前田弘一

東大阪市のみなさま、どうもありがとうございました。

前田弘一

東大阪市のみなさま、どうもありがとうございました。

最近の記事

  • 固定された記事

学校の常識が世間の非常識である理由 – 校則編

「白いソックスを履くべし」という校則は、どうでも良い問題ですが、社会のルールは如何にあるべきかという問に通じています。   校則問題学校の非常識が顕在化するのが校則問題です。 家族としては子どもに恥ずかしい恰好をさせられません。 なので、家庭では服装に関して一定程度の教育はします。 制服が校則として決められているのであれば、それを受け入れ、子どもに着用させます。 しかし、校則でソックスの色が白に限定されていれば、 「何故、白色なのか」 という疑問は生じます。多くの家庭

    • 組体操に関する修士論文の不当性 - 兵庫教育大学

      価値の無い修士論文が認定されていました。 論文自体に問題がありますが、それを認定した大学にも問題があります。  「大学院の修士課程を修了しました」と聞くと「アタマが良いのだなぁ」という印象を持つかもしれません。 しかし、そのような通念を打ち消す実態があります。 この記事は、組体操について書かれた修士論文に対する私の感想です。 1.概要組体操の危険性に関する議論をしていた西山豊さんによる次のツイートによって私は問題を知りました。   西山さんの「じっくり読んでください

      • バンクシー展の感想

        多くの日本人は、バンクシーの作品を受け入れられない、と思います。 バンクシーは、他人が所有する壁に許可なく絵を描くからです。 作品を発表したいのであれば、美術館で発表すれば良いのです。  だが、しかし、世界には、それができない地域や主張があります。 1.作品「ナパーム」3人が手をつないでいる絵です。 何も知らなければ、何の感慨も無いでしょう。 何故、この作品名が「ナパーム」なのでしょうか。 この作品を理解するためには、次の動画を視聴した方が良いでしょう。 The V

        • 文学部不要論

          人文学は人権・平和・民主主義などを理念としています。 しかし、例えば、国文学者は過去の差別社会における文献を崇高だと考えています。 人文学の理念はすばらしいですが、現実の大学の文学部は理念とは真逆なのです。 1.問題提起(1)文部科学省 文部科学省は問題を提起しました。 文部科学省は、研究領域への批判という形ではなく、教育のあり方という観点から批判をしています。 そういう意味で「文学部不要論」という外形にはなっておらず、「文学部教育改善余地大きい論」です。教育のあり方

        • 固定された記事

        学校の常識が世間の非常識である理由 – 校則編

        マガジン

        • 文章の書き方注意点
          11本
        • 日常の楽しい生活
          3本

        記事

          アスリートを優遇差別して教師にする政策 - 特別免許への評価

          文部科学省は、アスリートを優遇差別して教師に登用することにしています。 この措置が不当である理由を分かり易く解説します。 この記事では、「オリンピック・パラリンピック出場者をはじめとするトップレベルのアスリート」を「アスリート」と表記します。  概要文部科学省は、令和6年(2024年)9月13日付けで、都道府県教育委員会などあて、6教教人第29号「外部専門人材の教師への活用拡大について(通知)」を通知しました。 通知の表題は外部専門人材一般であるかのようですが、内容はア

          アスリートを優遇差別して教師にする政策 - 特別免許への評価

          部活動の不公平性 – 東大阪市

          公立学校では部活動を通じて差別的な教育が行われています。 理念上は、全ての生徒に対して公平でなければなりません。 しかし、実態は、運動部の生徒を差別的に優遇しています。 1.部活動補助金(1)制度概要 東大阪市には「クラブ活動運営費補助金」制度があります。 市が、部活動に要する経費として、市立の中学校と高等学校に補助金を交付しています。 令和4年(2022年)度の当初予算額は27,560千円で、決算額は27,790千円でした。 (2)支出の特徴 文化部にも支出していま

          部活動の不公平性 – 東大阪市

          パラリンピックを廃止すべき理由

          パラリンピックは合理性のないイベントです。 パラを廃止し、パラに費やす各種資源を、社会に存在する障害の除去のために投資すべきです。 パラという非日常に耽溺するよりも、社会実態を改善する方が良いに決まっています。   1.多様性の否定パラリンピックは、障害者が出場しているため、多様性の祭典であるかのように勘違いをしている人が多いですが、全く逆です。 パラリンピックは多様性を否定しています。 パラリンピックは出場できる者を取捨選択しています。 出場した者を勝者と敗者に分

          パラリンピックを廃止すべき理由

          感動ポルノの何が問題なのか?

          障害当事者から感動ポルノを肯定する意見がでました。 重度障害者であり、芥川賞を受賞した作家の市川沙央(いちかわ さおう)さんの意見です。 障害者に関する思想界隈では感動ポルノに対して否定的な考え方が主流だと感じるため、市川さんの意見は刺激的です。   1.感動ポルノについて感動ポルノの定義は次のとおりです。 「コンテンツとして消費される」と記されていますが、この「消費される」という意味が不明です。人によって解釈が異なると思います。 「障害者自身の意志や感情を無視し」

          感動ポルノの何が問題なのか?

          「耳なし芳一」は教養か?雑学か?

          教養とは何か、という議論は重要です。 「耳なし芳一」は教養か?雑学か?という趣旨の議論がありました。 この議論は、人生とは何か、という問題に通じています。 何故なら、ある知識が、雑学ではなく、教養であるならば、 その知識の獲得に人生の貴重な時間を消費しても良い、という判断になるからです。 学習指導要領に書かれた各種知識は若い人の貴重な時間を削ってでも獲得する価値がある、と日本国国家は認定しています。「官製の教養」です。 人間が作った約束事(例えば、学習指導要領)に対し

          「耳なし芳一」は教養か?雑学か?

          学校教育で美術・音楽は必要か?

          学校教育において「美術」と「音楽」って必要なくね? 問題を提起したのは次のツイートです。 このツイートの反響は大きく、否定する意見がほとんどです。 しかし、私はこの問題提起に一定程度まで理解できます。 芸術系科目の意義は学習者を受け入れることです。 子どもが芸術の創作をした場合、その全てを受容することによって、子どもの自己肯定感が上がります。子どもの精神状態を推察できます。 幼稚園児は思考力が低いので、視覚や音楽で訴える教材を使います。例えば、「お遊戯」です。 多

          学校教育で美術・音楽は必要か?

          学校の常識が世間の非常識である理由 – 勝利至上主義編

          学校教育の中に勝利主義が持ち込まれています。 勝利主義とは、勝った者が各種資源を独占使用し、敗者は退場し勝者を称える立場になる、という思想です。 勝利主義で恩恵を受けるのは一部の者です。 敗者は応援する側の立場になるのですが、その応援する姿は美しいと教育されます。 実社会においても勝利主義はあります。しかし、それは、意図せず、結果としてそのようになっているのであって、多くの者が望んでそうなっているのではありません。なので、市民は民主的な公共機関を設け、偏りがないように、公

          学校の常識が世間の非常識である理由 – 勝利至上主義編

          質の高い教師の確保のための環境整備

          2024年(令和6年)6月14日に、同月28日を期限として、「令和の日本型学校教育」を担う質の高い教師の確保のための環境整備に関する総合的な方策について (審議のまとめ)に関する意見募集(パブリックコメント)がありました。所管は文部科学省です。 この「審議のまとめ」は、パブコメを受けて、7月26日に「答申(案)」へとバージョンアップしました。次の事項が掲載されています。 ・更なる学校における働き方改革の在り方 ・教師の処遇改善の在り方 ・学校の指導・運営体制の充実の在り方

          質の高い教師の確保のための環境整備

          勝利至上主義 – 沖縄県

          高校生が部活動のあり方に声をあげました。 「私たちは人形ではない、理不尽な指導をやめてほしい。」など。 残念なことに、肝心の教育関係者は、公正な教育には関心がないようです。 1.問題提起問題提起は、学校部活動研究部 @wu76jgS82zThc8u さんによる、Xでの、次のコメントです。 2.高校部活生メッセージ2 0 2 3次の文は「高校部活生メッセージ2 0 2 3」です。 (参考)次は画像データ版です。 概要は次のYoutubeをご覧ください。

          勝利至上主義 – 沖縄県

          反知性主義の台頭 - 東大阪市

          反知性主義とは、知性よりも感情を優位にする主張です。 この反知性主義が台頭しています。 この記事では、知性ではなく感情によって教育や行政を動かしている思想信条を「反知性主義」と呼ぶことにします。 1.他国のプロパガンダに学ぶ自国をよく知るためには、他国の状況を知ることが大切です。 物事をより良く考えるための基本的な思考方法は、比較することです。 他国ではプロパガンダが国民に広報されています。しかしながら、そこの国民はプロパガンダであることに気が付いていない様子です。

          反知性主義の台頭 - 東大阪市

          古文漢文不要論 必要論者の詭弁

          私は学校における古文漢文教育の必要論をいくつか読みましたが論理性が無いと感じました。 国語教育を実践していながら説得力のない文章を書いているのです。 このことは古文漢文を学んだからといって論理構成能力が高くならないことを示しています。 世間に出回っている多くの論争は必要性に関するものですが、本記事では差別的表現の議論にも触れます。 古典は差別社会の中で著されました。古典には差別的表現が含まれています。古い価値観の文献を学習教材に使っても良いのでしょうか。 古典の有意義性に

          古文漢文不要論 必要論者の詭弁

          古文漢文不要論の意義

          学校教育における古文漢文の議論には意義があります。 「古文漢文不要論」は、実は、ハナシのネタとして古文漢文の話題を取り上げているだけです。 議論の本質は「学習とは何か」です。 1.貴族崇拝古文漢文に意義がないと感じる人がいます。 その不平不満を思考の起爆剤として利用し「学習とは何か」を探求していけば良いのです。そういうやりかたも、学習の形態のひとつです。 古文漢文に意義があると感じる人もいます。 何故、そう感じるのでしょうか。 私自身の経験からすると、それは権威に対する

          古文漢文不要論の意義