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アニメーション映画「きみの色」解題・傾聴・観察・分析③キリスト教との関連

この作品では、あからさまにキリスト教との関連が描かれていきます。そういったことについて、宗教者の誰かが言及・解説してくれるのではと期待してネットで検索しても、全く引っかかりません。どうやら私が書くしかないようだと思い、この話題を取り上げます。他にもっと適任の方がいらっしゃると思うのですが。

トツ子は「祈りの効用」と「主の平和」を知っている

ここから小説の記述と、それがアニメーションになった場面を思い出しつつ記述します。最初はトツ子が祈っている場面。

寮の朝食の前に、聖堂で一人静かに祈りを捧げている時間がトツ子には最高の時間だった。心の中にときおり表れる小さなざわつくような気持ちが、祈りを口にすることで少しだけ静かになるような気がする。

小説 きみの色 より 抜粋

この直前の文章で「祈りを捧げる喜び」をトツ子が感じていることが語られています。「つらいから祈る」だけではないのです。「祈ること」そのものが「よろこび」である、という側面が間違いなくあり、トツ子もそれを感じているのです。
そしてさらに重要なのは、「祈りを口にすることで、ざわつく気持ちが(少しだけ)静かになる(気がする)」と、「自分個人の心の平和」をトツ子が感じていることが文章化されていることです。

「祈り」には、少なからず「効用」がある、と考える科学者もおり、論文も発表されています。「プラセボ(偽薬)効果」つまり「思い込み」の効用と同じだろう、という意見もありますが、私はプラセボ効果があるなら「祈り」はもっと推奨されてよいものだ、と考えます。「思い込み」であろうと「信じているから効く」ものであろうと、実際の身体の健康に有益であるならば、どんどん使って欲しいと思います。「祈る」ことは無料です。

キリスト教の「祈り」や仏教の「坐禅」、ヨガの「瞑想」などから宗教色を去り形成された「瞑想」を行うことにより様々な効果を得られる、としているのが「マインドフルネス」です。

祈りや坐禅、マインドフルネスで得られる「こころが鎮まる感じ」「穏やかになる」などの「平和」「平穏」、「(動的)平衡(物理用語ですが)」について、キリスト教では「主の平和」と呼ばれている、と私は解釈しています。

自分のため、隣にいる誰かのため、そして遥か遠くに居ながら自分の隣にいる誰かのために「祈る」ことが、祈っている本人を平和に、平穏にするわけです。トツ子はすでにそれを識っているのです。
トツ子は「好きだから信仰のために生きる」という自分の志望動機を「軽薄」と考えているのですが、たぶん、その動機は最も「危うい」と同時に、全く「尊い」動機ではないでしょうか。
小説ではトツ子は、自分を馬鹿にしたような笑い、あまり気持ちの良くない笑いに対してすら、こんなことを思っているのです。

もし、笑った人がどこかでなにか慰められるのだとしたら、それは私の喜びです。

小説 きみの色 より 抜粋

シスター日吉子の熱いこころ

反省文のような歌、歌のような反省文

シスター日吉子は、きみにこんな言葉をかけます。

反省文、というのは少し堅苦しい言い方ですね
・・・
なにかこう、もう少し、心が軽くなるような……
・・・
心の内を歌にしてみるのはどうでしょう?

小説 きみの色 シスター日吉子の言葉から

実は、「反省文」のような聖歌・讃美歌があります。
ChatGPTに「反省文のような讃美歌として何が挙げられますか」と質問したところ、秒かからずに5つ挙がってきました。次いで「反省文のような聖歌はありますか」と訊ねると、やや時間を要しましたがこれも5つ挙がってきました。その中には「キリエ・エレイソン(主よ憐れみたまえ)」が入っていたりします。何だか聞き覚えがあるな、という方も居られるのではないでしょうか。

讃美歌(聖歌)でなくとも「反省文」である歌は数多くありますよね。そのことを考えれば、「ミッションスクールの決まりを破り、そのときついた嘘が、そして友人に嘘をつかせてしまったことが、私自身を深く傷つけた」ことを歌にすれば、「ミッションスクール」をフックにして新しい「聖歌」「讃美歌」ができ上がる可能性がある、というわけです。

かくして「反省文」ができ上がりました。
この歌詞にある、キリスト教の何かを感じさせる部分を抜粋してみました。

灼けるこの胸 うまれる音楽
ぼくらの周波数チューニングOK
まるで迷える子羊みたいだ
光をもとめて反省文
さけぶこころの声まで飛ばして
わたしはあなたを愛してる

反省文〜善きもの美しきもの真実なるもの〜 より 抜粋

「灼けるこの胸」は言葉として連想するならば(意訳ですが)「胸が張り裂ける」「身がちぎれる」などで、宗教色を除いても「愛情の深さ」に繋がっていく言葉だと思えます。そこから「生まれる音楽」というわけですね。
「周波数チューニング~」は、「こころを合わせて」の別の言い方といってもよいかもしれません。「みんなで一緒にGod Almighty(ここでは「全知全能の神」と訳すのが適当か)」とも呼応しています。
「迷える子羊」は、まあ象徴的でもある言葉ですね。
「わたしはあなたを愛してる」は、人と人との愛についてもよく使われますが、キリスト教で礼拝や祈りの言葉としてとらえれば「主よ憐れみたまえ」に繋がっていきます。

「あるく」

同じ場面で、日吉子はきみに、このような言葉もかけています。

私たちは何度でも歩き直すことができるのです

小説 きみの色 シスター日吉子の言葉から

現実のことを考えるとなかなかそうはなっていない、と言わざるを得ませんが、それだからこそ言い続けなければなりません。きみにとってはそれこそ最も難しい課題として突きつけられてしまった、という印象もあったようでした。
その直前ですが、日吉子はこう言っています。

あなたはこの学校を卒業したのです
あなた自身のタイミングで

小説 きみの色 シスター日吉子の言葉から

このあたりはまた別の「卒業」というタイトルの歌が聞こえて来る方もいらっしゃるのではないでしょうか。正直、教育制度などの批判として未だに通用するのが笑うに笑えません。しかしそんなことは、きみちゃんのことを考えるには邪魔でしかありません。

彼女が再び歩き出すために必要な楽曲として、文字通り「あるく」という曲ができ上がりました。歌詞を読んでいるとなぜこの曲のタイトルが「あるく」なのか一見わからないものになっていますが、「ゆっくりあるく速さ」の歌であることは間違いないでしょう。

「あるく」におけるキリスト教との親和性の高い部分を抜き出してみます。

たたずむあなたへ愛のうた放つ
歩けそう?聴こえそう?
音の波と この声

あるく より 抜粋

声や祈りを届けるのが、音楽や歌、あるいはオルガンの音です。

「水金地火木土天アーメン」

一方、「水金地火木土天アーメン」のアイデアノートを見て、日吉子はこんなことを言いました。

まあ、新しい聖歌を
・・・
善きもの。美しきもの。真実なるものを歌う音楽ならば……それは聖歌と言えるでしょう

小説 きみの色 シスター日吉子の言葉から

トツ子のアイデアノートには「水金地火木土天アーメン」だけでなく、その他の様々な歌詞の種がばらまかれたような状態になっていました。それを見て、さらに言えば「水金地火木土天アーメン」という文言をみて、「新しい聖歌を(作っているのですね)」と言った、というのは、「かなり『攻撃力高い』言葉だな」と感じました。
だからトツ子は、自分の思いのままに「善きもの、美しきもの、真実なるもの」を並べ、言葉遊びのような歌を作り上げることができました。そこにすらも、いかにもトツ子らしい、そしてシスター日吉子の励ましを受けたものらしい歌詞もあります。

とっても大変
しあわせなニュースです
感動感激はちゃめちゃな運命♡
迷ってさまよって導かれました
こいつは絶対 三体問題

水金地火木土天アーメン より 抜粋

これは「2番」の歌詞にあり、ライブバージョンには入っていません。しかしここはいかにもキリスト教の「よろこび」らしい歌詞になっていると感じられます。

「とっても大変しあわせなニュース」は「善い知らせ」から思いついたのではないかと推測します。
これのギリシャ語はChatGPTによれば「エウアンゲリオン(εὐαγγέλιον)」で、この日本語訳として当てられた言葉が「福音」です。

聖書における「善き知らせ」=「福音」については、ChatGPTに「聖書の中で「善き知らせ」に言及されている箇所はどこですか」と訊ねると、丁寧に6ヶ所挙げて教えてくれましたので、興味のある方は参考になさってください。

それについてトツ子は「感動感激はちゃめちゃな運命♡」と応えています。そして「迷ってさまよって」いた自分は「導かれました」と告白するのです。
「三体問題」は物理あるいは数学の用語ですが、トツ子はもしかしたら「三位一体」のことを思い浮かべているかもしれません。

長い割にまとまっていませんが……
続きます。


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佐分利敏晴
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