自分は傍観者になってやしないか
うちの大学の秋学期の方針が発表された。
引き続き、オンラインで授業でするものもあれば、パラレル授業、といって対面とオンラインの組み合わせの授業。新入生や一部の生徒のみ、キャンパスに戻るようだ。
私は秋学期に履修する授業は一つだけなので、あとはアルバイトと院の出願に時間を充てよう、と最初から決めていた。まあ今からアルバイトが決まるとは限らないし、お金も無いから生活費を切り詰めるしか無いのだけど。
大学の対応については、十人十色様々な反応があった。
オンラインにも慣れたしそれで良い、とか、会社や小中学校は出勤・登校できるのになんで大学生だけこんなに制限されるの、とか。
私は昔からこういう議論に首を突っ込むのが苦手だから、読んで自分の中で消化しちゃうことが多い。
でもさ、傍観者にしかなれないこと、ってある。
もちろん、気持ちを理解するとか、共感する為に、当事者になることは最善だと思う。
でも、人間として生きてたら色々違うところがあるのは当然だ。
履修計画なんてもちろんみんな違うし、それで左右されるキャンパスライフなんて去年は想像もしてなかったけど。
国や文化が違えば考えが違うことなんて自明なのだけど、それは個人の単位でワカラナイコトなのだと思う。例えば、私は妹が何考えてるかなんて全然分からない。ふわっと生きてるように見えるけど、たまにちゃんと考えてる。
だから、傍観者になってる自分、を見つけたときは、「自分の意見持って議論に参加しなくちゃ」というよりは、「自分の考えはこうで、相手はこうで、何を大切に考えてるのかな。なんでそう思ったんだろう。」と考えるようにしている。
違うストーリーがあるんだな、みんな生きてるんだな、って思ったら、その深みをすこーしだけ垣間見れる気がする。
たぶんこういう性格が研究者になりたいと思わせたのかもしれない。
秋田は紫陽花が綺麗に咲いていて、梅雨だなあ、と思わせる。
でも実家のある九州、大雨の被害がとてつもない。
同じ雨でも違いすぎる。
こういうときは、自分でもできること何かな、って考えてみる。
まだちゃんと調べられてないけど、支援基金なんかができてるみたい。
傍観は、してられない。