2020/04/20 『災害の襲うとき』落手

『心の傷を癒やすということ』『災害が本当の襲った時』、両書のなかで頻回に触れられていたので、購入した。新書だと5,000円を超える、ちょっと手を出すのがためらわれて、オンライン古本屋書店(https://www.kosho.or.jp)で購入。1986年初版で1995年刷、当時の定価3,000円。私が大学に入学した年で、確かその頃から日本はデフレに入り、平均収入はほとんど変わっていないはずだが、書籍の値段がこれだけ上昇していることにやや驚く。

まだ最初の何ページかをよみはじめたところだけれど、ああ、なるほど。これがソルニット『災害ユートピア』のネタ本なのだ、と気づく。もちろん個別資料などについてはソルニットが自分で調査しているのだろうけれど、論旨はこれをベースにしているように思える。確か、本文中にも触れられていた気がする。

私の読書の進め方というのは、だいたいこういう感じで、読んでおもしろかった本のなかで紹介されていたり、参考文献に載せられている本を続けて読んでいくというパターン。図書館や書店で棚を眺めて興味がありそうな本を物色してくる、というケースもないわけではないのだけれど、なにせ出不精で放っておくと外出自体を必要最小限しかしなくなるので、書籍名をピンポイントで指名して入手することがほとんどだ。

読みすすめながら、原発事故のことをもういちどこの文脈で整理し直してみようか、と思ったりもしている。原発事故の後始末はいろいろと難儀で、こんなことを書くと不興を買うかもしれないが、自分がたまたま責任を負うポジションにいなければ、とっくに足を洗っていたのではないかと思う。ただ、それでも続けているのは、ひとつにはやりかけたことを途中で投げ出すのが嫌いな性分であるということ、こんな私でも頼りにしている人が少数でもいる間はその信頼を裏切れないと思うこと、あともうひとつは、このままこの出来事が捨て置かれてしまうのがあまりに不憫である気がするから、だ。「不憫」が何に対してなのかはよくわからない。被災者に対してではないのははっきりしている。どちらかと言えば、これまで労力を払った自分自身に対してか、あるいは、原発事故という出来事そのものに対して、そのように感じているのかもしれない。なんにせよ、新しい本を読みながら、自分の頭のなかをこねくりまわすのは、私の唯一の娯楽と言ってもいいかもしれない習性なので、ああでもないこうでもない、と考えながら、とりあえずは読み進めよう。

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