モンキーマインド=月欠損からのマインドフルネス
ひょんなことで、こちらの動画が流れてきて、そのまま最後まで聴いてしまいました。最初の方にモンキーマインドという言葉が紹介されています。
モンキーマインドは私たち人間の卑小な部分と言いますか、じゅうぶん精神的に発達していない状態のことを指しているようです。
未熟な本能であるとか、心配とか、不安とか、身体の欲求であるとかに心を支配されている状態と言えるのかなと思います。
瞑想することの意味として、それらの未熟なマインドに振り回されないようになり、より深い精神的な自分とつながるということが、大きく有益なところで、それがマインドフルネスということなのだと思います。
このモンキーマインドという概念は、いわゆる月欠損問題で言われるところの「月」のネガティヴな側面(欠損)と言ってもいいのだろうとも思います。
そして、瞑想することで得られる本来の自分との出会いというところには、月の本質があるのではないかとも思います。
なぜ、この動画のことから書き始めたかというと、昨日の朝並べたスプレッドが以下のようなものだったというのと関係しています。
未来の位置に、ソードの4 一時休戦が出ています。刃を交えたけれど、ここで少しバランスが取れて、お休みしましょうということでしょうか。
お休みすることと瞑想が、自分の中では通じるものがあって、それまで、ああだこうだとがんばっていたマインドが静かに瞑想して一度整理して、結晶化するという感じだと思います。
濁った水もしばらく静かにしていると、沈殿して透き通って見えるように、マインドを休止し、整理する時間というのは、とても大事だと思います。
現在の位置には、ディスクの9 Gainで、これはとても充実している様子が描かれていると感じます。
天と地のバランスも取れてますし、そこからいろんなエネルギーが四方八方に溢れ出てきているようにも見えます。ある種の完成形と言ってもいいくらいに充実しているように見えますね。
そして、過去の位置にあるのは、カップのプリンセスで、魚、亀、白鳥、蓮の花が見えていて、とても感性が豊かな感じがします。
その豊かな感性が、現在のGainの基盤としてあるのでしょう。そして、それらすべてをベースにしながら、しばらく休止し、瞑想し、死骸のポーズで深く深く落ちていくことで、自身のリソースと言っても良いような魂と、再びつながるのだよということなのかも知れないと思いました。
今日、近くの映画館で「アイアムまきもと」という映画を見ました。
孤独死した方の面倒を見る市役所職員の牧本さんが、人の心を繋いでいくという話だったのですが、人間には、それぞれの卑小なところと、偉大なところが、同居していて、どこに焦点を当てるかによって、見え方も変わってくるのだと思いました。
それと同じように、マインドモンキーから、マインドフルネスに、移行していくということが、人間として生きていく上で大事なことなのかも知れません。
そんなことを思いました。
そして、最後に宇崎竜童さんの「虹の彼方に」がエンドロールと共に流れましたが、とてもよかったです。
今の時代、いろんなことがありますが、大事なことはいつでも大事なんだなと思います。
瞑想はそのことを思い出させてくれる助けになりますね。カードを読むということも、星を読むということも、深い瞑想だと思いますし、ハイアーセルフ、聖霊、本来の自分というのは、いつでも一緒にいるわけです。
モンキーマインドにとらわれない自分を発見するということは、個々人に委ねられてるということなんでしょう。
そのために瞑想も、タロットカードも、星読みも有効なツールだと思うのです。うまく展開していきたいですね。
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