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電気自動車って本当に「正解」なの?クルマをめぐる問題から(アニマルSDGsとはなにか④)
本日2024年5月15日より全国で発売した書籍『アニマルSDGs どうぶつに聞いてみた』(ヌールエ/太郎次郎社エディタス)について、著者のイアン筒井が解説するこのnote。前回は「動物の視点」を持つことの意義について考えましたが、今回は「クルマ」から見えてくる今の「大人たち」の問題に焦点を当ててみます。
ホンダ在籍時に感じた違和感
前回までは、「動物の視点からSDGsを捉えること」について考えてきました。
書籍『どうぶつに聞いてみた アニマルSDGs』では、動物たちが「今、地球は大変なことになっている。もう、人間(おとな)だけにまかせちゃいられない!」と訴えます。
この言葉を読んで、皆さんはどう感じるでしょうか? 人間の「大人(おとな)」としては、ムッと不機嫌になったり、う~ん、たしかにその原因をつくった責任がある、そのとおりだなぁと感じたりするのではないでしょうか。
そこで今回は、「動物かんきょう会議」「アニマルSDGs」というプロジェクトをプロデュースしてきたわたし・イアン筒井が――1人の「大人」として――、自動車メーカー・ホンダに勤めていたときのエピソードから始めたいと思います。
わたしは工業大学を卒業した後、1989年にホンダに就職しました。「人が死なないクルマを作りたい」と学生時代に発案し、特許申請したいくつかのアイディアを面接時にプレゼンしたこともあってか、入社後は希望通りに技術研究所に配属されます。
80年代末当時の日本は、クルマの交通事故で亡くなる人が年間1万人もいました。ほとんど戦争の被害じゃないかということで「交通戦争」という言葉もあったほどです。そんな背景もあってこの時期、ホンダは世界初の汎用車へのエアバッグ搭載を実現し、スピード性能だけではなく、安全性能にも力を入れていました。
当時の自分を思い返すと、20代が往々にしてそうであるように、わからないこともわからないくせに、根拠のない自信があり、自己中心の行動が多い問題児だったように思います。周囲の環境になかなか溶け込めないなかで、本田技術研究所設立30周年記念のコンペがあることを知り、好奇心から自分のアイディア「三角形のかたちをしたコンセプトカー」を構想したところ、10,000人はいる全研究所での10人の入選者の1人に選ばれ、ちょっと目立つ存在になってしまいました。
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ここまでを読むと、「なんだ、おじさんの自慢話かよ」と思われるかもしれませんが……もう少しだけ待ってください。そうではなく、その後、自分の考え方の幼さから自己嫌悪に陥った経験を、みなさんに伝えてみたいのです。
入社後数年たつうちに、同期たちもいつの間にか、家のローンがいくら組めるとか、人生設計のことが話題になることも多くなっていました。先輩からは受賞後に「お前、出世コースに乗ったな」とからかわれたりもしました。夢よりも現実のこと、まるで「人生パズル」のピースがスパスパっとはまっていっていくような不思議な感覚に気づき、徐々に気持ちが沈んでいったのです。
一般的に、人は大人になるにつれて、だんだんとやらねばならないことが増えていきます。会社に行き、税金を払い、家族を養い、社会のルールの中で他の人に迷惑をかけないように生きていく。その繰り返しで、毎日疲れています。そうなると、地球環境や未来のことは後回しで、今のこと・目先のこと(評価や損得)しか徐々に考えなくなってしまいます。
2013年、第43回東京モーターショーでの本田技研工業でのキャッチコピーは「枠にはまるな」というものでした。
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これは、ホンダの人たちが枠にはまっていないことをアピールしているのではないはずです。実際には、ほとんどの人が「枠にはまる」または「はまりたがっている」――という現実を、スローガンだけでも裏返したい気持ちの表れだと、わたしは解釈しています。
もっとも、わたしはホンダで大切なことも学ばせてもらいました。研究所には、自分の研究テーマのことを「A00(エーゼロゼロ)」と呼ぶ独特の文化があります。その「A00」は、自分一人で探すもの、話し合うとエッジがなくなり平凡になる、と言われているのです。
わたしのA00は「人が死なないクルマ」でした。それがしだいに「そもそも60~70kgの人間を移動させるのに、なぜ1.5トンもの鉄の機械が必要なんだろう?」という疑問を抱き、「それを所有することっていいことなのだろうか?」「必要最小限にしてカーシェアにした場合の社会の姿はどういうものなんだろう?」と考えるようになっていきました。
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しかしそれは、クルマの販売台数や顧客満足度をライバル企業と競っているホンダの現実とは真逆のA00になってしまいます。
その後、わたしはほどなくして会社を辞め、日本の伝統工芸の世界に飛び込みました。蝋型鋳造法、鋳金の70代の師匠と二人っきりの職場でした。
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師匠は、小学校もそこそこの叩き上げの職人。なにも教えてくれず、作業している背中から学ぶしかありません。見よう見まねでやってみて、やっぱり上手くいかないと「ほれみぃ、学校出なんかにできるわけないんだよ!こっちよこせ!」と怒られる毎日。
ある日、「直線を引いてみろ」といわれて定規で線を引くと、「人間の目ってのは機械じゃないんだよ。少し湾曲している方が直線にみえるんだよ。学校出はわかっていないなぁ」とのことでした。こういうふうにときどき感心してしまう名言もあり、刺激的な毎日を過ごしました。
そして1995年、30歳の時にデザイン研究所を起業しました(そこから先の話は、書籍『新版プロデューサーシップのすすめ』 (紫洲書院、2023年) の一章として収録されていますので、興味を持たれた方はお手にとってみていただけると幸いです)。
カーボンニュートラルに電気自動車って本当に「正解」なの?
「大人」がやらなければいけないのは、今の日々の生活(地位や収入)を守ること。それは仕方ない面もありますが、どうしても近視眼的発想に陥ってしまいます。そうなったとき「大人」は、「SDGsのSは、サステナブルのS」といわれても、自分の今の安定した生活を変えることなく持続可能にすることを考えたくなってしまうのです。
地球環境問題で「サステナブル」を使用するときの本来の意味はまったく違います。1970年代、ローマクラブが「人類の危機レポート 成長の限界」で人類への警鐘を鳴らました。「今の先進国のような生活を続けるには地球が2個あっても足らない」。つまり、今の持続”不”可能な生活スタイルを改め、それに変わる持続可能な仕組みを早急につくらなければならない、という意味で使われているのです。
前置きがだいぶ長くなりましたが、このことを念頭に、今回の本題に入っていきたいと思います。
まず、クルマというプロダクトは、子どもは運転できない「大人の乗り物」です。基本的人権である「移動の自由」を象徴するものでもあるでしょう。と同時に、いまの社会を動かす「大人」の問題が、集中的に表れているものだとわたしは感じています。
2015年にCOP21で合意、2016年に採択されたパリ協定を経て、日本では2021年に「2030年には温室効果ガス排出量を2013年比で46%削減、2050年に完全なカーボンニュートラルを実現する」、が目標として閣議決定されました。
そうした流れのなか、ガソリン自動車からバッテリー電気自動車(Battery Electric Vehicle=BEV ※)へのシフトは、「疑ってはいけない結論」のようなものになってきました。日本のメーカーの中ではトヨタ自動車がEVシフトを強力に推進していないことから、多くの日本のメディアから批判されていたのです。
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※次世代モビリティにはバッテリー電気自動車(BEV)以外にも、燃料電池車(Fuel Cell Vehicle=FCV、水素と酸素を反応させる「燃料電池」を用いて発電し駆動するクルマ)や、水素エンジン車(水素を燃料とするエンジンで駆動するクルマ、CO2をほとんど排出しない)など、さまざまな種類があります。ここではわかりやすくするために特にBEVのことを「EV」と呼びます。
ところが2024年に入ってから、EVシフトの旗振り役となっていた欧米各国でEVの売上増加ペースが鈍化し、代わって「時代遅れだ」と批判されていたハイブリッド自動車の売上が伸び始めたことが大きなニュースになりました。さまざまな要因が指摘されていますが、EVに比べてハイブリッドはクルマ自体も低価格で、EVのように充電スタンドがなくても所有できる利便性が、欧米の庶民層に支持されたと考えられます。
トヨタの豊田章男会長はもともと、「エンジンで培われた技術を活用する方策を探りたい」、「もし国内すべてのクルマをEVにすると、原子力発電所10基分の電力が必要になってしまう」と述べていました。それなのに東日本大震災で原発の怖さを肌身で感じていたはずの日本のメディアは、「これからはEVだ」という議論に傾いていったのです。「欧米諸国の言っていることに追従しておけば間違いない」=欧米(の大人)に追いつけ、追い越せという明治以来の発想が、まだ日本には根強いことが露呈したといえます。
そして実はEVのバッテリー自体にも、5つの大きな問題があります。
(1)EVのバッテリー製造にガソリン車4万キロ(地球一周分)走行に相当するCO2を排出する
車1台分にはスマホ1000個分以上のリチウムイオン電池が必要になり、その生産のためにはガソリン自動車の約4万キロ走行に相当する量のCO2が排出されます。さらに、リチウムイオン電池は希少なレアメタルを使って作られているのに、現在のテクノロジーではリサイクルできず、使い終わった電池を廃棄する際には水や土壌に深刻な環境汚染を生じる可能性が大きいとされています。
(2)日本の電気は7割が火力発電によるもの
こちらは当然のことなのですが、電気自動車を走らせるためには電力が必要です。日本は、2011年の原発事故以降、電力供給量の7割を火力発電に頼っています。再生可能エネルギーが普及していたり、はたまたこれは論議がありますが原子力発電が活用されている国はさておき、特に日本では電気自動車を動かすために多くのCO2が排出されているのです。
(3)鉱物資源の供給の問題
EVのバッテリーに使われているリチウムイオン電池は、リチウムやニッケル、コバルトなどのレアメタルを原材料として作られています。なかでもコバルト生産の60~70%は中部アフリカのコンゴ民主共和国に集中していますが、利権がらみの紛争が絶えず、鉱山での児童労働や搾取、劣悪な労働環境での死亡事故が頻発していることが明らかになっています。
(4)リチウムイオン電池は燃えると水で消えにくい
現在、北米ではテスラの電気自動車が事故を起こした際に炎上することが社会問題となっています(参考:テスラのモデルSがハイウェイで炎上。原因はバッテリー | ギズモード・ジャパン)。リチウムイオン電池は火がついてしまったらなかなか消えず、消火のためにガソリン車の事故の何倍もの水が必要になってしまうのです。
(5)バッテリーは消耗品でリサイクルできない
実はリチウムイオン電池は10年ぐらいしか持たず、リサイクルもできません。一方ガソリンエンジンは何十年も使えるのですが、そういう単純な事実もまた、見過ごされたままです。次世代電池として液漏れリスクが少なく安全性に優れているといわれる全固形電池が提案されていますが、まだまだ時間がかかりそうです。(2023年8月には、EV先進国の中国で大量のEVが廃棄されていることが大きなニュースになりました。参考:まるでEVの墓場、中国都市部に大量の廃棄車両-急成長の負の遺産 - Bloomberg)
ここまで読んでみて、どうでしょう?
EVは、購入後の自分のクルマだけを考えれば、CO2排出は一見少なくなるように見えます。しかし、その外側にこうした問題が山積しています。ガソリン車の欠点を、EV車がカバーできているとは言い難く、どっちもどっちなのかもしれません。最近のメディアではEVに限定せずにハイブリッド、燃料電池車(FCV)、水素エンジン車などの開発を推進してきたトヨタを再評価する声が高まっています。
反省すべきは、日本の人たちが「欧米がやっている=EV推進が正解」というストーリー(=枠)に乗ってしまったことです。さらに万国共通ですが、大人たちの行動パターンとして、いい面(一見わかりやすい)だけを強調し、その外側(都合が悪いこと)は隠してしまう、ということがあります。その結果どうなるでしょう? 次世代にそのツケをまわすということを、ずっと繰り返していってしまうのです。
そして根本的な問題は、こうした大人たちの議論が近視眼的発想と利害関係に絡め取られ、無為に時間だけが過ぎていくことなのです。
「たかだか60~70kgの人間を移動させるのに、1.5トン(EV車はさらに重い)の機械装置と膨大なエネルギーを使う必要はあるの?」という視点は、人間の大人たちからはなかなか出てきません。ガソリンがダメなら電気、電気がダメなら水素、自動運転、空飛ぶクルマ……と、「クルマ社会」が発展することが前提とした発想しかできなくなっているのです。まさに「枠にはまっている」という状態です。
「動物の視点」=クリティカル・シンキング
2020年から2022年のコロナ禍により、リモート会議が普及しました。20年前の2002年頃からスカイプなどリモート会議の技術は存在していましたが、それがようやく一般に使われるようになったのです。
そんな時代に、交通機関を使って素早く移動できることが、どれほどの価値があるでしょう。たとえば現在、新たな交通手段として「リニア中央新幹線」の計画が進められています。これまで東京~大阪間が東海道新幹線で2時間30分かかったところを、リニアでは約70分で着くとのことです。しかし、その1時間ちょっとを短縮したところで、果たしてどれほどの意味があるのでしょう。わたしたちは「物理的な移動」の意味そのものを問い直す必要があるのではないでしょうか。
書籍『どうぶつに聞いてみた アニマルSDGs』では、SDGsの1番「貧しさをなくす」を、空を飛ぶコンドルの視点で眺めてみる、というパートがあります。
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コンドルは自由に世界を飛び回ることができるので、いつも一箇所に定住している人間たちを不思議に思うことでしょう。定住するためには、土地と、その所有権という概念がセットになっている必要になります。そして土地を持って定住するということが、やがて貧富の格差を生んでいきます。
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でも、今やどこでもテレビ会議ができて、どこでも仕事をできる時代になってきています。であれば、定住するのをやめて、コンドルのように家を持たずにいろんなところを移動しながら生活してみてもよいかもしれません。
もちろん、家を持たないで暮らすのは最初は難しいかもしれませんが、たとえばお金のかからない場所に家を設けて、そこを拠点に、せっかく便利になった交通手段を使って、いろんな場所を移動しながら生活してみてもいいはずです。
多くの人がそういうふうに生活するようになると、今まで土地の所有によって生み出されてきた貧富の格差だって、だんだんなくなっていく方向に向かうかもしれません。
そう考えると、クルマだって今のようなかたちをしていなくてもよく、気軽に泊まれるようなデザインがいいかな? とか、そういうふうに想像が広がっていきます(現在、車中泊機能のある軽ワゴンが人気ですが、ここでわたしが言っているのと似たことを、みんなも感じているのかもしれません)。
これからのクルマは、「移動する家」としての機能が重視される――もしそうだとしたら、じゃあそこで燃料やエンジンはどうしよう、生活スタイルはどうしよう、という今までにないイマジネーションが浮かんでくるはずです。
みなが特定の土地に定住するライフスタイルだからこそ、「自分だけがなるべく多くのものを独り占めしたい」と考えてしまいます。だけど定住しなくなったら、「自分だけがたくさん持っていてもしょうがないから、手に入れたものは他の人とシェアしよう」という考え方になっていくかもしれません。コンドルがお腹が空いたらエサを探しにいくように、必要なときに必要なだけ仕事をして、必要なだけ受け取る生活でいい、と考えるようになるかもしれません。
クリティカルシンキング=物事を批判的に見るチカラは、今の人間の「あたりまえ」の生活からの視点だけでは浮かんでこないのです。コンドルの視点に立ってみることで、初めて真剣に考えられるようになることは、たくさんあります。その発想はやがて、今までとは違った視点――イノベーションへとつながっていくはずです。
「動物かんきょう会議」では子どもから大人までを対象に、たくさんのワークショップを行ってきました。そこには、正解というものがありません。子どもたちに「今日は失敗してもいいから、思いついたことをいくらでも喋っていいんだよ」と伝えると、今まで大人しかった子がはつらつとして、いろんなこと言い出します。
ワークショップでは言語を司る左脳だけではなく、右脳的な要素も使おうと絵を描いたりもするのですが、普段の教室ではヒーローでなかった子が突然ヒーローとして登場したりもします。こうしたワークショップを通じて、子どもたちは学んでいきますし、わたしたち大人の視点もどんどん変わっていくのです。
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こうした視点は、現状の日本を覆う、正解ばかりを求める「クイズ文化」ともいうべきものからは決して出てきません。ですが現状は、クイズ文化を勝ち抜いてきた人たちが「エリート」として世の中を動かしてしまっています。次回は、この問題から考えてみたいと思います。
(第5回「クイズ文化の外側からイノベーションは起こる」につづく)
【全国の書店、Amazonで好評発売中!(電子版同時発売)】
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著:益田文和、イアン筒井
発売元:ヌールエ/太郎次郎社エディタス 2,800円(税抜)
今こそ、発想を転換しよう!
アニマルSDGsは人間SDGsへの逆提案
人間中心の発想はもう限界。地球上の哺乳類は重量比で人間34%、家畜62%、野生動物4%という研究報告がある。人間と家畜をあわせると94%!
一方で、世界は気候変動、紛争や戦争など悪化の一途をたどり明るい未来は描きにくい。ほとんどの人間は「人類が技術革新と経済成長の結果、自らを滅ぼしている現実」を嘆くばかりで改善の糸口は見えない状況……。
もう、人間(おとな)だけにまかせちゃいられない!と、動物たちが子どもからすべての人間たちへ語りかける。
【推薦コメント】
前京都大学総長、総合地球環境学研究所 所長、人類学者・霊長類学者
山極壽一氏
「地球環境が大きく揺れ動いて、人間に大きな脅威となった今、やっと私たちは気づいた。もうずっと前から追い詰められてきた動物たちがいること。彼らの声を聞くことが人間にとっても豊かな未来を創ることにつながる。SDGsに不足している18番目の目標を今こそ入れよう。地球の生命圏を構成するさまざまな動物たちの身になって、SDGsの17の目標を眺めてみると、これまでとは違った景色が見えてくる。自由とは何か、食べ物はどこにあるのか、格差や差別はなぜ生まれたのか、健康であるためには、資源を持続的に使うには、働くことの意味は、そしてすべてのいのちが調和して生きるための方策を動物たちといっしょに考えよう。この本には未来を創る子どもたちへ向けて、動物たちからの機知に富んだメッセージと知恵が満ちあふれている」
本記事のアイキャッチ:2013年、第43回東京モーターショー 本田技研工業「枠にはまるな」より(筆者撮影)