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今読んでいる本、青山美智子さんの「月の立つ林で」に、こんな一節が登場します。

五十歳間際で失恋とリストラのダブルパンチを受けて落ち込んでいる友人。その側にいるために、日々のことを放り出して、駆けつけた女性が言った言葉です。

「悩んでるときって、自分を見失ったりするじゃない。私がいるよっていうのは、あなたがいるよって伝えるのと同じことだと思うの。彼女を想ってる私の存在が、彼女の存在の証になるんじゃないかなって」

青山美智子著 「月の立つ林で」より

この彼女の行動力にも感動しますが、友人とは何かということを思い出させられました。

友人として、落ち込んでいる彼女の問題を解決してあげられるわけではありません。
失恋もリストラも、元に戻すことはできないのですから。

だから、友人は問題解決のために存在しているのではありません。
ただの仲良し遊び友達でも、それは、友人と呼ぶには少し心許ない気がします。

苦境から立ち直るのには、結局、本人の気力が必要です。

その気力を出せるようになるまで、誰かが側に一緒にただ居てくれることで、人は自分を取り戻せるんじゃないか。
そのための存在が、友人なんじゃないか。

そう思い出させてくれました。

あなたにはそんな友人がいますか。

私には、いくつかの顔が浮かびます。

そして私もまた、誰かのそんな存在でありたいと願います。
そのことが、また私を元気づけてくれるから。




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Andrea@ポジティブマインドクリエイター
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