反発して二色に分離してしまうのでもない。二人は二人のまま寄り添い、虹色をつくる。このことは、二つの色の円が交じり合って溶け合った描写をしている「リズと青い鳥」のラスト近くの描写に対する、山田監督自身の反論と深化を示しているように思います。

続きます。

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佐分利敏晴
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