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昨日の稽古に続けて浮かんできたこと

昨日の「稽古」に続いて、今日になって書いておきたいことをTwitterに、思いつくままに書きました。それらをまとめて、こちらに記録しておきます。

足の裏側に広がるもうひとりの自分を発見してから、前に進めなくなったけれど、そのことで全身全霊になったのだと思う。 それまでも、全身全霊、進んでいたつもりだったけれど、足りない分、力んでいたのかも知れない 裏の自分を意識するかしないか、実存の意味はそこなんだと思ったのでした。

裏というのはたぶん死とか虚ということと関係してると思うのだけれど、それを感じながら生きるときに、全身全霊は起こり、存在の質が上がるんだろうと思う。 しかし、これはほんとうに身体を通して経験して初めて意味があることなのではないかと思うんだよね。ほんとの意味での錬金術的な事なのかも。

しかし、そのための前提として、思考によってカタチを見いだそうと試みることは大事なことだと思う。 身体と思考、両方を並行して行くことができるというのが理想的なのかな。ようやくその立ち位置に立てたという感じ。未来は明るい。(o^^o)

その場で足踏みするときに、さっきの自分を今の自分の上に重ね合わせていくというイメージ。それをたくさん重ねていくことで、層ができ、襞ができていく。やがてそれが持続となり、輪郭が濃くなって、存在の質感が高まっていく。これは神秘思想の瞑想法の過去にさかのぼる瞑想に似ていると思った。

30年くらい前に、その瞑想を1ヶ月くらい毎日続けたことがあったのだけれど、そうすることで開かれた回路のようなものがあったような気がしている。だからたぶんまだまだ広がり、繋がり、開かれてくる領域があるんだろうという感じがするんだよね。一回一回の気づきを丁寧に落とし込む作業をしたい。

特に後ろ向きに進むときに、それは未来に進むようでいて、過去にさかのぼるような所もあり、そこが未来でも過去でもない、中今的なところであるとするならば、そこにどんどん上書きされていくという事が起こっていて、それが人間の質を高めていくのだろう。それが全身全霊につながる。

例えば、ひとりだけでも、そのような意識状態の人がいるだけで、その空間は変わる。その差異に気がつく人は、その影響を受けて、波動をうけて、自身もそのような意識状態に至るのだろう。そうして、裏側からその場を支え始める。何人かの人がそうなったとしたら、その場は霊的共同体の空間になる。

しかしほとんどの場合、差異に気づく人はいないということなんだろうね。差異に気づこうと言ってる人でも、実際にその差異を見ることができるかどうかとなると、心許ないのではないかなと思う。だから、この領域はいまだにフロンティアだし、多くの人にとってはただの夢物語なのかも知れないね。

でも、それだけに、今自分が感じていることは、たぶん大事なことなんだと思うわけで、たぶん最上さんもそのことを知ってるから、大変でも続けておられる。そして、そこには無上の喜びもあるからね。たぶん、すべての人類の目的地と言ってもいいような領域への具体的な入り方があるんだと思う。





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