繊細さんが繊細さに、つぶされないために
人ってそれぞれの(内面)世界を生きています。
そして自分のそれが世界の真ん中だと信じて疑いません。
だって私たちが成長上で実感をもって感じるのって、自分の中のことですものね。
まさかそれが、人それぞれの世界があったり真実があるという風には思わないですよね。
それで、いろいろギャップになったり相互理解がうまくゆかない、これはとっても多いと思います。
そもそも自分自身のことですら、わかっていると思い込んでいるだけで、自分には見ることのできない部分(死角)があることも、(顕在)意識下の大きな意識(無意識、潜在意識)があることも、普段気にしていませんよね。
他者理解も自分理解も、ある意味での繊細さを必要とすると思います。
繊細さは弱さとして表現されることも、もちろんありますが、物事の奥を俯瞰して、そこにある真実を見通す力ともなります。
いろんな人が混在して、しかもそれぞれでの思惑、立場がある中でなんとか均衡を取りあい生活してゆく場合、声高だったり、ある種の「自分の」意見などへの固執の強さを、恥ずかしいと思わないタイプの人が強く見えたりします。
けれど、強さと繊細さはパキッと分かれているものでもないですし、案外と一番ビリの人(強さにおいて)と見做されていた人が、ある非常事態になったらすごく凛々しくて芯がぶれない強さを見せるとか、こういうこともありますよね。
繊細さは弱さではないですが、繊細(過ぎる)人は少数派であることもあり、多数派、主流に押されるという経験をしてきた人が多いと思います。
自分にとっては当たり前過ぎることが、他の人にはそうではなかったり、自分が感じていることを理解してもらえなくて、ただ敏感過ぎるからだと片づけられたり。
場合によっては「もっと鈍感になれば良いのよ」と、邪魔くさく扱われて言われてしまったり。
繊細な感性、アンテナって、その当人が表面の意識で選んでいるわけでもなく、本来の資質なので、極が別の方へブレるように、繊細な人が鈍感な人にいきなりなれるわけではありませんよね。
そしてその逆も同様です。
私もHSP(神経が細やかで感受性が強い性質を生まれ持った人)で、エンパスでもありますので、周りのそういう反応をたくさん経験してきました。
親にすら、そういう風に言われたことがあります。
周囲に同調してすごく無理をして一生懸命やっている時でも、「神経質すぎるんじゃないの?」と一言言われて傷ついたりです。
実際、成長の過程では繊細さで得した、あるいは良かったことって、あまりなかった気がします。
繊細さがゆえに自分のブレにも気づきますし、他者のあり方がきっかけで、内側に大きな波紋を広げて、なかなか消えないなどもありました。
そしてもちろん、本来の傾向は変わっていないのですが、繊細さのギフトを活用できるようになると、そういうちょっと嫌なことの比重が減って、プラス面に目を向けられるようになります。
もちろん繊細さがゆえに感じるストレス、その対処法はポリッシュしたら良いことですし、自分なりの現実的トリセツも見つけてゆくと良いと思います。
同時に、自分の一部である資質をポジティブに活かせることでの、精神的な活路も開いてゆくこともとても大事だと思います。
私が以前受けたセッションのセラピストさんは、アメリカ女性で本も書いていらっしゃる方でしたが、エンパス分野でとても造詣の深い方でした。
(HSPとエンパスは領域として重なる部分があるけれど、まったく同じではない。エンパス=HSP、けれど、HSPが必ずしもエンパスではない)
彼女自身がエンパスとして苦しい人生体験が多くて、かなり消耗していたようです。
そして実体験とスピリチュアルな学びの深まりで、その繊細さのチャネルのオンとオフを自分でできるようになることが、大切と思われたようでした。
セッションの時も、普通に最初話している時は、彼女の繊細なエンパス能力は使わず、「さあ、ここから入ります」という段階になった時だけ、短時間のみ意識的にオンして使っていました。
そして彼女とのセッションで私は、自分自身すら忘れていた、母との記憶での嫌な体験のことを言われ、そう言われて思い出すまで記憶の底に沈んでいたものと対面しました。
「あぁ~、そうだった、そうだった! あの時すごく不条理に感情的に怒られて、母がとっても怖く感じたっけ。。。」、ある意味トラウマ的なそんなことを思い出したんです。
そのセラピストさんのシャープなアンテナは、有意義に使えるようになるまでは彼女の感情を乱し、いつも突然の感情的反応を引き起こしたり、自分で在るということもブレがちだったと聞きました。
他の人の感情が流れ込んで、自分の感情も他者のそれも混じってしまい、突然泣き出したりということもあったそうなのです。
セッションでも彼女は、意識的につながる時以外は、そのアンテナを無意識に使わないことにとても気をつけている印象でした。
エンパスは人により、感情が同調する人、体感として同調する人など、それぞれがあり、彼女の本に拠れば、細胞エンパスで細胞レベルで同調するタイプやクリスタルや、あるいは動物と同調するタイプなど、いろいろなタイプがあるということです。
けれど、いずれにしても、有効に活用できる前までは、それがギフトだとしても自分にとって良い形では使いづらくて、自分ではよくわからない感情の揺れなどとして、自分では感じてしまいがちです。
これはオーラでも、人によって生まれつき頑丈で厚いオーラの人もいれば、薄くて他の影響を受けやすいオーラの人もいると、インカのスピリチュアルな教えのティーチャーに聞いたことがあります。
彼女の二人の息子さんは、長男さんが頑丈タイプ、次男さんが薄くて敏感なタイプで、ちょっとしたもめ事があった夜中など、決まってその次男さんはうなされるのだそうです。
そしてヒーラーである母親の彼女は「ごめんね、こんな影響を与えてしまって」と、寝顔を見ながらエネルギーを吸い出すのだとおっしゃっていました。
繊細な人はこの世で生きる上で、チャレンジングに感じやすい物事に遭遇しやすい(あるいはそのように感じやすい)けれど、それはギフトとしても活用できる資質です。
私自身もそういう道を通ってきました。
ちょっと長くなりましたので、またこのことについては別の機会に書いてみたいと思います。
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