呪物としての仮面
仮面を使っての稽古をしました。最上さんもこの稽古を行うにあたっては大変ご苦労されたようで、Xのポストでも何度もむずかしいとおっしゃっていました。しかし蓋を開けてみると、とても興味深い稽古でありましたし、仮面の本質的な意味を掘り下げるものとなったと思います。
そのための核心的な所作を含み持っていて、そのまま舞台にあげても良いのではないかと思うくらいに素晴らしい稽古のレジュメだったと思います。
僕自身、実際稽古の中での手応えはとても大きかったですし、参加者の多くがそう感じたのではないかと思います。
上の写真は、稽古の翌日に最上さんがポストされていたものですが、この写真を見ていたら、実際にお面の中から世界を眺めた時の感覚が蘇ってきました。
それはある種「他者」との邂逅であり、あちらとこちらを繋ぐ架け橋となり、またあちら側に回ることによる新たな位置の獲得でもあったと思います。またそれ自体がチャネルになるということでもあり、何とチャネルするか、どのような体験になるのかはその人次第ということかとも思います。
そして最終的には、その「他者」こそは次元を超えた自分なのではないかということを直観的に感じもしました。仮面はその意味で、やはり鏡という側面があるのでしょう。仮面と向き合い、反転させて顔につける時には、境界を跨ぎ、次元を超えるのかも知れません。
仮面が鏡であるということは、そこに未来の自分、過去の自分との出会いがあるのでしょう。だからこそ、時に見たくない自分を見ることもあり得るから、面をつける時には心していないといけないし、無理にやるべきものでもないのかもしれません。ただし面をつけることでさらなる深みに触れるというようなこと、見たくないところも見ることによって起こる変容、成長ということもあり得るかも知れません。
だからこそ心身の準備が不可欠なのだと思いました。その上でさらに思うことは、仮面に向き合う所作、導入のプロセスが肝であり、儀礼であるということが、最上さんの視点を通して、あらためて明らかにされた稽古だったと思います。そもそも面とは何なのかという本質の問いから始めたからこそ生まれた稽古だったと思います。
下の写真は稽古の中で僕が半紙に描いた顔ですが、本物の仮面を使う前に、この半紙に描いたシンプルな顔の絵を使って、その儀礼的な所作を行ったのでした。
リアルな仮面と違い、よりシンプルで記号的であるがゆえに、構造として何をしているのかを理解する上で、とても効果的であったと思います。
また、紙に描いた稚拙な絵であるにも関わらず、これを見つめることで、そこに見たのはずっと優しく見守ってくれていた高次の自己であり、もしかしたら守護霊のような存在であり、それはやがて様々な他者の顔にも変化していったのが不思議でした。
そして何より革新的なことは、この顔をゆっくりと裏返して行くという所作でした。半紙が真横を向いた時には、顔が見えなくなり、線となります。それまで見えていた表の顔と、裏側から見た顔との間にある、ゼロポイントがそこにはあり、そこを感じることが、まさに境界を跨ぐことであり、次元を超えることであったと思います。そこからさらに回転させて、自己側から他者の側に回る時には、背筋がゾクゾクとしました。
裏側からその半紙の顔の中に、自分の顔を入れて行くということを通して、自身があっち側に回るというような、それはそれはとても不思議な感覚になったのです。
その時に、全ての他者は実は自分なのだということを直観しました。そしてそのプロセスを丁寧に辿ることによって、「自己」と「他者」の間に交差が起こり、そこになんらかの融合、交信、気づき、等化というようなことが起こりうるのではないかとも思ったのです。
最後に顔から外して、またこの半紙の顔を眺める時には、先ほどまで自分だったものがそこにはありますし、自分自身がたくさんの存在と重なって存在しているというような感覚にもなりました。
これは本物の仮面を使う時にも起こることですが、仮面がリアルであるほどに、そのキャラクターがあり、その分のバイアスもかかりますから、方向性としても仮面の持つキャラクターに影響されるところも多くなるのかも知れません。
しかし、絹の帛紗で仮面を包み、それを開いていくところから、始める所作を通して、仮面というものの持つ聖性が強調されますし、そのように丁重に扱うことで、仮面をつける上での必要な場と心身を整えるという意味もあったのではないかと思います。
また、半紙の顔を裏返すということをした後で、実際の仮面を裏返し、顔につけたことで、文字通り「面」を反転させるということが強調されたのかも知れません。
それは内面だったものが外面に変わるということのようにも思いますし、表象を超えて内部に侵入するということのようにも思います。
このプロセスが丁寧に行われることによって、なんらかのチャネルが開き、そこにおいて踊りも生まれるのかもしれません。場合によっては何かを話し始めるかも知れません。いずれにしても、その時の感覚を一言で言うと、至福でありました。とても気持ちよくて仮面を外したくないという感覚になりました。
他の方で何人かの方が、気持ちよくて帰りたくなくなった、このままここにいたいと思ったというような感想をシェアされていたので、やはりそこではなんらかの意味あることが起こっていたのだろうと思われます。
ただし、仮面をつけるのが怖くて震えたという方もいらっしゃいましたし、酔っ払ったようになって怖かったという方もいらっしゃったので、取り扱いにはじゅうぶん注意しないといけないことであるということも思いました。深い体験になるからこそ、そこに至る導入は大事だし、無理はしないということも心しておかないといけないことだと思います。
今回、仮面の稽古をしたいということで、僕と古谷さんが、それぞれ持っているお面を持ってくることになったのですが、どの面を持って行くかと考えたり、メンテナンスの作業をしている中で、思っていた以上に大きなエネルギーが動いているようだということを感じました。
夢に出てきたりもしましたし、稽古の当日は何故か一睡もできませんでした。自分でも何が起こっているのかはっきりとしたことはわかりませんが、仮面というものがただの物ではないということかも知れないなと、あらためて仮面の持つ不思議さということを感じているところです。
うちに帰って、使った仮面を陰干しするために並べてみたら、心なしかお面もうれしそうに見えるから不思議です。
長らくカゴの中にしまい込んだままにしていましたから、外に出て実際に何人かの方に使ってもらい、仮面自身も表現の機会を得ることができたということもあるのかも知れません。
またしばらく間をおいて、時々はこのような仮面を使った稽古があればいいなと思います。毎回やるものではないということも思いますが、とても大事なエッセンスが仮面にはあり、それはきっと先に進む上で必要なものなのだとも思います。
そして、いずれまたこれらの仮面を使って人前で踊るというようなこともあるかも知れません。その可能性も開かれたように感じて、とても意義のある稽古だったと思います。