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再生は元に戻ることではなくて

忙しくて3か月ほど髪の毛を切りに行けていない
土日は土日でやることがあって
そのまま都合をつけられずにいる
平日の夜、終わり際の美容院で髪の毛を切ると
不思議と雨の日が多い
傘を差しながら、タイルに浮いた雨粒に
ひかりが反射するのを見つめる
少し軽くなった頭に当たる風は
切る前よりも冷たい感じがする
髪の毛が長くなるとあの頃を思い出す



私は私ではないものになりたい
けれど、それを考えているのは私自身
確かに壊れた瞬間に音が聞こえた感じがした
身体が上げる悲鳴は分かりやすく響いて
私は唸りとうめき声を上げて、
声を上げて泣き続けた
過呼吸は水を飲んだ時に気管を通る感覚と
同じくらい体内の血と酸素の流れを明らかにした
一度壊れると、あらゆるものが耐えられなくなる
やり過ごしていたはずの幼少期と家族関係
受け流していたつもりの感受性から伝わる
大量の情報
そして、私のなかにいるいくつかの私と私

流れる血を否定し、堪えて受け流してきた
自分自身を否定すると
もう私は私でいることも、生きることも
全て嫌になってしまった
不眠症によって今日の区切りを忘れてしまったのに
今日という一日を乗り切ることすら綱渡りで、
張り詰めたものを弛緩すると消えてなくなる
確信寄りの予感の中で
私は髪を伸ばし、そして写真を撮り始めた

副作用だけを感じて快復が見られない服薬治療
薬を変えるたびに振り出し以下に戻される
感覚になった
自分で死を選ぶというよりも、気を抜いたら
絶えるという感覚
何も変わらないなかで目に見えて分かるのは
髪の毛の長さくらいだった
そして、私が私でなくなる分かりやすいことは
見た目を変えること、という単純な理由

そこまで自分を否定しながら写真を撮っていたのは
結局は余りある自己愛だったのかといわれると
はっきりとYESともNOとも言うことはかなわない
当時は写真を撮ることを「遺影」と呼んでいた
いつ絶えてもおかしくないと思う中で、
一番最期の自分を遺しておきたかった
ー-それはつまるところ存在証明でも
あったのだと思う



そうして髪を伸ばし始める
髪が伸びてくることを感じることで、
日々をつなぎとめていた
植物を育てる感覚にも近いのかもしれない
髪色を変え、インナーカラーを入れ、
エクステをつけ…何かしらの変化を自分で
つけながら自分を生かす



髪は伸び、結べるほどになった
だが、鎖骨を隠すほどに伸びても
私は壊れたままだった
それどころか、もう限界だ、と思うようになった

ついに、選択の機会が訪れたのだと思った

《つづく?》



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