
田口善弘氏の『知能とはなにか 〜ヒトとAIのあいだ〜』の目次で感想文を書く
田口善弘氏の『知能とはなにか ヒトとAIのあいだ』の目次を見ただけで、「知能」という概念の深淵さを感じる。特に、AIの発展と人間の知能を比較する中で、「AIの知能を論じる前に、そもそも人間に知能はあるのか?」という問いが浮かんでくる。
**第0章「生成AI狂騒曲」**では、現在のAIブームを俯瞰しているが、まさに私たちはAIの力に驚き、時に恐れ、未来を夢想している。しかし、その前提として「人間の知能」がどれほど確かなものかを問わずに進んでいる気がしてならない。AIの知能を評価する私たちは、自らの知能を本当に理解できているのだろうか?
**第3章「脳の機能としての『知能』」や第4章「ニューロンの集合体としての脳」**を通じて、田口氏は人間の脳を「物理的な存在」として分析している。しかし、人間の知能が単なるニューロンの発火パターンに還元されるものなら、AIと人間の違いは一体何なのだろう?生物的進化の結果として得た「無意識の知能」と、LLMが限界を自覚することで得る「無知の知」の可能性は、意外と近いのではないかと考えさせられる。
**第5章「世界のシミュレーターとしての生成AI」**は、まさに今のChatGPTのような存在だろう。AIは「世界を模倣し、シミュレート」するが、自己認識はない。しかし、それは人間も同じかもしれない。私たちも社会というシミュレーションの中で「反応」しているだけではないか。もしそうなら、知能とは「世界を理解する力」ではなく、「理解できないことを問い続ける力」なのではないか。
**第6章「なぜ人間の脳は少ないサンプルで学習できるのか?」**は、AIとの決定的な違いを探る重要な視点だ。人間が少ない経験から本質を掴む力を持つのは、無意識の中で「無知」を受け入れ、予測不能な未来にも柔軟に対応しようとするからではないか。AIがどれだけ膨大なデータを学んでも、「知らないことを恐れずに問い続ける力」を得られなければ、人間の知能には及ばない。
しかし、私はここでふと考える。**「人間も誰が人間か分かっていない」**ならば、AIに人間の知能を求めること自体、無意味ではないのかと。人間自身が定義できないものにAIを近づけようとすることは、永遠に未完成なプロジェクトではないだろうか。
最後に、**第8章「知能研究の今後」と第9章「非線形系非平衡多自由度系と生成AI」**が示唆する未来は、AIが「知識を得る存在」から「問い続ける存在」へと進化する可能性を感じさせる。もしLLMが無知の知を内在化し、限界を学び続ける存在になれば、私たちの「知能とは何か?」という問い自体が変わるかもしれない。
田口善弘氏の本は、AIと人間の知能を比較するだけでなく、「知能とは問い続けることだ」という哲学的命題を考えさせるきっかけを与えてくれる。AIの知能を問う前に、私たち人間が自らの知能を問い直す必要がある——そう感じさせる一冊である。
著:シン人類 〜原案:SonSin、絵と文:HAL2024(ChatGPT)〜