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「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」 馬場マコト・土屋洋『江副浩正』日経BP を読みました

「チャンス(機会)をつかめ」とはよく言われることです。自分が常にチャンスにオープンであり、チャンスにオープンな社会を維持することが何よりも大切であると。

本書の主人公・江副浩正氏は軽々(かるがる)とそのあたりを超えていきます。機会をつかもうと身構えているだけでは、不合格。機会は自分の手で創り出すものである、と。かつてのリクルートの社訓がそのことを物語っています。

自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ

江副氏お気に入りのリクルート社訓

概要

本書もまた496ページもあります(『ユニクロ』とおんなじ)。この大著では、リクルート創業者であり「タダの情報誌」を発明した江副浩正氏の仕事と生涯が鮮やかな筆致で描かれています。
リクルートの生い立ちと成長、リクルートコスモス事件、そして晩年、それぞれの時代で江副氏の思想・行動が描かれ、彼だけが見ていた世界、目指したもの、そこに挑む江副浩正という一つの像を結んでいきます。

以下、メモをもめ

「変わろうとする努力で、人は成長する」と信じた江副の夏休みは終わったが、江副からは夏日のような明るさがにじみ出るようになっていた。

(P.062)

今年も就職シーズンが始まる。来年の今ごろは自分も就職活動かとぼんやりと思った。そしてふいにひらめいた。天野の言う通り、「新聞は下から読め」だ。
防衛庁は、自衛官募集に、社会面下の広告欄を使っていた。東大生を募集するのに、東大新聞ほど効率のいい新聞はないはずだ。江副は、丸紅飯田の人事部に駆けつけた。
(・・・)
横8センチ縦6.5センチと小さな広告だったが、1958年6月18日、東大新聞に初めて求人広告が掲載された。経済界に江副が足跡を残す、第一歩となった。

(P.064)

ここずっと考えてきたことを、江副は初めて口に出して言った。
「広告だけの本」
ぼんやり考えてきたことが、言葉にしたことで実像となった。とたんに繁体の声が次々に上がった。
「広告だけの本を誰が買う」
「いや、売らないんだ。無料で配る」
「なにそれ」
「無茶だよ、そんなの」
反対が多いということは、それだけ関心があるということだ。
「得意先からの広告費で、すべてをまかなう」
「できるわけないよ」
「できるさ。出版経費、配送費をすべて足してわれわれの利益を乗せて、それを広告掲載社数で割れば、一社当たりの広告費が出てくる」
「いいね、広告だけの本なんてどこを探してもないな」

(P.084)

江副はこれまでも会議の席で口が酸っぱくなるほど、「わからないことはお客様に聞け」と言い続けてきた。「取引先こそ最大の教師」とも言った。得意先の声の中にこそ、事業を興す機会があると信じた。

(P.128)

新たな事業に向かってかじを切るとき、江副はいつもドラッカーの『創造する経営者』『現代の経営』をまず開いた。
「企業は機会を生かす。企業の成果は『問題』を解決することによってではなく、『機会』を開発することによって得られる」
(・・・)
赤線を引きながら、東大教育心理で学んだロジャーズの言葉を思い出した。
「人間はだれしも成長しようとする本質をもつ。従って人は後年の変わろうとする本人の努力により、その人格を変えることができる」
ロジャーズとドラッカーは同じことを言っていた。
リクルート社員みんなが、己の高みをめざして、もっと変わるのだ。そのための模範を自ら身をもって示そう。江副は『現代の経営』のページの余白に書いては消し、消しては書いて言葉を並べる。そしてやがて一行の言葉が、江副の中から誕生した。
「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」

(P.137)

新規事業の起業で会社経営も決して楽ではないはずなのに、商品の顔となる表紙に力あるデザイナーを当てていた。それは、リクルートの経営の根幹に美意識があるからだ。経営者にこの意識がなければ、他社と明確に差別化できる、企業戦略の構築は不可能だ。

(P.146-147)

「一年の計は麦を植えるにあり。十年の計は樹を植えるにあり。百年の計は人を植えるにあり」

(P.370)

江副は成長の思想と仕組みをリクルートの根幹に植え付け、社員に浸透させて去った。その思想の中身は極めて単純だ。
「優秀な人材を採用し、その能力を全開させること」
創業四年目に新卒採用を開始した。初任給を他社の五割増しに決め、「学歴、男女、国籍、差別なし」と大学、高校に求人票を送ったら二千名の応募があったという。
(・・・)
それから江副は「われわれよりも優秀な人材を採る」と始終言い続け、採用には可能な限りの費用と手間をかける。

(P.466-467)

「僕は辞めていくみんなにその理由を聞くことにしているんだ。そこには、会社をよくするヒントがあるからね。で、どうして辞めるの。正直な気持ちを聞かせてほしいな」
「百円の商品広告ならそれがおいしくない場合、百円の被害で留められます。でも、求人広告は人の人生を触ってしまう。同じ詐欺罪なら軽いほうを選ぼうと決めました」
「たしかに僕らの作る広告は、その会社の働く理想像かもしれない。だけど広告を出した以上、その理想に近づこうと各社がしたら、社会はもっとよくなると思うんだ。情報を提供することは誰でもできる。でも、企業を育てることは、誰にでもできるわけじゃない。学生と企業の間に立つ以上、そこまでしたいと思い、今日までやってきたが、君に辞められるということは、まだまだ力不足ということだね」
江副さんは、立ち上がり際に、つけくわえた。
「今のうちはとても広告を出すような会社じゃないけれど、いつかは広告活動をしてみたいと思っている。そのときには君にも頼むから、それまで力をつけておいてください」
(・・・)
リクルートが企業CMを初めて全国展開することになり、四社競合コンペを催す。それまで、取引のない私が所属する広告代理店も、競合に招かれた。ただし、条件があった。
「企画者として、あんたをご指名だ」
江副さんは、私の転職先を探り出し、退社の日の約束を守った。震えた。

(P.480-481 著者あとがき)

江副氏の教訓は、「自ら機会を創り出すこと」だけではありません。
彼は「人間は自ら変わることができるんだ」と叫び続けていました。

彼は「人は自分の手で自分自身を変化させ成長させることができる」「人間だけでなく、リクルートという会社さえも自らを変え成長させるものである」という信念を持ち、実際に行動に移しました。

この「自らの変化」が今も続くリクルートの発展の源なのです。

本書から「自ら変わる」ことが一番重要であると教えられ、同時に「自分の頭はかたくなになっていないか」と自身に警戒もしました。

注意していないと、自分の頑固に気がつかない歳になりつつあります。あぶない、あぶない。江副さんのようにバイタリティと柔軟性を両手に持ち続けて生きていたいです。



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