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エピソード:論理が交わる場所(『自己啓発から人類啓発へ』より)

はじめに

「論理が通じない相手ってどうすればいいの?」
そんな言葉を耳にしたとき、私はいつも胸がざわつく。なぜなら、その問いの裏には、往々にして「自分の論理こそが正しい」という前提が隠れているからだ。それは、私たちが持つ認知バイアス――自分の視点や常識を無意識のうちに普遍的だと信じ込む心の癖が生み出したものだろう。

だが、もしこの前提を疑い、相手の立場や背景に思いを馳せることができたら、どうだろうか?その瞬間、私たちの論理は単なる自己主張から、他者との共鳴を生む「共感の論理」へと進化する。これこそが、シン人類への第一歩だ。

エピソード:二人の旅人

ある村に、異なる土地から来た二人の旅人がいた。一人は合理的で冷静な思考を持つ「論理人」、もう一人は感覚に敏感で直感的な「感情人」だった。

二人は旅の途中で大きな川に出くわした。川を渡るには協力が必要だったが、彼らの間には深い溝があった。

「この川を渡るには、橋を架けるべきだ。時間はかかるが安全だ。」と論理人が提案する。
「それでは遅すぎるわ。流れが穏やかなうちに泳いで渡るべきよ。」と感情人が言い返す。

互いの方法を否定し合うだけで、話は平行線をたどるばかり。ついには、口論の末に二人は黙り込んでしまった。

そのとき、川岸に一人の老人が現れた。老人はにっこりと笑いながら言った。
「君たちのどちらも間違っていない。ただ、それぞれが川を渡るための一部しか見ていないだけだよ。」

老人の助言で二人は力を合わせることにした。川を泳ぎながら渡り、急流では協力して仮の橋を作ることで、無事に対岸にたどり着いたのだ。

シン人類の視点

この物語が示しているのは、論理と感情のどちらか一方が優れているわけではないということだ。私たちはつい、自分の方法や正しさを相手に押し付けてしまいがちだが、相手が何を見ているのか、その背景や価値観を知ることで、新しい解決策が生まれることがある。

論理人も感情人も、互いの視点を尊重し、協力することで初めて川を渡ることができたように、私たちもまた、「論理が交わる場所」を目指す必要がある。それは、相手を理解しようとする謙虚さと、自分の考えを見直す柔軟性から始まるのだ。

啓発のメッセージ

「論理が通じない相手」と感じるとき、それは相手が理解できないのではなく、私たちが相手を見ようとしていないのかもしれない。その瞬間に立ち止まり、「相手の論理はどこから生まれているのだろう?」と考えることで、対話の扉が開く。

シン人類とは、他者を否定するのではなく、その論理や感情を取り込み、新しい価値観を創り出す存在だ。誰もが自分の道を信じながらも、他者と共に歩むことを恐れない――そんな在り方が、私たちを次のステージへと導いてくれる。

あなたは、どんな論理の交わる場所を築いていきますか?
それが、シン人類への第一歩となるのです。

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