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海からの手紙(イシュタルより)

「海賊王子と初恋花嫁」(著 須王あや 角川ルビーコレクションより発行)の小話です。

「ねぇ、そこのあなた、レンティアの貴公子をお見かけしなかった?」
「麗しのロクサーヌ侯爵夫人、残念ながら、私はお見掛けしておりません」
「そうなの? では、見かけたら、この私がお探ししてると、きっとお伝えしてね。私、あの方の歌が聞きたいの」
「心得ました。それは私もお聞きしたい。悪戯な精霊の娘たちの心さえ蕩かすと伝えられるレンティアの若君の歌ですよね」
「そうでしょう? 今夜こそお逢いできると思ってたのに。女王陛下との御歓談が終わったら、風のように消えてしまわれたのよ。我がイシュタルには、あの若者の心を捕らえるような美しい娘はいないのかしら? ……あんな若さで、あんな美貌で、美しい娘より、楽しい宴より、海や戦場の方が好きだなんて、ねぇ、貴方、信じられて?」


 ロクサーヌ侯爵夫人は、美と詩と芸術の守護者として、イシュタル宮廷で厳然たる地位を築いている。彼女の名誉のために言うならば、生まれついての貴族として、毎日楽しく遊び暮らしてはいるものの、イシュタルの有名無名の芸術家をパトロンとして庇護して、文化の発展に貢献してもいる。
ただ詩人でもないカイとしては、芸術の話の相手は得意ではない。

「レンティアの君は、生まれつきの武人でいらっしゃいますから……、」
「信じられないことにね。……十六歳の美しい貴公子が二週間もこの宮廷にいるのに、誰も彼を魅了できないのよ。彼を愛する海の精霊の娘が、誰にも恋をしない呪いでも彼にかけてるのでは? と疑われてるわ」
 誰もが、美しい海の国の貴公子の来訪に胸をときめかして、彼にダンスに誘われることを期待していたし、何かしら甘やかなことを囁かれることを夢見ていた。
 吟遊詩人たちは、いつも、海賊王子の恋歌を歌っていたし、もちろん貞節な自分は海賊などに心惹かれたりしないが、少しくらい冒険気分を味わってみても、やぶさかではない、とイシュタルの貴族の娘──娘にかぎらず、美しいといわれる令夫人たちは、思っていた。
 だが実際には、レンティアの貴公子は、非礼にならぬ程度にダンスを踊ると、どんな美しい娘も伴わずに、影のように付き従う随身と二人で、さっさと帰って行ってしまうではないか。
 話しかければ、誰にも分け隔てなく対応して、美しい娘たちとだけではなく、白髪頭の歴戦の将軍たちと、戦の話や、馬の話、何処やら知らぬ世界の果ての国の話などを楽しそうにしている。
 いったいどうして、歳とった将軍たちは、あんなくだらない話で、あの美しい若者を独り占めしたがるのか、まったく理解に苦しむ。
 そんな話は、遠来から来た貴公子にでなく、自分の息子か孫として貰いたい。
「陛下は、レンティアの貴公子とイシュタルの有力貴族の娘との婚姻を望んでいらっしゃいます」
「──そうですね。レンティアの海軍力は魅力的ですし、カイ様は大変に華やかな方ですから──、ただきっと、あの方は、子供の頃から、そういうことに慣れてらっしゃるんでしょうね。あんなにお若いのに、交わすのがとてもお上手だ」
「まったくね。随身も石みたいにかたい男で、主従揃って取り付く暇もないと、私の美しい小鳥たちが嘆いていたわ」
「享楽的な方ではなく、真面目な方なのは、武将としては好ましいですが、御婦人方にもまた難攻不落の砦のようですね」
「あの方は、当節よくありがちな貴族の若君と違って、絵姿より御本人の方がずっと美しいけれど、恋に落ちやすいと言うのは吟遊詩人たちの間違いだと思うわ」
 愛する女王陛下の意に沿う成り行きにならなくて、途方に暮れながら、ロクサーヌ侯爵夫人は、白い羽扇を優雅に動かした。


「あのばーさまは、いったい、いつになったら、オレを海に帰すんだ?」
 噂のレンティアの美貌の貴公子殿は空を仰いでいた。
 イシュタルの空は灰色だ。
 この季節のイシュタルは、こんな曇天が何週間も続くこともあるなんて、気の滅入る話だ。
 そしてこの豪奢な宮殿は、海からとても遠い。
「カイ、ばーさまはやめろ。ばーさまは。女王陛下だ、女王陛下」
 石のようにかたい男とロクサーヌ侯爵夫人に揶揄られてるとは夢知らず、ヤンはカイをあやしていた。
 ヤンとて、こんな仰々しい宮殿にも、胡散臭いほどのイシュタル女王陛下の歓待ぶりにも落ち着かないが、そうも言ってられない。
「だってさ、一週間て話だったのに、もう二週間もここに引き留められてるんだぞ……、このまま幽閉されんのか? と怯えるよな。だいたい、オレを陸に引き留めて、何をさせたいんだと」
「……うーん、舞踏会のお花、的な?」
 ヤンは気の毒そうに、見たままの事実を告げる。
 我が友人は、黙ってさえいれば、確かに、夢のような美貌の貴公子なのだ。
「起きたまま寝言言ってると、張っ倒すぞ、ヤン」
「とは言え、それ以外、言いようがないと言うか……」
 連夜のパーティに次ぐパーティ。
 美酒もご馳走も美しい女性も嫌いだとは言わないが、それにしても、宴会もこう毎晩続くと、辟易する。
「毎日、酒ばっか飲んでたら、身体が鈍るわ」
「明日は狩猟のお誘いだ。少しは、気晴らしになるだろう」
「ネー、カイー、ルシエルも行くー?」
 歳若い御主人に倣って、退屈を囲っていた極彩色の鸚鵡が声を上げる。
「おう。ルシエルも、森に狩りに行くぞ。ぼーっとしてて狩られないように、しっかりオレに捕まってろよ」
「了解―。ルシエルも、森、行クンダー」
「なあ、なんか、おまえ、いつもより、無口じゃないか? やっぱ、この曇り空がよくないのか?」
「ソンナことないよー」
 パタパタ、ルシエルは羽を振る。
「デモね、ルシエル、不細工、言われて、ちょっとヘコんだー」
「……? 誰にそんなこと言われたんだ?」
 オレンジ色の鸚鵡は、歳若い主人の肩に乗って、しょんぼりしている。
「知らない、ヒトー。ルシエル、綺麗ジャナイの、知ってるけど、海賊王子の愛鳥、似合ワナイ、言われテ、チョット……哀シイ…」
「男でも女でも、そんな奴は、オレがひどいめにあわせてやる。今度逢ったら、ちゃんと教えろ」
「イイよー、カイ、喧嘩、ダメー。長老に怒られるよー」
 ぷるぷる、ルシエルは首を振る。
 ルシエルは賢い鳥だったので、そんなことはダメなことはわかっていた。
 ただ、ちょっとだけ、へこんだから、つまんねーこと気にするな、とカイに頭を撫でて貰おうと思っただけなのだ。
「長老なんぞ、主に怒るのが仕事なんだから、勝手に怒らせとけ。……オレの友達を馬鹿にする奴には、命知らずな真似をする奴だな、と教えてやる」
「カイの友達」
 ルシエルは美しい鳥ではないかもしれないが、幸運な鳥だと思える。
「ルシエル、カイノ、トモダチー」
 誰もが憧れるようなこの若者が、ルシエルのこの世で一番の仲良しなのだ。
「そうだ。オレは数少ない友達を大事にしてるんだ」
「……カイ、友達、多イヨ」
「そんなこともないぞ。逢う前から、何故か顔が気に入らないって嫌われてたりするぞ」
「ソーなの? カイも、嫌ワレるコトあるの?」
「あるある。誰にでも好かれるなんて、無理な相談だ」

「ソーなの?」
 うーん、そうかなあ、とルシエルは不思議がる。
 何故なら、うちの歳若い御主人は、いつも何処に行っても人気者なのだ。
 現在は、イシュタル宮廷で、イシュタル女王陛下の気紛れで、舞踏会の花にされて、遠い目をしてるが、普段はだいたい男ばかりの船の上にいる。
(世の中には、生まれついて持ってる奴がいるのよ。……そんな奴とは、まともにやったら、こっちが危ういから、仲良くしたい)
 仲間内のトゥールが肩を竦めていつも笑う。
(ま、世界は平等ではないからね。カイが乗ってると、海の姫達が甘やかすから、航海が楽なわけよ。人間、乗るなら、乗り心地のいい船に乗りたいじゃない?)
 ときどき、人間でないものにもひどく気に入られて、恩恵を受けたり、困ったりしている。
 ルシエルは、そういう主人が、密かにとても自慢だ。
「そうだよ。ま、オレのこの外見がお気に召さなくても、中身が気に入ってくれる人もいるがなあ。だから、おまえもへこむなよ」
 それは、外見が気に入らない、という言葉は同じでも、だいぶ内容が違う話だと思うのだが。
「カイー、モシかして慰めテルの?」
 不細工な鳥、て馬鹿にされるのと、顔がよすぎて好きになれない、て嫌われるの、一緒じゃないよカイ、と教えた方がいいのか、でもせっかく、カイが慰めてくれてるんだし……、と鸚鵡ながらにルシエルは悩んだ。
「……、そうそう、ルシエル、まあちょっと天然入ってる御主人だけど、愛だけは汲んでやって」
「なんで、そこでヤンとルシエルで通じ合ってるんだよ」
「いつもカイに苦労させさられてるコンビだからじゃないかな?」
 ヤンの下手くそなウインクに、ルシエルは何だか和む。
 いや、ルシエルとて、本当はもちろん知ってはいるのだけど。
 女性ウケの良い華やかな容姿だからと言って、何もカイが得ばかりしているわけではないことは。
 荒くれ者の多い海の上や、戦場で、
(どーした、お嬢ちゃん。ママのスカートに隠れておいた方がよくないか?)
(なんとまあ、噂に高いレンティアの海賊の王子様とやらは何処にいるんだ? ここにはお姫さんしかいねーじゃねーか?) 
 などと、敵の熊のようなむくつけき大男に、若い主人が馬鹿にされたときは本当に驚いた。
 カイはそんなことぐらいでは怒らないが(馬鹿馬鹿しいので戦闘以外に労力は使わない性質らしい)、ルシエルは皆の前で大事な主人を馬鹿にされて、怒りのあまりそいつの禿げ頭をつついたり、濁った目玉を抉ってやりたくなった。
 もっとも、レンティアの船の仲間も、戦をよく知る将軍も、そんなことを言う無礼者がいても、何とも哀れな眼の利かぬ奴だな、と面白がって笑うだけだ。
(うちのカイを御母上のアリア様のスカートの影まで追い返す奴がいたら、それは恐らく人間じゃなくて、化け物だな。最もアリア様ときたら、化け物も跪かせそうなご婦人だが)
(レンティアのお若いのは御強い。……敵の力を軽んじるのは、愚か者がやることだ)
 実際に、戦闘が始まって戦いだすと、カイは驚くほどに負け知らずだ。
 どんなに体重の差があろうと、相手が二刀流だろうと、何人いようと問題にしない。
 軽口を叩いた熊のような大男は、あっという間にカイの足元に倒されて、いったいあの威勢のよさは何だったのかと問いたくなるほどだった。
 ルシエルが、遠くから見つけて、なんかきらきらしてるから、あれが何か見に行きたい、と想って探しにいったら、そこにいた海賊の王子様は、金髪でも銀髪でもなく黒髪だったけれど、最初に逢った日もいまもなお、ときどき、きらきら光って見える。
 人をそらさぬ、強い意志と、まっすぐな心。
 どんな嵐の夜でも、どんなひどい戦場に居ても、この人といれば、地獄じゃなくてきっと天国にいける、と言葉でなく、信じられる。
「カイ様、お手紙が届いております。……それと、カイ様のお探しの品が届きました」
 女官が、入室の許可を得て入ってきた。
「ああ、ありがとう。手紙は誰からだ?」
「レンティアからと、ルティシアのイシュル様という方から……」
 ぴくぴくと耳聡いルシエルの羽が動く。
 イシュルは、遠い砂漠の国で暮らすカイの大切な友達だ。
 筆不精のくせに、カイはいつもその子からの手紙を楽しみにしているのだ。
「それは嬉しいな」
 カイの表情があからさまに和らいだので、女官は控えめにだが驚いたようだ。
「では、私はこれにて」
「ああ。ありがとう。助かったよ」
 カイは女官に礼を言ったが、隣にいたヤンも、オレも助かったよ、これで海に帰れなくてへこんでたカイの機嫌も少しは直るよ、と女官に菓子のひとつも贈りたい気持ちだった。
 カイはペーパーナイフで封印を切った。
手にしたイシュルの手紙からは、何か甘い香りがした。
『カイへ。元気ですか? このあいだの手紙で、次はイシュタルへ行くと教えてくれたけど、もうレンティアに帰った頃でしょうか? 楽しい航海だった?』
 レンティアに送られたものが、レンティアの封書とともに、カイのもとへ転送されたらしく、イシュルはカイが既にイシュタルへの旅を終えたと想って書いているようだ。
「宮殿に閉じ込められて、パーティ続きで散々だよ。まだ帰れてないよ」
 カイは、手紙に向けて、愚痴を零した。
「今回のイシュル様の手紙は何語で書いてあるんだ?」
「ん? フランシア語。ここんとこ力入れてるんだって」
 イシュルは、なんと十七番目ではあるが、大国ルティシアの皇子なので、何か国語も専属の家庭教師とともに語学の勉強をしている。
世界中を船で航海するカイも、もちろん必要に迫られて多くの国の言葉を話すので、最近はいろんな国の言葉で手紙を書きあって、お互いの手紙を、これこの国の言葉だとこうかな? あってる? 変かな? と指摘しあって遊んだりしている。
「うちのカイに辞書を引かせる偉大な人だよなあ、イシュル様は」
「いや、いくらオレでも、イシュルの手紙以外でも辞書は使うから」
「いやいや怪しいものだから。解読の熱意が違うから」
 大袈裟にヤンは肩を竦める。
「カイー、イシュルの手紙きて、よかったネー」
「ルシエルのことも書いてあるぞ。おまえも読め」
「読メナイよー」
カイの肩の上に乗って甘えながら、ルシエルは楽しそうに手紙を見下ろす。
「カイのルシエルってこんなかんじ? てほら絵が描いてある。……ルシエルよりちょっと痩せてるか、絵の方が」
「ルシエル、太ってナイよ!」
 主人とじゃれあいながら、ルシエルも手紙の中の小さな小鳥を見下ろす。
遠い国で暮らすイシュルは、一度もルシエルを見たこともなくて、カイからの手紙を読んで、想像で描いてくれているのだから、似てなくて当然なのだが、確かに手紙の中の鳥の方が小さい。
「だが、ちょうどよかった。ルティシアに贈ろうかと想って、イシュタルの紅茶やら絹やらを揃えてたんだ」
「ああ、それでか。これはいい絹だなあ」
 女官が持ってきた木箱をあけ、輝くような反物を確認して、ヤンは感心している。
「絹はイシュルが喜ぶかどうか謎だが、こちらの茶は有名だから、喜ぶかな? と想って」
「四年も欠かさず、世界の各地から、尽きぬ手紙と極上の贈り物。どんな誠実な求婚者も、なかなか真似できないぞ、カイを」
「何を言ってるんだ。病弱で親に外に出して貰えない、大事な弟みたいなものだ、イシュルは」
 実際にはイシュルは病弱ではないが、自由に外に出られない、という友の境遇の不自由さが、筆不精のカイをしてずっと手紙を書かせていた。
「弟ねぇ……」 
いくら弟がいないからって、弟を勘違いし過ぎじゃないか? と首を傾げるヤンをよそに、カイは楽しそうにルシエルと手紙を覗き込み、使い古したフランシア語の辞書を手にとって、窓際の机に座って、もう返事を書こうとしていた。
(イシュルへ。女王陛下に捕まって、二週間も引き留められている。海から離されて、息が詰まりそうだ。この季節のイシュタルの空は、太陽に近い国で暮らすイシュルには、きっと想像もつかないくらい灰色で暗い。毎晩パーティ続きで、イシュタルのダンスをもう覚えて帰りそうだ……早く、レンティアに帰りたい。波の音が聞きたい。海の匂いがするところにいたい。新しい船が凄く乗り心地がいいからイシュルも乗せてやりたい。この船ならたぶん海に慣れてない者でも、航海が楽だと想うから……)

 いろんな国の言葉で、いつかカイの船に乗りたい、とイシュルは書き綴って来たから、カイも、イシュルを乗せてやりたい、と返事を書いた。
 それは傍から見ていたら、どうにもまるで恋文のようだったけれど。
 

 本人たちは、ただいつか同じ船に乗って二人で世界の海を渡ろう、と幼い約束をまるで優しい呪文のように繰り返していた。

 運命の悪戯により、二人の甘い約束が叶うまで、これより一年を要する。

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