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国策としての福島復興の現在地 ・2025/その「地元」は誰なのか?

 写真は、常磐線浪江駅の現在の駅舎。近いうちに取り壊されて建て替えが予定されている。
 常磐線は、いわき以北は不採算路線だ。四ツ倉駅から以北は、仙台の手前の岩沼駅まで単線区間(広野ー木戸間のみ複線化)、本数も1時間に一本あればよい方、時間帯によっては2時間空くこともある。
 原発事故だけが理由というわけではなく、たとえば浪江駅の2011年の原発事故前の1日の利用者数は750名弱。押しも押されもせぬ、過疎地のローカル線、といったところだ。

 その浪江駅周辺は、今年度から、隈研吾氏設計による大規模な周辺整備計画工事が予定されている。住宅施設や商業施設を含めて総工費220億円。1日750名ほどの利用者の駅に対して壮大な事業計画、と呼んで差し支えない金額だろう。
浪江駅前には、福島国際研究教育機構(通称:F-REI )の建設も予定されている。これらの工事によって、ほかの双葉郡の避難区域となった自治体の駅前がそうであるように、事故前の姿をまったくとどめない、まったく違う街の違う駅前のような景色が広がることになるのだろう。
 (詳細は以下のリーフレット参照)

https://www.town.namie.fukushima.jp/uploaded/life/35796_140903_misc.pdf

2025/2/14 追記:
浪江駅前再開発事業の着工は、2年遅れの2027年度、グランドオープンは2031年に変更になることが、2月11日付福島民友で報じられた。

福島民友 2025年2月11日

 浪江駅前工事に限らず、再開発事業について言及する事業者(つまり、多くは東京のコンサルであったり、大手商社)は、「浪江ならでは」といった、その土地の独自性を生かしていることをやけに強調したがる。

 とはいっても、「浪江産の特産である水素や集成材」といわれても、これらは、原発事故後に国が設置した工場による生産で、愛着もなにも抱いていない人の方が地元ではほとんどだろう。そして、その「地元」も、いまや移住者が多数になっており、事故前の「地元」を知る人の方が少数派となりつつある。
 事故前の双葉郡を知っているかどうかは、現在進行形の双葉郡の再開発をどのように受け取るかに大きな違いを生む。事故後に浪江町を知った応援者が、「5年の間にも景色がどんどん変わり、町が前に進んでいると感じます」と笑顔で屈託なく語るインタビューを、年末、居心地の悪い思いをしながら読んだ。震災前の「地元」を知る人にとっては、景色が変わることは、痛みとともにあり、「前に進む」という一方向からだけでは語れない。だが、事故前を知らない人にとっては、「町が変わっていく姿を目にして、すごくポジティブなエネルギーをもらえます」という程度のものでしかない。

 福島復興は、最初から「国策」であったのだろうが、上記のような事故後の眼差しからの論調が優勢になるにつれ、もはや「被災者」よりも、国策を成就できるかどうか、つまり「福島復興」の体裁を整えることだけが、〈彼ら〉にとっては一大事なのだろう、と感じられる場面が増えてきた。
 それは、思えば、特定復興再生拠点の設置が決められた2017年頃が大きな転換点だったのかもしれない。(この時期の変化については、3年前の正月にも書いた。)

 国策成就が福島復興の主眼となったのと反比例するかのように、やたらに、「地元」が強調されるようになったのも、その頃からだ。(福島復興にかかわる文脈で、よく出てくる「地元」という単語は、いわゆる霞ヶ関文学、永田町文学の特殊ワードなのだと思うが、法的な定義がなく、自分たちにとって都合よく解釈できる便利な言葉だと思う。)
 「地元の意向に従って」あるいは「地元に寄り添って」と、総理大臣を筆頭に、誰もがその言葉を繰り返す。だが、先に書いたように、「地元」の住民は、震災前の地元を知らない人が大半になってきている。では、いったい誰に寄り添うというのだろうか?

 「地元」とは自治体のこと、というかもしれない。ただ、双葉郡内の自治体の実情を見ると必ずしもそうは言えない。2023年の双葉8町村の自治体職員の現状について調査したなかに、自治体職員の内訳が書かれている。

 これによると、原発事故後の予算は、事故前に比べてピークアウトしているとはいうものの、それでも未だ3倍の規模にあり、業務量も同様に増えているにもかかわらず、職員数は事故前の2倍である。避難先からの通勤であったり、避難先にいる住民への対応など通常よりも業務負担が高いことを考えると、負担は予算規模以上のものと見るべきだろう。
 そのうち、正規職員は6割、さらにそのなかで震災前採用は5割とある。つまり、自治体職員のうち3割しか事故前の「地元」を詳しく知らない、ということになる。かつての暮らしぶりを知らないだけでなく、ほとんどの住民は避難先にいて接触も少ないため、もともとの「地元」がどんな人たちで構成されているか、ということもよくわからないと推察される。いわば、「想像の地元」の職務をこなしている、と言えるかもしれない。
 上記調査のなかには、自治体のなかでの意思疎通についても尋ねられているが、職員間の支え合いが薄いと感じている職員が多く、また復興についての役場内での議論も十分に行われていない、との回答も多くなっている。業務が多忙で、かつ、人の出入りも激しければ、このような状況に陥るのは容易く想像できる。  こう考えると、いったい、政府や福島県政の言う「地元」とは誰のことなのか、ますますわからない。
 もともとの「地元」を知る職員は少なく、しかも役場内での議論も十分に行われないなか、壮大な復興計画が次々と立ち上がり、そこに「ポジティブなエネルギーをもらう」東京の人たちの笑顔に囲まれながら、国策としての福島復興は粛々と実現されていく。

 ここで思い出すのは、11月に政府の行政改革推進会議の「秋のレビュー」のなかで、「福島復興再生加速化交付金」が取り上げられ、委員から厳しい指摘とともに、見直しを求められた件だ。

 福島再生加速化交付金は、福島県の復興を進めるために、2013年に設置された交付金だ。その交付金の主旨は、地方公共団体、すなわち自治体が「地域の実情に即した事業の的確かつ効率的な実施を図ることを目的とする」とされている。

 2013年に出された政府指針「原子力災害からの福島復興の加速に向けて」にも「地元自治体が直面する課題は各自治体によって様々であり、各自治体からはそれぞれの実情に応じた施策を住民の方々と話し合いながら柔軟に展開したい、このための支援策を充実して欲しいとの声が強い」とあるように、この交付金は、「地元」の実情をもっとも知っている被災自治体が、住民と協議しながら、もっとも効果的に用いることができるように、ということを本旨として設置されたものだ。

 この交付金が設置される以前は、原子力災害の被災自治体への予算措置は、既定の省庁縦割りで行われており、過去に経験のない原子力災害によって起きた、省庁をまたいだ課題へ自治体の判断で使える予算がなく、大いに困っていたのだった。
 この交付金ができた時に、ようやくこれで事態が前に進む、とホッとしたことを覚えている。なぜ自治体職員でもない私がそう記憶しているかというと、原子力災害の特殊な課題は、基本的に放射線関連のことが多かったからだ。放射線問題で、あれをしなくては、これをした方がいい、というときに、国に「対応予算がない」「対応部署がない」ことが大きなネックになっていた。

 やや回り道が長くなったが、要するに、自治体が「地元」としての機能を果たせなくなりつつある福島復興シーンにおいて、「もっとも地元の実情を知る」自治体が、主体的に組み立てて使うことを前提として設置された福島再生加速化交付金が、その使い方をめぐってレビュー委員に厳しく指弾される状況に陥ったのは、なるべくしてなった帰結であるように思える。

 現在、政府内では、2026年度以降の復興予算をめぐって議論が行われており、先日、石破政権は第二期復興創生期間(2021-2025)の5年間以上の予算額を確保する、と明言したところだ。

 岸田元首相に続いて、石破総理も「地元に寄り添って」を連呼するのであろう。もはや、「地元」は蜃気楼のように儚くなりつつあるのに、あたかもそこに実体が存在するかのように、東京の政治家が、意味もわからず同じ言葉をうつろに繰り返すのを、ただ黙って聴くのも飽き飽きとしている。
 だから、2025年の最初の日に、ひとつ、石破総理に問うておきたい。

 あなたの言う「地元」とは、いったい誰のことなのでしょうか?
 そのなかに私は含まれているのでしょうか?


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