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【自己理解プログラム】Day10-12 家族について

私の人生を振り返るにおいて、避けては通れない家族の話。
STEP2のモチベーショングラフを作り始めた頃から、だんだんと記憶と感情が蘇ってきました。

忘れないように、ここで一度まとめておきたいと思います。
(長文にわたりネガティブな内容が続くので、苦手な方はそっ…と閉じちゃってください)


家族構成

父・母・私(娘)・弟の4人家族。
こうやって書くと、よくある核家族って感じですね。
現在、両親は離婚し、私は母の戸籍に入っています。

近所には、母方の祖父母が住んでいました。
住んでいた地域は、母親が生まれ育った街でした。

母はお嫁に行きましたが、男兄弟がいないこともあり、母の地元で家庭を築くことに。
別居はしていますが、「マスオさん」に近い状態でした。

家族との関係

とにかく厳しい母

私の記憶にある母は、とにかく厳しかった。
そして、笑顔の母をあまり見た記憶がありません。

幼稚園の頃から問題集買って勉強、ピアノをやらされました。
ピアノは母から習っていたのですが、泣きながら弾いていたことを覚えています。
母親なのに先生、というのがどうしても受け入れられなかったです。

ただ、そのかいあってか、高校も大学も第一志望に行けました。
部活は吹奏楽部に入り、常にコンクールメンバーでした。
大人になって母に聞くと、「ちゃんと育てたかった。ちゃんとした子にしたかった」とのこと。

その「ちゃんと」という言葉が、今日まで私を苦しめてきたことに、後々気づくこととなるのです…

娘(私)・息子(弟)の接し方の違い

大人になり、母の接し方が私と弟でちょっと違うな、ということに気づきました。

私たち姉弟は特に干渉しあうことなく、比較的仲の良い関係です。
二人姉弟ということは、弟はいわゆる「末っ子長男」。
後で母に聞くと、「やっぱり男の子は可愛いのよ」と。

別に「弟の方が可愛い」ということに嫉妬はしないのですが、母は弟に甘いな、と思うことが多かったです。
二人とも大学はひとり暮らしでしたが、弟は近隣だったので、毎月母が部屋の掃除に行っていたり。何か弟のことで困ったら、姉の私に相談したり。

私に相談するのは良いのですが、弟が自分で動くべきところを母が動いている、そんな風に見えました。

大学生の時に、信頼する先生にこの話をしたことがありました。
すると先生は「母親にとって同性である娘は、自分との比較対象になってしまうよね」と。

それにすごく納得して、その頃から「仲良し母娘になれなくて当たり前だな」と腑に落ちたことを覚えています。

父との関係

父は会社員で、高校卒業後、ずっと同じ会社で勤めていました。

母の目もあって二人でしっかり話をすることはありませんでしたが、それなりに反抗期があって、父を避ける時期を経て、大人になった気がします。

父はあまり私たちに口を出す人ではありませんでしたが、彼なりに家族でやりたいことやありたい家庭像があったようです。
詳しく聞いたことはありませんが、見ている限り、プライドの高い人に見えました。

語らずとも、父自身も傷ついたり怒ったり、行き場のない気持ちがあったのでは、と思います。
今ではもう会うことのない父ですが、当時どんな気持ちを抱えていたのか、聞いてみたい気もします(怖いけど)。

母方の祖父母の存在

近所に住む母方の祖父母は、とにかく私たち孫のことを可愛がってくれました。
学費もかなり援助してもらい、感謝してもしきれません。

母は平日仕事をしていたので、学校から祖父母の家に行き、そのままご飯を食べて自宅に帰る、という日も多かったです。
今はもうありませんが、「第二の実家」と言っても過言ではありません。

そんな祖父母の姿を、母はどんな気持ちで見ていたんだろう、と大人になって思います。

祖父は仕事の関係で、母が幼い頃からほとんど家にいなかったと聞いています。
本当は自分が与えられるはずだった愛情を、孫である私たちが存分に受けている。
それが喜びだ、と言う母でしたが、本心ではどうだったのでしょうか。

私はいつも、母の心に小さな少女がいるように見えました
「ほめてほしい」「一緒にいてほしい」「こっちを見てほしい」「愛してほしい」……
祖母と母もあまり良い関係では無いようで、寂しい気持ちを抱えたまま大人になってしまったのでは、と思っています。

両親の離婚と形式上の絶縁

そんな私の両親ですが、幼い頃から仲が良いとは言えない状況が続いていました。
具体的な原因は伏せますが、子どもの私から見ても「別れればいいんじゃ…?」と思うことが多かったです。

母は「家族であること」にとてもこだわりました
子どもの部活や授業には顔を出し、休みには家族で旅行をする。
両親があまり家にいなかった母にとって、「家族で過ごす」ことが幼い頃からの夢だったのです。

一方、内情を知る私は「仮面家族」を演じているように感じていました。
周囲は私たち家族を羨ましいと言い、それを「普通なのにね」と不思議がる母が何とも受け入れがたかったです。

しかし、この関係も私たち姉弟が家を出て、徐々にバランスを保てなくなります。
数年前、ある出来事をきっかけに、ついに両親は離婚しました。
ついに来るべき時が来た、という印象です。

離婚のいきさつについて詳しいことは知りませんが、正直この時の二人には心の底から落胆しました。
娘の私には状況を話すけど、弟には言わないでほしい、と。
…この時、やはり親にとって弟は「子ども」なんだと思いました。

精神的に娘に頼って何とか生きている親を見て、「どっちが親なんだろう」と思ったものです。
この時、もう親には頼らない、と心に決めました。

その後、「この依存状態から離れないと共倒れになる」と思った私は、両親と連絡を絶ち、今に至ります。3年ほど前のことです。

今の気持ち

ここまでお話した内容は、すべて自己理解プログラムのモチベーショングラフの中で思い出したことです。

ワークを進めていくうちに、娘としての気持ちが段々と湧き出てきました。

・誰に頼ることもできず一人で頑張ってきた、でももう疲れた
・この家族の状況を誰にもわかってもらえず、とにかく寂しかった
・親の期待に応える人生で、自分の人生を生きている気がしなかった

こうやって、私はだんだんと自分の心を閉ざし、殺してきたのだと思います。

3年前、精神的にも不安定な中上京し、初めての土地で仕事をしたのは、本当に大きな決断でした。
ですが、あの決断があったからこそ、自分の人生を歩みだした今の自分がいます。心から良くやったと思います。

次は、自己理解を通して、本来の私を取り戻す。
そして、私らしい人生を歩めるようになることを、心から願うのみです。

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