#1 救われたことばなんて、実際ない
# はじめまして、天使ちゃんです
note をご利用の皆様、はじめまして、天使ちゃんです。
なかなか自ら名乗るには、痛々しい名前かもしれませんが覚えてください。いや、覚えてくださればうれしいでス。
前々から始めたいと思っていた「note」。
昔から言葉や想いを文字にするのは好きで、高校生の頃は有名な某 blog で自分の気持ちを乗せた詩を書いたりなんかもした。
若いナ、たまに読み返すと少し笑ってしまうけれど。
それもそれで、あの頃の「ワタシ」を思い出せるから悪くない。
さて、noteを始めるうえで書きたいテーマがたくさんあるなか、この 「#君のことばに救われた」を初めての note テーマにしてみました。
きっと、このテーマで note を書く人は、人生の節目や何かで、自分のなかにグッときた言葉を書くことでしょう、素敵ですね。
しかし、私が書く note は、題名からしてもうすでにそぐわない内容なのはおわかりでしょうか。
だって、「救われたことばなんて、実際ない」って言い切っちゃったんだもの。
# 人生の中で経験する「山と谷」
それでも、人生の中で山や谷がなかったわけではありません。
辛い思いも、修羅場も、努力も、誰かと比べるものではないけれど、それなりに経験してきました。
慰めも、褒められることも、あらゆる場面で応援された経験もあります。
この私が挙げた 「救われたことばなんて、実際ない」というタイトルに対して、周りに恵まれずキッカケも与えられずに寂しい奴だなと思った人もいるでしょうが、そういうことではないのです。
家族にも、友人にも、恋人にも、仕事にも、いろいろな面で人に恵まれている人生だなと思って生きています。
でも、そう思っていても、救われた言葉なんてないと言いきれるのはなぜだろう。
言い切ってしまう自分にも驚きながら書いていますが、なぜでしょうか。
言葉や想いを文字にすることが好きだといいながら、こればかりはどう文字にしていいか難しい。( どうして note テーマにしたの )
# 君の言葉だけで「救われない」
どうして「君のことばに救われた」というテーマで思いつく「ことば」がワタシにはなかったのか。
それは、結局はワタシの言葉以外に救われたことがないから、が正しいでしょうか。
ワタシに語りかけているように思える本や、blogも、ワタシのことを思って伝えてくれているような気がする大切な人の言葉もその声も、その眼差しさえ。
「心が動かされる」ことと「感動する」ことと「勇気をもらう」ことは、ワタシの中では、救われることではなくて、後押しのひとつでした。
後押しのひとつをもらった段階では、何も救われていない。
その言葉をもらったあとに、何かをしなくちゃ、何も変わらない。
心が軽くなったような気がしても、そのままにしていたら次の日もまた同じ。
誰かに救ってほしいと思って生きていたのかなとも、少し疑問に思ってみたリ。
ワタシは救われるというよりも、答え合わせができる言葉が一番欲しかったのでしょう。
世の中に正解はないというけれど、人間誰しも自分のなかにピタッとハマる答えを探しているし、その答えはどこかに転がっている。
ある人から見れば正解じゃなくても、ある人からみれば正解になる言葉。
どこかに転がっているとわかりながらも、自分の中のパズルにあてはまるピースを見つけられないから、立ち往生しちゃう。
だから、「ワタシ」と「私」も、自分の中で疑問になることがでてきたときに、答えを導き出してくれるヒントをもらえた言葉ならたくさんあるけれど、その言葉自体に救われたという言葉は思いつかない。
その先の行動は自分自身にかかっているのだから、だと思っちゃうわけです、ある意味ひねくれてるのかもしれないけど。
うーん、なんだかキラキラしていない note になっちゃったナ。