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スポーツ庁の自画自賛 - スポーツ基本計画

スポーツ庁がパブリックコメントを実施しましたが、スポーツ庁にとって都合の良い意見の多くが公開され審議されました。

第3期スポーツ基本計画

2021年12月21日、スポーツ庁政策課は、2022年1月19日を期限とする、第3期スポーツ基本計画(中間報告)に対する意見募集(パブリックコメント)を実施しました。

意見総数は670件でした。前回の第2期では252件でした。2倍以上増えました。(2022年3月25日)


推進派の意見が多数

国民からのパブコメの意見を取りまとめた文書「第3期スポーツ基本計画(中間報告)等に関する主な意見の概要」がスポーツ審議会スポーツ基本計画部会(第12回。2022年1月31日)など複数の審議会で委員に配付されました。

パブコメによる国民からの意見は賛成の意思表明を基調としていることから、委員から「国民がスポーツに対して前向きな関心を多く持つようになった」という趣旨の感想がでていました。

例えば、次の意見が国民からパブコメで出されたとされています。

2021年夏の東京2020大会では、世界中から集まったトップアスリートにより繰り広げられた熱戦が、国内外の観戦者に大きな活力と勇気を与え、改めてスポーツの持つ力、価値が再認識される機会となった。

第3期スポーツ基本計画(中間報告)等に関する主な意見の概要 ◆はじめに

しかしながら、この意見は、計画の中に既に記載されてある趣旨の文言そのままです。このような意見をパブコメで投稿しても意味はありません。
計画に賛同の意を持つ者は、自分の望む方向へと計画が既に進んでいるのですから、パブコメにわざわざ投稿する必要は生じません。
一般論として、パブコメには反対の意見を投稿するものです。

私は、反対の趣旨の32件の意見を提出しました。

計画への反対意見などに対して、国の考え方を示すことにより、国民の疑問を晴らすのが、パブコメの意義です。
私の意見は、ほとんどが無視されました。

賛成の意見の持ち主は、賛成の意思表示などする必要はないのです。また、役所でも、賛成の意見を開示する必要はありません。役所は、異なった考え方や、反対の意見について、審議をすべきなのです。これがパブコメの正しいあり方なのです。

私の反対の意見は、無視されたり、縮小されたりしましたし、何も議論はなされませんでした。
スポーツ庁にとって都合の良い意見だけを取り上げていました。

本パブコメは、「スポーツ政策は国民からの賛同を得られている」というスポーツ庁の自画自賛の演出です。

スポーツは正々堂々とあるべきなのに関わらず、スポーツ庁はまったく民主主義的ではありません。

 以下に、私の、第3期スポーツ基本計画の(完成版に対してではなく)中間報告に対するパブコメで提出した意見を掲載しておきます。

 

その1 ラグビーワールドカップ2019™について

私の意見

私は開催地である東大阪市に住んでいますが感動を与えられませんでした。多くの人々は感動を与えられたのかもしれませんが、感動を与えられない人々もいるのですから、少数派を無視する趣旨を国の計画に記載することはやめてください。
多数派が感動したので、それで良い、とする考え方は誤っています。
感動が与えられたとしても、それは主観であるため、生活実態の向上にはなっていませんので、国の計画に記載する価値はありません。

私の意見 その1 ラグビーワールドカップ2019™について

計画における該当箇所 「はじめに」 3ページ 第2段落

第3期スポーツ基本計画(中間報告)に関する意見募集の結果について」での掲載は次のとおりです。

文部科学省によって集約されたと推測される私の意見 第2ページ

○ ラグビーワールドカップ 2019の記載は「感動を与えた」といった主観的な側面が強い表現等は検討すべき。

文部科学省によって集約されたと推測される私の意見 第2ページ

文部科学省の考え方 第2ページ

「感動を分かち合った」という表現に修正します。

文部科学省の考え方 第2ページ


その2 ラグビーワールドカップ2019™への評価

私の意見

経済波及効果は、多額の税金が投入されたため大きかったのであって、スポーツが意義深いのではありません。
復興のための支援物資等を各地に直接供給すれば良いのであって、スポーツを介して行う必要はありません。スポーツを介して支援を行うと、スポーツ関係者に支払う経費を損耗するため、非効率です。
被災地の活性化については、被災した当事者の声に基づき評価を下すべきです。ラグビー関係者からの委託を受けた業者が下す評価(ラグビーワールドカップ2019™日本大会開催後経済効果分析レポート)は、立場上中立性が損なわれているため、国の計画に掲載すべきではありません。

私の意見 その2 ラグビーワールドカップ2019™への評価

計画における該当箇所 「はじめに」 3ページ 第2段落


その3 「Well-being」の考え方

中間報告におけるWell-being 13に関する注釈(完成版では修正されています)

13 「経済・財政一体改革を推進するに当たり、エビデンスに裏付けられた効果的な政策やデータ収集等に予算を優先するなど、EBPMの仕組みと予算の重点化、複数年にわたる取組等の予算編成との結び付きを強化することにより、ワイズスペンディングを徹底する。(略)こうした取組の一環として、人々の満足度(Well-being)を見える化し、分野ごとのKPIに反映する。」(「経済財政運営と改革の基本方針2020」(令和2年7月 17 日閣議決定)

中間報告におけるWell-being 13に関する注釈

私の意見

注釈も読みましたが、「「Well-being」の考え方」が不明です。また、何故「つながる」のか不明であり、「つながる」ことによる効用が不明です。注釈には「エビデンスに裏付けられた効果的な政策やデータ収集等」と記載されており客観性を重んじていますが、本文では「楽しさ」や「喜び」といった主観を重視しており、矛盾しています。
「自発的」「楽しさ」「喜び」を何故カッコ書きにしているのか意味が分かりません。カッコ書きにしているということは、何か特別な意味を含んでいると思いますので、それの説明が必要です。
「楽しさ」と「喜び」の違いがわかりません。
「楽しさ」は主観です。この意味は、解釈をする者によって異なると思います。そうすると、国の計画としてブレが生じますので、このような用語を用いることは不適切です。使用する用語を明確に定義してください。
「喜び」という用語を単独で使っている例が見当たらないので、記載する必要はありません

私の意見 その3 「Well-being」の考え方

文部科学省によって集約されたと推測される私の意見 第3ページ

○ P.10の「Well-being」の注釈をもう少し明確なものとすべきではないか。

文部科学省によって集約されたと推測される私の意見 第3ページ

文部科学省の考え方 第3ページ

御指摘を踏まえ、「「経済財政運営と改革の基本方針2020」(令和2年7月 17日閣議決定)においては、「人々の満足度」として示されている。」と修正します。

文部科学省の考え方 第3ページ

私の感想:閣議決定では「エビデンスに裏付けられた効果的な政策やデータ収集等に予算を優先」が重要なのであって、それを実現する一環(手段)として、「人々の満足度(Well-being)を見える化」があるということです。
スポーツ庁は、主観の満足度を高めるWell-beingという都合の良い部分だけを切り取ってきているのです。「人々の満足度」の「人々」とは、スポーツ愛好者のことです。
満足度を高めるために、国民の主観に直接働きかけ、「楽しい」と思わせるのです。

計画における該当箇所 第1章 社会変化の中で改めて捉える「スポーツの価値」 2.スポーツ基本計画における「スポーツ」の捉え方 10ページ 第4段落


その4 スポーツの多面性

私の意見

スポーツには、「する」「みる」「ささえる」という多面性があります。また、それら各々の内訳も多様です。内訳の個別案件毎に、対象者や重要度が異なります。
これらの多様な内訳を全部含むかたちで、一概に、「大切にし」、とか、「好き」でいられる環境を整えていくことが不可欠、とは言えません。
例えば、他の趣味(スポーツではない趣味)を持っている個人にとって、スポーツを「みる」ことには重要性は全くありません。むしろ、そのような事項に公的資源を投入することに対して不公平であるという思いを持ちます。

私の意見 その4 スポーツの多面性

計画における該当箇所 第1章 社会変化の中で改めて捉える「スポーツの価値」 2.スポーツ基本計画における「スポーツ」の捉え方 10ページ 第4段落

文部科学省によって集約されたと推測される私の意見 第3ページ

○ スポーツの「する」「みる」「ささえる」は多面的で、その内訳も多様。内訳毎に対象者や重要度が異なり、それに応じた対応が必要。

文部科学省によって集約されたと推測される私の意見 第3ページ

文部科学省の考え方 第3ページ

御意見については、今後、第3期スポーツ基本計画を踏まえた施策を推進していくに当たっての参考とさせていただきます。

文部科学省の考え方 第3ページ

私の感想:上記「私の意見」の第一段落だけが切り取られ、「意見の概要」に掲載されました。これだと、後段で述べた問題意識が通じなくなります。


その5 列挙された例が不適切

私の意見

次のとおり、列挙された例が不適切です。
「地域社会の再生」:具体例がありません。むしろ、スポーツ施設の維持管理に苦労しているように思います。
「健康で活力に満ちた長寿社会の実現」:スポーツが原因になって、健康長寿の結果をもたらす、という因果関係があるわけではありません。スポーツが原因でケガをする事例は多数あると思います。
「国民経済の発展」:多額の公費をスポーツに投じたことにより経済効果があったように見せかけているだけです。スポーツ産業が存在しなくても、他のコンテンツ産業が補完をして経済は発展するため、スポーツが経済を発展させるとは言えません。
「国際相互理解の促進」:国際大会で実際に行われているのは、メダルの獲得競争であり、勝ち負けへのこだわりです。スポーツではない、他の代替手段はいくらでもあります。

私の意見 その5 列挙された例が不適切

計画における該当箇所 第1章 社会変化の中で改めて捉える「スポーツの価値」 2.スポーツ基本計画における「スポーツ」の捉え方 10ページ 第5段落(完成版では11ページ)


その6 「できると考えられる」

私の意見

「また、地域のスポーツ活動を通じて社会的孤立の解消につなげるなどの課題解決にも寄与することができると考える。」を削除してください。
理由:「できると考える」であり具体例や実績が無いため。
国が策定する計画なので、確証のある事柄を記載してください。

私の意見 その6 「できると考えられる」

計画における該当箇所 第1章 社会変化の中で改めて捉える「スポーツの価値」 2.スポーツ基本計画における「スポーツ」の捉え方 10ページ 第5段落(完成版では11ページ)


その7 新型コロナウイルス感染症の影響

私の意見

スポーツを「不要不急のもの」であると判断し、制限を課した首長は、国民の安全安心を図るため、正当な判断をしたのですから、首長の判断が悪影響を生じさせた、と解釈できる論調はやめてください。閉塞感のまん延などの悪影響は、スポーツだけでなく様々な活動に及びました。スポーツだけを擁護・支援し、スポーツだけが被害者であるとする記載をやめてください。

私の意見 その7 新型コロナウイルス感染症の影響

計画における該当箇所 第1章 社会変化の中で改めて捉える「スポーツの価値」 3.新型コロナウイルス感染症の影響と東京大会の開催を通じて再確認された「スポーツの価値」 11ページ 第3段落


その8 スポーツの価値

私の意見

この意見の投稿者であり日本国国民である私にとっては価値があることを示すことにはなっていません。私のような意見を無視した形で、日本国のあり方を一方的に評価することをやめてください。
スポーツには重要な価値はありません。スポーツは、無ければ無いで、無い状態に対して国民は適応していくだけです。
スポーツ関連の人には影響があったかもしれませんが、興味関心の無い国民にとって影響はありません。
「活力を与えるなど優れた効果を及ぼす重要な価値」は、実態の無い、形容詞の多い誇大な表現であり、国が作成する文として不適切です。

私の価値 その8 スポーツの価値

計画における該当箇所 第1章 社会変化の中で改めて捉える「スポーツの価値」 3.新型コロナウイルス感染症の影響と東京大会の開催を通じて再確認された「スポーツの価値」 11ページ 第4段落


その9(重要)コロナ禍という非常事態

計画における該当箇所 第1章 社会変化の中で改めて捉える「スポーツの価値」 3.新型コロナウイルス感染症の影響と東京大会の開催を通じて再確認された「スポーツの価値」 11ページ

計画での記載内容

(新型コロナウイルスの感染拡大に関する文脈)
 このように様々な影響が顕在化したことで、むしろ、スポーツが、我々の生活や社会に活力を与えるなど優れた効果を及ぼす重要な価値を持っていることを改めて示すこととなった。こうした非常事態においても国民がスポーツの価値を享受できるよう、一層の力を入れてスポーツ実施の推進を図るべきことが認識されるところである。

該当箇所 第1章 社会変化の中で改めて捉える「スポーツの価値」 3.新型コロナウイルス感染症の影響と東京大会の開催を通じて再確認された「スポーツの価値」 11ページ

私の意見は次のとおりです。

非常事態なのですから、危機の収束を最優先にすべきであって、「スポーツ実施の推進」をすべきではありません。
非常事態時においては、時々刻々と変化する状況に適切に対応するため、所管官庁は、その時々の状況を見極めつつ、関係者に必要となる措置を適宜指示すべきです。これによりスポーツ活動が制限されることはやむをえません。
このため、「非常事態においても(中略)スポーツ実施の推進を図るべき」とすることは不適切です。

私の意見 その9 コロナ禍という非常事態


その10 努力を重ね、全力で挑む行為

私の意見

これまで経験したことのない極めて困難な状況下に置かれ、それでもなお、目標に向かって努力を重ね、全力で挑む行為は、アスリートに限ったことではなく、一般国民にもありました。
社会生活の基盤を支え続けた、無名の国民を称えるべきです。アスリートを礼賛する行為は、相対的に、無名の国民を無視する行為になっています。日常に生き、コロナ禍に立ち向かう一般国民に比べれば、非日常世界のアスリートの存在はどうでも良いことです。
「国内外の多くの人々に感動をもたらした」の「多くの人々」とは、スポーツ愛好者です。愛好していない国民の立場から見れば、感動などは無く、アスリートへの不公平感が残りました。

私の意見 その10 努力を重ね、全力で挑む行為

計画における該当箇所 第1章 社会変化の中で改めて捉える「スポーツの価値」 3.新型コロナウイルス感染症の影響と東京大会の開催を通じて再確認された「スポーツの価値」 11ページ 第8段落(完成版では12ページ)


その11 「仲間同士で励まし合う姿」

私の意見

「仲間同士で励まし合う姿」は、ヒトが交流する他の多くの場面で見受けられます。スポーツの場面だけを賞賛する行為は、他の場面を賞賛していないということです。スポーツが他の交流場面よりも崇高であるという尊大な意識を有しており、公共機関が記す文書として公平性・公共性がありません。一部の人達は、スポーツの持つ力、そのすばらしさを感じたと思いますが、そうでない人達もいます。感じない人達を無視して論評することは公平性に欠けます。
非日常のスポーツにではなく、日常の生活の中における励ましや相手を称えることの方に価値があります。
スポーツの持つ力、そのすばらしさを感じなくても、きちんと日常で生きていけます。非日常のスポーツを礼賛することには価値はありません。
「確認することができた」とする証拠がありません。

私の意見 その11 「仲間同士で励まし合う姿」

計画における該当箇所 第1章 社会変化の中で改めて捉える「スポーツの価値」 3.新型コロナウイルス感染症の影響と東京大会の開催を通じて再確認された「スポーツの価値」 12ページ 第1行目(完成版は第3段落)


その12 「スポーツをささえる」

私の意見

コロナ禍であるにも関わらず、一般国民をささえるのではなく、「スポーツをささえる」ことをしたのですから、すばらしくはありませんし、重要でもありません。
文末に記されているような「考える」という主観や一方的な考え方で日本国国家の文書を作成することはやめてください。

私の意見 その12 「スポーツをささえる」

計画における該当箇所 第1章 社会変化の中で改めて捉える「スポーツの価値」 3.新型コロナウイルス感染症の影響と東京大会の開催を通じて再確認された「スポーツの価値」 12ページ 第2段落


その13 「人々の心を動かす力」

私の意見

「人々の心を動かす力」における「人々」とは一部の人々です。心が動かない国民を無視しています。
「心を動かす」とは主観への作用ですから、社会問題を解決したことに至っておらず、国の計画書に記載する価値はありません。
「楽しさ」を感じない国民も存在します。
「楽しさ」はスポーツに限ったことではありません。何に楽しさを感じるのかは個人の多様な内面次第です。スポーツだけを取り上げることは、他のコンテンツを取り上げないということであり、不公平です。
「スポーツが今後の社会の活性化等に寄与する価値」と書かれていますが、一部の人達向けの価値であって、全国民向けの価値ではありません。
「考えられる」という主観と想像で計画を作成することはやめてください。異なった考え方を持つ日本国民がいることも踏まえてください。

私の意見 その13 「人々の心を動かす力」

計画における該当箇所 第1章 社会変化の中で改めて捉える「スポーツの価値」 3.新型コロナウイルス感染症の影響と東京大会の開催を通じて再確認された「スポーツの価値」 12ページ


その14 「環境を整えていく必要」

私の意見

「スポーツの価値」には多面性があります。その多面の全てを国民・社会が享受する必要はありません。個々の国民の立場から見れば、不要な面も含まれています。不要な面も含んだかたちで「環境を整えていく必要」はありません。
例えば、アスリートを支援する事業は、スポーツを愛好しない者にとっては価値の無い事業であるため、不要です。

私の意見 その14 「環境を整えていく必要」

計画における該当箇所 第2章 中長期的なスポーツ政策の基本方針と第3期計画における「新たな視点」(第3期計画の新たな視点1-スポーツを「つくる/はぐくむ」-) 15ページ 第1段落(完成版は16ページ)


その15 「存在・意義を発信」

私の意見

「多種多様なスポーツの存在・意義」は、そのコンテンツ自体が発揮すれば良いのであって、国が公的資源を使ってまで「存在・意義を発信し、国民が実施する機会を創出」する必要はありません。スポーツ以外で自助努力をしている多様なコンテンツが、相対的に、目立たなくなります。

私の意見 その15 「存在・意義を発信」

計画における該当箇所 第2章 中長期的なスポーツ政策の基本方針と第3期計画における「新たな視点」(第3期計画の新たな視点1 - スポーツを「つくる/はぐくむ」 - ) 15ページ 第3段落(完成版は16ページ)


その16 「スポーツ・レガシー」

私の意見

スポーツには健康長寿など多面性があるとの主張をしておきながら、「ひとえに(中略)にかかっていると言っても過言ではない。」と、東京大会へと視野を狭めており、本計画としての論理が矛盾しています。
東京大会は、一部の優遇されたアスリートのための大会であり、興味関心の無い国民から見れば不要不急の事業でした。東京大会を「スポーツ・レガシー」という視点でのみ論じることは国民からの多様な意見を無視することになっています。

私の意見 その16 「スポーツ・レガシー」

計画における該当箇所 第3章 東京大会のスポーツ・レガシーの継承・発展に向けて、特に重点的に取り組むべき施策 17ページ 第2段落(完成版は18ページ)

おそらく、「第3期スポーツ基本計画(中間報告)に関する意見募集の結果について」における掲載は次のとおりです(推測)。

文部科学省によって集約されたと推測される私の意見 第7ページ

○ 東京大会については、プラスの影響のみではなく、開催に向けて様々な声があったことを踏まえた記載とすべき。

文部科学省によって集約されたと推測される私の意見 第7ページ

文部科学省の考え方 第7ページ

御指摘の点については、「新型コロナウイルス感染症の影響と東京大会の開催を通じて再確認された「スポー ツの価値」」の項目において、「東京大会について、大会開催の是非を含めて様々な声が寄せられたところであ る。」と記載しております。

文部科学省の考え方 第7ページ

上記「文部科学省の考え方 第7ページ」に対する私の考え方は次のとおりです。

「新型コロナウイルス感染症の影響と東京大会の開催を通じて再確認された「スポー ツの価値」」の項目は、新型コロナウイルスの影響という文脈です。
私の意見は、「東京大会は、一部の優遇されたアスリートのための大会であり、興味関心の無い国民から見れば不要不急の事業で」あるという意見であり、東京大会に関するそもそも論です。
このような、そもそも論に対する考え方は、何も示しておらず、無視し続けています。


その17 「考えられる」

私の意見

「我が国の取組は、今後長い期間にわたって世界中から注視されることになる」のは「考えられる」であって、確定していません。
確定していない事柄は計画に書く価値はありません。

私の意見 その17 「考えられる」

計画における該当箇所 第3章 東京大会のスポーツ・レガシーの継承・発展に向けて、特に重点的に取り組むべき施策 17ページ 第2段落(完成版は18ページ)


その18 「国民の誇りや喜び、感動」

私の意見

「我が国のアスリートがひたむきに努力し、試合で躍動する姿」が原因となって、「国民の誇りや喜び、感動につながり、スポーツへの関心を高める」という結果がある、ということにはなりません。国民の悲しみや絶望につながり、スポーツへの憎しみを高めています。
評価には客観性が必要です。「誇り」、「喜び」、「感動」という主観が成果であるような書き方はやめてください。先進国国家が行う事業として精神的な幼稚さを感じます。
このような主観が「国に活力をもたらす」とは言えません。

私の意見 その18 「国民の誇りや喜び、感動」

計画における該当箇所 第3章 東京大会のスポーツ・レガシーの継承・発展に向けて、特に重点的に取り組むべき施策 (1)東京大会の成果を一過性のものとしない持続可能な国際競技力の向上 17ページ 第1段落(完成版は18ページ)


その19 「東京大会における好成績」

私の意見

「東京大会における好成績を一過性のものとせず、」から「多面的で高度な支援やトレーニング環境を充実させる。」を削除してください。
理由:これらの事業は、スポーツの繁栄のためであって、国家の繁栄ではないため。国民の一部であるスポーツ愛好者のためにやる事業であって、スポーツに興味関心の無い国民には関係ないため。

私の意見 その19 「東京大会における好成績」

計画における該当箇所 第3章 東京大会のスポーツ・レガシーの継承・発展に向けて、特に重点的に取り組むべき施策 (1)東京大会の成果を一過性のものとしない持続可能な国際競技力の向上 17ページ 第1段落(完成版は18ページ)


その20 「国際競技力の向上」

私の意見

「世界で活躍するトップアスリートを継続的に輩出する」こと及び「持続可能な国際競技力の向上を図る」ことには価値がありません。
これらの事業をやるのであれば、その資源を国民の日常生活の向上のために使ってほしいです。

私の意見 その20 「国際競技力の向上」

計画における該当箇所 第3章 東京大会のスポーツ・レガシーの継承・発展に向けて、特に重点的に取り組むべき施策 (1)東京大会の成果を一過性のものとしない持続可能な国際競技力の向上 17ページ 第2段落(完成版は18ページ)


その21 「共生社会の価値」

私に意見

「東京大会に関わった」人だけが「共生社会の価値を実感」しても意味はありません。国の計画ですので、全国民のあり方について方向性を示すべきです。
共生社会の価値とは、本来の意味は、日常生活における価値です。スポーツは、競技ルールの管理下で行われるのですから、競技ルールの範囲内での「共生社会」です。非日常のスポーツで「共生社会」が実現したとしても、それは日常生活の実態とは別の世界です。スポーツにおいて「共生社会の価値を実感させた」としても、それで社会の実態が良くなったわけではありません。

私の意見 その21 「共生社会の価値」

計画における該当箇所 第3章 東京大会のスポーツ・レガシーの継承・発展に向けて、特に重点的に取り組むべき施策 (3)東京大会を契機とした共生社会の実現、多様な主体によるスポーツ参画の促進 18ページ 第1段落(完成版は20ページ)

おそらく、「第3期スポーツ基本計画(中間報告)に関する意見募集の結果について」における掲載は次のとおりです(推測)。

文部科学省によって集約されたと推測される私の意見 第6ページ

○ (3)については、「スポーツにおける共生社会の価値の実感」をいかに、「社会の共生社会の実現」につながるのかの方向性を置くことが必要。

文部科学省によって集約されたと推測される私の意見 第6ページ

文部科学省の考え方 第6ページ

御指摘の点については、例えば、(3)において、「共生社会の実現に向けた取組を東京大会前後の一過性のものとすることのないような、東京大会を契機に整備されたバリアフリー・ユニバーサルデザインの先進的なスポーツ施設についての仕様や利活用方法等に関する情報発信を行うなど、スポーツを実施する者の多様なニーズを踏まえた環境整備の促進を図る。」と記載するなど、共生社会の実現に向けた取組の記載をしております。

文部科学省の考え方 第6ページ

上記「文部科学省の考え方 第6ページ」に対する私の考え方(3点)

1.「東京大会を契機」にする必要性はなく、何らかの契機とは関係なく、バリアフリー・ユニバーサルデザインの有意義な仕様や利活用方法等に関する情報発信は、常に行われるべきです。

2.「スポーツを実施する者の多様なニーズを踏まえ」る必要性は無く、日常生活を生きる生活者の多様なニーズを踏まえるべきです。

3.「文部科学省の考え方」が示されたものの、やはり、それは、スポーツを前提にした考え方であるため、日常世界における「共生社会の実現に向けた取組」とは言えません。


その22 「意識の醸成」

私の意見

不要不急の事業に関して、国民の「意識の醸成」を国が行うことは不当です。意識を持たないことも、国民の多様な自由意志のあり方のひとつです。
「理解・関心の高まり」及び「機運向上」は、スポーツ愛好者にとって有りうるかもしれませんが、スポーツに興味関心の無い国民の立場から見てそのような現象は発生していません。
「オリ・パラの競技団体の連携強化」及び「研究現場・医療現場等の関係者との連携深化」は、スポーツ愛好者にとって有意義かもしれませんが、スポーツに興味関心の無い国民の立場から見て不要です。

私の意見 その22 「意識の醸成」

計画における該当箇所 第3章 東京大会のスポーツ・レガシーの継承・発展に向けて、特に重点的に取り組むべき施策 (3)東京大会を契機とした共生社会の実現、多様な主体によるスポーツ参画の促進 18ページ 第1段落(完成版は20ページ)


その23 医療資源

私の意見

スポーツ関係に使う医療資源を削減し、一般国民向けの医療資源を少しでも充実・発展させるため、「また、東京大会では選手村に」から「スポーツファーマシスト等の人材の養成・活用を図ってゆく。」までを削除してください。

私の意見 その23 医療資源

計画における該当箇所 第3章 東京大会のスポーツ・レガシーの継承・発展に向けて、特に重点的に取り組むべき施策 (3)東京大会を契機とした共生社会の実現、多様な主体によるスポーツ参画の促進 18ページ 第2段落(完成版は20ページ)

その24 オリ・パラ教育

私の意見

次のとおり、オリ・パラ教育には教育的価値がありませんので、本計画から削除してください。
「アスリートのパフォーマンスや努力のすごさ」:経済力や体力に極めて恵まれた人の話なので、一般国民の立場からすれば、模範にはなりませんし、社会格差を認め、勝者を礼賛する内容であるため、学習教材にはなりません。
「オリンピック精神」:オリンピック精神とは、あくまでスポーツに限った精神であるため、人類普遍の価値はありません。
「パラリンピックの意義」:スポーツができない人達もいらっしゃいます。できる人達だけで成立させ、できない人達を排除してしまっているため、パラリンピックに意義はありません。

私の意見 その24 オリ・パラ教育

計画における該当箇所 第3章 東京大会のスポーツ・レガシーの継承・発展に向けて、特に重点的に取り組むべき施策 (3)東京大会を契機とした共生社会の実現、多様な主体によるスポーツ参画の促進 19ページ 第2段落(完成版は20ページ)


その25 子供たちの体力低下傾向

私の意見

「さらに、東京大会における知見・経験等を次世代につなげていくため、近年の子供たちの体力低下傾向の食い止めに向けた、スポーツ機会の確保方策など総合的な体力向上策に取り組む。」を削除してください。
理由:「東京大会における知見・経験等を次世代につなげていくため、」の文を、特段設ける必要がないため。この文を設けなければ後続の文に記された取組みができない、という考えであれば不当であるため。

私の意見 その25 子供たちの体力低下傾向

補足説明:私の意見が分かりにくいので簡単に書いておきます:「子供たちの体力低下傾向の食い止め」は、子どもたちのためを目的とするのではなく、「東京大会における知見・経験等を次世代につなげていくため」が目的であることは、不当です。

なお、完成版では、修正されており、私が指摘した文は存在しません。

計画における該当箇所 第3章 東京大会のスポーツ・レガシーの継承・発展に向けて、特に重点的に取り組むべき施策 (3)東京大会を契機とした共生社会の実現、多様な主体によるスポーツ参画の促進 19ページ 第3段落(完成版では21ページ 第2段落)


その26 「スポーツへの関心の高まり」

私の意見

「スポーツへの関心の高まり」があったのは一部の住民だけです。住民の意識は多様であるため、関心の無い住民を含めたかたちで、転化・継続・定着を行うことは不当です。また、関心のある住民だけのために、公費でこれら事業を行うことは不当です。

私の意見 その26 「スポーツへの関心の高まり」

計画における該当箇所 第3章 東京大会のスポーツ・レガシーの継承・発展に向けて、特に重点的に取り組むべき施策 (4)東京大会で高まった地域住民等のスポーツへの関心をいかした地方創生、まちづくり 19ページ 第1段落(完成版では21ページ)


その27 共生社会の実現

私の意見

共生社会の実現を図っていくことは必要ですが、その手段として、スポーツを用いることはできません。共生が必要とされるのは日常世界においてです。スポーツを通じた共生社会とは非日常の世界なので、国民が直面する様々な社会問題の解決には至りません。
コロナ禍において東京大会を強行したことにより、共生とは正反対の、分断をもたらしています。アスリートが優遇されていることに対して、不公平感を持ちます。

私の意見 その27 共生社会の実現

計画における該当箇所 第4章 「新たな三つの視点」を支える具体的な施策 2.「あつまり」、スポーツを「ともに」行い、「つながり」を感じる(新たな視点2)(1)スポーツを通じた共生社会の実現 23ページ(完成版では25ページ)
第5章 今後5年間に総合的かつ計画的に取り組む施策 (8)スポーツを通じた共生社会の実現 51ページ(完成版では55ページ)


その28 スポーツ産業

私の意見

公的資源による支援によりスポーツ産業を成長させることは、競合する産業の立場から見て不公平です。
スポーツ産業は、電気や通信のような公共性はありません。
スポーツを見ても楽しいとは感じません。スポーツではないコンテンツの方が楽しいです。スポーツを成長産業化することにより、相対的に、他の産業のコンテンツが劣位になることは許せません。
スポーツ産業は、公費で支援されなければ生き残れないのですから、そんなつまらない産業は淘汰された方が良いと思います。

私の意見 その28 スポーツ産業

計画における該当箇所 第5章 今後5年間に総合的かつ計画的に取り組む施策 (6)スポーツの成長産業化 47ページ(完成版では50ページ)


その29 アスリートのキャリア形成

私の意見

非日常世界に対してキャリア形成をする必要はありません。そのようなことに支援をする余力があるならば、一般国民のキャリア形成を支援してください。
スポーツを公費で支援することは、その支援資源を使って困っている一般国民を救っていないことであり、公共機関としての責務を放棄しています。公費で優秀なアスリートを作る必要性はありません。恵まれているアスリートは、より一層支援され、恵まれることになり、不公平です。
「公費による支援を受けた優秀なアスリートの能力は社会の財産」という一方的な立場に立っている価値観を国の計画に盛り込むことはやめてください。

私の意見 その29 アスリートのキャリア形成

計画における該当箇所 第5章 今後5年間に総合的かつ計画的に取り組む施策 (10)スポーツの推進に不可欠な「ハード」「ソフト」「人材」 3スポーツに関わる人材の育成と活躍の場の確保 b.アスリートのキャリア形成 59ページ(完成版は62ページ)


その30 一過性のものに終わる理由

私の意見

「スポーツへの関心や熱意の高まり」が真実であれば、公費による支援が無くても、民間の有志や産業が支援し継続させ、一過性にしないと思います。何故一過性のものに終わる懸念があるのか、説明をしてください。
一過性のものに終わる理由は、価値が無いためです。価値の無いものに予算を確保しないでください。

私の意見 その30 一過性のものに終わる理由

計画における該当箇所 第6章 施策の総合的かつ計画的な推進のために必要な事項 3.第3期計画実施のための財源の確保と効率的・効果的な活用 71ページ 第2段落(完成版は75ページ)


その31 様々な主体

私の意見

 「スポーツの主役は国民」であると国民を持ち上げているかのように見えますが、実際には、スポーツ愛好者が主役です。
 「楽しむ」とは、国民個人の内面の問題です。この内面を、スポーツ庁は操作し、スポーツを愛好するように精神支配をしています。
 スポーツ施策は、「感動」とか「楽しむ」といった用語を多用しており、スポーツが好きかどうかという個人の内面における志向が重視されています。これでは、スポーツが嫌いであるという志向を持った個人は排除されます。
 好きか嫌いかという個人の内面のあり方によって、公共の資源の割り当て量が左右されるのですから、スポーツを愛好する者が優遇され、不公平です。
 スポーツは非日常の世界であって、いくら優秀な競技成績を収めても、日常世界の社会問題を解決しないのですから、スポーツに公共の資源を割り当てることには価値はありません。
 「感動」とか「楽しむ」ことに注目を集め国民の歓心を得ることによって、貧困等の社会問題の実態から目をそらさせ、公共機関が本来実施すべき施策をないがしろにしています。
 公共機関が施策の対象とすべきなのは、貧困等の客体として存在する社会問題です。国民の内面を操作した場合、国民は社会問題への認識や評価が正当にできなくなり、社会問題が放置されてしまうおそれがあります。スポーツ施策の場合、「感動」や「楽しむ」という主観操作によって、スポーツを崇高であると信じ、アスリートを礼賛してしまい、スポーツ施策それ自体が目的化してしまいます。実際、そうなってしまっていますけれども。
 そのようなリスクを回避するためにも、国は、感動・楽しむ・好き嫌いといった個人の内面を操作したり評価指標としてはいけません。国が行うべきことは、日常における社会問題の解決です。国民が行うべきは、国の施策への評価であって、機運の醸成に踊らされることではありません。
 以上により「様々な取組・施策」の破棄を要求します。

私の意見 その31 様々な主体

計画における該当箇所 第6章 施策の総合的かつ計画的な推進のために必要な事項 4.第3期計画を支える様々な主体に期待される役割とそれに対する支援 72ページ 第1段落(完成版は76ページ)


その他

次の意見も提出しましたが、この記事での公開を省略します。

・文言の掲載場所の移動を求める意見


最後に

役所にスポーツ政策に対する批判意見を提出した場合、無視されます。

大阪府もそうでした。
「第3次大阪府スポーツ推進計画」の策定及び計画(案)に対する府民意見等の募集結果
第3次大阪府スポーツ推進計画の策定について

東大阪市でもそうでした。

スポーツ庁は、スポーツマンを気取り、公正であるかのように演出していますが、まったく公正ではありません。

以上

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