「甘やかし」は子供にとって良いことか?(不登校支援業者について)

最近、某柑橘系不登校支援業者が話題になってますね。
あの業者は子ども本人ではなく、親にこういった教育をするそうです。

「子どもに娯楽を全て禁止させる」
「自立のために甘やかしてはいけない」

私個人としてはかなり憤りを覚える内容ですね。
真偽はさておき、これらの教育方針が正しいか、間違っているかを心理学的に、私の体験的にどうかを考えていきます。
……とはいえ私も学生で多少本を読んだだけですのでその辺はご理解ください。
ちなみに結論から言うと、2つとも間違ってると思います。

「娯楽を全て禁止させる」のは良いことか?

娯楽は逃げ場である

ゲーム、マンガ、アニメ、SNSなど……こういった娯楽って不登校の子だと結構触る機会が多いと思います。
親からしたらそれ依存じゃない?と心配するぐらいには触ります。なんなら娯楽のために休んでるのではないか?と思っちゃうぐらい触っちゃう子もいるかもしれないですね。
なので、親としては娯楽をやめさせたい、やめさせた方が正しいんじゃないか、と感じてしまうこともあるかもしれません。某業者はその親の心理に漬け込んでそうな気はします。

タイトルで言ってますが、娯楽は子どもにとって逃げ場です。
娯楽は子どもにとってどういった存在かを今一度考えてみてください。
自分にとっても娯楽がどういう存在かを考えてみると良いかもしれません。
娯楽って人生の息抜きです。小休憩です。
ゲームやマンガ、特にSNSって現実とは乖離した世界です。〈現実の自分〉じゃなくても良い世界です。
不登校児って学校に行きたくても行けないという事実に本人も苦しんでいることが多いんじゃないかなと思います。
学校は行かなくては行けないもの、みんなと違う自分は悪い子だという自分自身の思い込みに追い詰められる子もいるわけです。
そういう時は〈現実の自分〉から目を逸らしたくなります。『現実逃避』ってやつですね。
現実逃避って悪いこととして言われやすいですが、私は一概に悪いことではないと思います。
現実逃避って心の防衛反応です。
心が完全に壊れてしまうのを防ぐために無意識にしています。
勉強中、仕事中、説教された時、自分が苦痛だな〜と感じる時間って割と他のこと考えてませんか?
空想するのも現実逃避のひとつです。誰でもすることですね。
でもあまりにも耐え難い苦痛だと、上手く空想することができません。自分の思考に空想が邪魔されます。自分の頭の中ですら敵です。ストレス溜まってる時ってイライラの思考が続きますよね〜人によっては自己嫌悪だったり。イライラもそうですが、自己嫌悪は度が過ぎると自分でコントロールが難しいです。大人でも嫌な気持ちの時は気分転換必要でしょう?子どもも同じです。
だから外部のものに頼って現実逃避をします。それが子どもにとってゲームだったり、マンガだったり、SNSだったりするだけです。
外部のものって完全に自分の脳の外のものなので良いんですよね。思考に邪魔されないので。
ストレスが溜まってる時って自動的に嫌なこと考えるっていう癖みたいなのが脳にはあるので、外部のものに頼るのは悪いことではないです。※自動的に嫌なことを考えてしまうのはかなりのストレス状態です。続くようなら病院行きましょうね。
ただ、あまりにも娯楽にのめり込んでいる様をみると、引き離さなければ、そのまま依存して引きこもってしまうと考えるのも無理はないです。
私自身、ゲーム依存だったかもなと思う過去ありますが、自分でもどうしたらいいのかわからなかったです。
そんな時でも絶対にやってはいけないなと思うのが、子どもを娯楽から引き離すこと。絶対ダメです。

私の経験はどうしても子ども視点に偏るので申し訳ないですが、少し私の体験談を……

私は昔からゲーム依存でした(親に無理矢理学校に行かされたので不登校にはなってませんが)。
休みの日なんか寝ても覚めても1日ゲーム。8時間は余裕でしてたかな。特に酷かったのが高校3年生です。
受験勉強があると脳では理解しながらもゲームを手放せないでいました。
親は何度も約束としてゲームの時間の制限、ゲーム取り上げ期間など様々な対策をしましたが、全部無駄でした。
親に禁止されようが隠れてする。隠されたなら隠し場所を探し出し、親がいない時間を狙ってする。隠された場所を知ったことがバレないように隠された位置を変えないように位置を直す、とか。
正直自分でもなにやってんだコイツって感じです。親が帰ってきたら冷や汗かきながら場所を直す。
自分でも勉強しなきゃと頭ではわかってます。
私の場合、勉強を始めると頭が勝手に嫌な記憶を再生するんです。学校であったこと、自分自身の恥ずかしい記憶。それらが勝手に湧いてくる。自分じゃ止められないんです。だから勉強をするためには好きな音楽を聴いて気分を落ち着かせながらやらなきゃ難しかった。
スマホも禁止されてたから自分じゃ思考が止められない。酷い時は勉強をしてもしなくても嫌な思考が止まらない。
家どころか自分の脳の中すら危険な場所になってました。でもそんな時でも、ゲームはそういう思考を無視してストーリーを進めてくれる。音楽は思考を無視して再生される。どんな時でも自分の脳の思考を無視して上書きしてくれるんです。

外部のものというのは〈自分ではないもの〉の役割をしてくれます。
みんながちょっとした苦痛を感じた時にする空想は脳の中でしますよね。
脳の中の出来事は思考に邪魔されるんです。
夢だってそう。ストレスが溜まっている時に見る夢は悪夢ばっかりという人も少なくないと思います。もっとわかりやすいのなら、怖い話聞いた日の夢とか。いつもより怖い夢みてませんか?
夢も脳の中の出来事なので思考に影響されてるんですよね。
脱線しましたが、辛い状況だと、脳の中でどんなに空想しようが、死にたい気持ちが襲ってくるだけです。死にたい気持ちは止まりません。簡単に止まるなら自殺する人はいない。
それだけ疲労した脳というのは自分自身を攻撃してしまうんです。それが表面化すると体がすごく疲れたり、泣いたり、自傷したり、他を攻撃したり……。中の問題が外に出てきちゃうんです。

そこにブレーキをかけてくれるのは、外部のものです。それがたまたま私はゲームや音楽だっただけ。人によってはそれがマンガだったり、アニメだったり、SNSだったり。中には人に依存して保とうとする人もいます。でも人は無機物と違って思考し、揺らぐものなので基本的に相手が安定していなければ安定しません。安定する人、しない人の差はまた後で話します。

嫌な思考のブレーキ、または脳の攻撃からの逃げ場が娯楽になっているんですね。
それを理解すれば、あの某業者が子どもにどんなことをさせているのか理解ができたかと思います。

親としてはじゃあどうしたら良いのよ!って話なんですが、子どもとしては小休憩の期間が欲しかったなと思います。
とりあえず現実逃避してもいい期間を設ける。
現実のことは放棄しても良い期間を。
現実を放棄してもいいってなったら余計自立しないんじゃないかって焦ると思うんですが、無理矢理自立させた方が多分悲惨です。唯一味方のはずの親ですら逃げ場を奪う敵になってしまうので。
あくまで思考を止めてスッキリする期間が欲しいんです。
ちなみに私は期間をもらうことはできませんでした(それ故に希死念慮が酷く通院した時期もありました)が、大学に入って家を出たら急に治りました。環境がダメだった(合わなかった)という場合もあると思うので、それはその子次第です。その子の現実逃避を確保しつつ、親は環境整備なりなんなりの準備をしていくのが1番かなと思ってます。
私は親になったことがないので素人意見ですみません。

「自立のために甘やかしてはいけない」のか?

「甘やかし」と「親の愛情」は別物

ここからはちょっと心理学っぽい話をします。うろ覚え知識だから鵜呑みにしないように!

「甘やかし」は悪いこと。

そういう風な言説は昔からあります。
心理学者で有名な方にもそう主張した人がいます。
フロイトさんです。心の防衛機制(退行、昇華とか)を定義した人ですね。
フロイトは、「親が甘やかすことで子どもは甘やかされない状況(我慢しないといけない状況)に耐えられなくなる」と主張しました。
他の心理学者もその説をしばらく信じてた時代がありました。人に依存的になってしまう人いると思いますが、昔は親が甘やかしすぎた結果だと考えられてきました。

それに異を唱えた方がいます。
ボウルビィさんです。心理学では愛着理論で有名な方です。
ボウルビィはフロイトの説を引用した上で、フロイトの説は間違っていると主張しました。
むしろ、「人に依存してしまう人というのは親からの愛情不足の結果だ」「子どもの自立は親からの愛情によって助けられる」と反対の主張をしたわけです。
実際の研究でもそれは明らかになっており、現在ではボウルビィの考えが主流です。

ここで確認しておかなければならないんですが、ボウルビィは「親の愛情」と言っており、「甘やかし」というものを肯定したわけではないです。
「甘やかし」って非常に曖昧な表現で、人によっては親として当然の愛情を甘やかしだと言ったり、行き過ぎた過保護を甘やかしではないと言ったりバラバラです。
全てのことに言えるのですが、何事も“適度に”が大事です。
「親の愛情」というのは子どもを全肯定しろ、叱るなというものではなく、子どもを受け入れ、叱るべき時は叱るということです。受け入れると全肯定は違います、難しいけど。
「甘やかし」というのは全肯定に振り切っているからダメなんです。「親の愛情」は受け入れだから良いんです。
むし歯なのに子どもが歯医者は嫌!お菓子食べたい!って言ったから治療せず食べさせる親よりも、子どもの気持ちを受け止めて(ここ重要)、子どものために歯の治療に連れて行ってくれる親の方が絶対良い。
難しいんですが、子どもの将来のためになる行為は甘やかしではないと考えてます。

ちなみにフロイトは「甘やかし」と「親の愛情」を混同しているという印象……。だからこそボウルビィに違うでって訂正されたんじゃないかと思います(間違ってたらすみません)。

「親の愛情」と「甘やかし」の区別をつけたところで、ボウルビィの愛着理論を軽く説明しましょう。

ボウルビィは子どもの成長には親の愛情が不可欠だと主張してきました。
親と子どもは生まれた瞬間から、愛着関係という形で親から子へ愛情を渡す関係になります。※余談ですが、愛着関係は愛情を注いでくれる相手と注がれる相手で成立するので親子以外でも成立します。血が繋がってない親子、兄弟姉妹、祖父母などでも。
親から子へ注がれた愛情を子どもは親に〇〇してもらった、△△してくれた、と認識していきます。この認識が積み上がることで、自分が困った時この人は助けてくれるだろう、自分がピンチな時この人は守ってくれるだろうと愛情を注いでくれる親を信頼していくわけです。
この信頼関係を上手く築くことによって、子どもは親を自分にとっての安全基地だと認識するんです。子どもって怪我したり不安になったりしたら親の元に戻っていきませんか?あれは戻れば親が慰めてくれると知っているから戻っていくんです。自分の痛みや不安といった不快を取り除いてくれる存在(安全な場所)だと認識しているからです。
ちなみにこの不快を取り除いてくれる存在だというのは赤ちゃんのころから認識しており、おむつの不快感(おしっこや便)を消してくれる存在だという認識から来てます。

信頼関係ができていると困った時親の元に戻っていくという話をしていましたが、実は信頼関係ができていると親元を離れられ、冒険ができるということでもあります。冒険は自立の第一歩です。自立につながるためにはこの冒険できる信頼関係が大切なんです。

人は安全な基地があるからこそ冒険(挑戦)ができます。
おばけ屋敷とか心霊スポットとか思い浮かべてみてください。
怖くて外に飛び出したりしませんか?(怖くない人はないかもしれませんが)
あれは解釈するならば、おばけ屋敷の外というおばけがいない安全な場所があるからその行動を起こすわけです。外が安全じゃないとわかっているならおばけ屋敷には挑戦しません。外にもおばけがいるかもという不安を抱えている人はおばけ屋敷に挑戦しようとはなかなか思わないようにね。
愛情を注いでくれる人というのはおばけがいないことを保証してくれる安全な基地なんです。愛情を注いでくれる人がいない人はおばけがいないことを保証してくれる人がいないから、いつも怖くて不安定です。そんな人間におばけ屋敷行こうなんて言っても無理な話です。※話を引きずりすぎですが例えの話です。

不登校の話と関連させるならば、子が親に甘えている状態というのは子が親を安全基地として認識し、助けを求めている状態ということです。自分の不安を取り除いてほしいと感じているんです。
不登校は学校が子どもにとって快適な場所ではなくなったからこそ起こりえます。逆にいえば子どもにとって安心できるのが家だから避難しているわけです。その点は親は誇るべきことかなと思います。余談ですが、最近話題の放置子は家ではなく外に出て行ってますよね。あれは安全基地になってくれる大人が家にいないから外に探しに行くんだと思います。あれは冒険しているわけではなく、そうせざるを得ないからしているという感じですかね〜……。
そんなことはさておき。
安全基地という土台があれば、子どもは安心を取り戻して少しずつ外に冒険しに行きます。個人差があるため、期間はそれぞれですが、安心さえ取り戻せたら子どもは安定していきます。
親ができることとしてはしっかり子どもを受け入れてやることかなと思います。
ただし、しつけは必要ですよ。全肯定して子どもをしつけないのは「甘やかし」です。しつけることと愛情を注ぐことは両立できます。子どもの気持ちを無視せず向き合うというのが大切だと思います。

ちなみに精神的に安定している人というのは、親と上手く愛着関係を築いています。
上手く愛着関係を築けなかった人は思春期、青年期になって精神的に不安定になったり、問題が顕在化します。いわゆる愛着障害というやつ。発達障害に近い症状が出るため厄介です。
研究で調べてて知ったのですが、この愛着は子どもが親からどれだけ愛情をもらったと感じているかどうかによるみたいです。つまり、親が愛情を注ぎまくったとしても子どもがそう感じていなければ愛着不足ということになってしまうというわけです。子どもからの認識って個々人によるので、愛情を感じ取りやすい子どもと感じ取りにくい子どもで愛情の必要量が変わるのかもしれないですね。兄弟姉妹がいると下の子の方が愛されてる!って不満を抱えるとかあるでしょうし、愛情の注ぐ量は一概には言えませんが、愛情は多ければ多いほど良い!「甘やかし」には注意!という感じですね。

ここまで書きましたが、結論としては甘やかしは悪いものではないです。ただしっかり「愛情」と区別すること!!

某業者は、子が親に頼ってくるのを「甘え」、それに応えるのを「甘やかし」と表現していましたが、間違いです。
子が親を頼るのは当然です。甘えなんかでもなく、それに応えるのは甘やかしではありません。あのやり方は親も子も疲弊させるやり方です。

最後に

まとめ


・娯楽は脳の攻撃(思考)からの逃げ場
・甘やかしと愛情は違う!愛情はたっぷり注ごう!

この2点を頭に入れてくだされば充分です。
娯楽は無理にやめさせると、自分から安心を奪う敵と認識されます。唯一の味方である親が敵になってはいけません。心配かもしれませんが、不安な状態が落ち着けば依存は落ち着いていきます。
また、親が愛情を注ぐことで子どもは安心して過ごすことができます。
「甘やかし」は叱るべき時に叱らないことです。甘えてきたことに応えることではありません。甘えてきたらそれはその子が安心を得ようとしているサインです。見逃さずに受け入れてください。

某業者はなぜ再登校を成功させているのか?

某業者がなぜ政治家の目に留まったか。それは再登校率の高さと早さですね。
親としては不登校の子は心配ですし、元気に学校に行ってくれるのが1番だという人が多いでしょう。だから某業者のやり方は正解なのでは?と感じてもおかしくないです。
あの某業者がなぜ批判されているのか、この記事を読んで薄ら理解していただけていたなら幸いです。
某業者があのやり方で再登校を成功させている理由をあえていうならば……
親がいる家ですら危険地帯になって本来の危険地帯の学校の方がマシという状況に追い込んでいるからです。そりゃあ行くでしょって感じですよね。
そんな仕方なしの再登校は続きません。
そんな学校にすらいけなくなったら、休んだことを責め立てる親がいる家と、危険な外しかなくなります。
そんな子どもはどうするでしょうか。死ぬしか逃げ場がないと感じるのはおかしくない話です。
あの業者のやり方は、はっきりいって人を自殺に追い込むやり方です。
不登校で不安や焦りを感じている親につけ込んだ非常に悪質な手口です。
そんな悪質な業者のやり方をどこかの政治家?が賛同しているのは許されないことだと思います。不登校のためのフリースクールや適応指導教室など、他にも支援はたくさんあります。ああいった業者を頼る前に公的な支援を頼ってみてください。不登校は長期戦です。難しいとは思うのですが、ゆっくり親自身も休みを取りつつ長い目でみて子どもをみてあげてください。

最初は私も傍観してたんですが、某業者の方針があまりにも酷く、被害者が増えてはいけないという思いでこの記事を書きました。

蛇足

不登校で大事なことは居場所を守ること

不登校で大事なことは居場所を守ることです。
子どもが安心できる居場所(家)を守ってあげてください。
また、外に出ていくには学校以外の外にも居場所があることを認識するというのも大切かなと思います。
フリースクールや適応指導教室はその役割を担っています。学校との橋渡しのような役割で、家に引きこもっていた状態からいきなり外に出るよりも気持ち的に楽かなと思います。
再登校は必ずしもゴールではありません。学校は行けなくても大丈夫です。ただ、外でも自分を受け入れてくれる場所があることを知っておくことが大事だと感じます。
社会からの孤立を長い間続けてしまうと、社会性などを身につけるチャンスを失ってしまうので気をつけた方がいいかなと個人的には思います。

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